極端な跳び駒の無い、大局将棋型の将棋は引き分け必然かも(長さん)
特に最近はその傾向が顕著だが、これまでコンピュータ将棋の研究が、
主として、人間に勝てるプログラムを、作成する事を中心的課題として
発展した。が、そのほかに本来は、ゲーム理論への寄与、すなわち、ゲー
ムの完全解析を、コンピュータ科学技術も、目指すべきものと私は、
電気通信大学での、社会人向けの講義等で聞いている。
人間の名人に勝ったソフト・ハードと、完全解析に成功したコンピュー
タ・ハードの到達点の中間に、ゲームの先後手どちらが必勝なのか、とい
う問題の解明の、成功が有ると私は聞く。これらは、ゲームの駒と升目数
が少ないほど、結論が出るのが早いと、一般的に考えられているように思
う。
しかしながら、ひょっとして、非常に駒数が多い将棋で、ぎっしり駒を
初期配列する、大局将棋のような取り捨て型の将棋で、極端な跳び駒、
すなわち、大局将棋で言えば、
車兵の成りである、四天王のような駒が、存在しない、”ゆったりとした
大局将棋”は、引き分け必然ではないか
と、私にはさいきん思えてきた。理由は、先手・後手どちらにしても、
玉駒が、盤の最下段に近い中央部に配列される、極端な跳び駒の現われな
い、大局将棋状の初期配列駒数超多数将棋は、先手を取ったつもりでどん
どん攻めると、どう攻めても必ず敗北する
ように、思えてきたからである。つまりどちらかが攻めた、一局の終末は、
両者が最善を尽くすように、ある程度努力すれば、必ずその局でより多く
攻めた方の、負けになっているのではないか、と思えると言う事である。
こう思える理由は、このタイプの将棋で、
ざっとだが、先手を取って攻めた側が、結果として陣形が有利になり、勝
てそうになる方法が、私には発見できないから
である。
だから、こうした将棋に勝つためには、攻めないで、ひたすら出来る限り
守りを固める、風車作戦のごとくに、双方駒を動かす事になるのではない
かと、疑われる。そのため、いわゆる”終末局面”が∞手になるまで、
数学上、帰納法的に手数が長手数へと増大し、
手数で、はてしなく大きなループを描く、千日手模様になって、引き分け
になる
のではなかろうかと、私には疑われ出した。
なお、こうした考察は、現在のコンピュータ将棋の主流のように、せい
ぜい2桁までの、先の手数の局面評価のミニマックス解析では、研究でき
ない。
∞手数先だが、何れはそうなる局面で、玉駒が危ないのは、どちらなのか、
という洞察力が、必要だからである。コンピュータが強くなったのはいい
のだが。コンピュータ自体に今述べた、現行は、人間しかやらないような
解析的な洞察が、AIの発達によって、当然にも可能になる以前に、将棋
等のゲーム理論に関する研究自体のブームが去ってしまう。また、プロの
将棋棋士の勢力も、数十年というタイムスパンで、対コンピュータ対局で
の、2017年の名人敗北が、根本原因で衰微してしまう。すると、
そもそも、この分野の学術研究の本道であるはずの、完全解析や、先後手
必勝の解析的といった、破壊現象の数理と言うカテゴリーでの基礎研究ま
でもが、結局今世紀末までには、すっかり廃れて、無くなってしまった。
こんなことが無いように、自然による破壊的な災害の多い国に住む人間の
一人として、”破壊ゲーム”の数理解析の研究までもが、衰退しないよう、
個人的に祈らないわけにはいかないと、私は考えるのである。
(2017/08/25)
主として、人間に勝てるプログラムを、作成する事を中心的課題として
発展した。が、そのほかに本来は、ゲーム理論への寄与、すなわち、ゲー
ムの完全解析を、コンピュータ科学技術も、目指すべきものと私は、
電気通信大学での、社会人向けの講義等で聞いている。
人間の名人に勝ったソフト・ハードと、完全解析に成功したコンピュー
タ・ハードの到達点の中間に、ゲームの先後手どちらが必勝なのか、とい
う問題の解明の、成功が有ると私は聞く。これらは、ゲームの駒と升目数
が少ないほど、結論が出るのが早いと、一般的に考えられているように思
う。
しかしながら、ひょっとして、非常に駒数が多い将棋で、ぎっしり駒を
初期配列する、大局将棋のような取り捨て型の将棋で、極端な跳び駒、
すなわち、大局将棋で言えば、
車兵の成りである、四天王のような駒が、存在しない、”ゆったりとした
大局将棋”は、引き分け必然ではないか
と、私にはさいきん思えてきた。理由は、先手・後手どちらにしても、
玉駒が、盤の最下段に近い中央部に配列される、極端な跳び駒の現われな
い、大局将棋状の初期配列駒数超多数将棋は、先手を取ったつもりでどん
どん攻めると、どう攻めても必ず敗北する
ように、思えてきたからである。つまりどちらかが攻めた、一局の終末は、
両者が最善を尽くすように、ある程度努力すれば、必ずその局でより多く
攻めた方の、負けになっているのではないか、と思えると言う事である。
こう思える理由は、このタイプの将棋で、
ざっとだが、先手を取って攻めた側が、結果として陣形が有利になり、勝
てそうになる方法が、私には発見できないから
である。
だから、こうした将棋に勝つためには、攻めないで、ひたすら出来る限り
守りを固める、風車作戦のごとくに、双方駒を動かす事になるのではない
かと、疑われる。そのため、いわゆる”終末局面”が∞手になるまで、
数学上、帰納法的に手数が長手数へと増大し、
手数で、はてしなく大きなループを描く、千日手模様になって、引き分け
になる
のではなかろうかと、私には疑われ出した。
なお、こうした考察は、現在のコンピュータ将棋の主流のように、せい
ぜい2桁までの、先の手数の局面評価のミニマックス解析では、研究でき
ない。
∞手数先だが、何れはそうなる局面で、玉駒が危ないのは、どちらなのか、
という洞察力が、必要だからである。コンピュータが強くなったのはいい
のだが。コンピュータ自体に今述べた、現行は、人間しかやらないような
解析的な洞察が、AIの発達によって、当然にも可能になる以前に、将棋
等のゲーム理論に関する研究自体のブームが去ってしまう。また、プロの
将棋棋士の勢力も、数十年というタイムスパンで、対コンピュータ対局で
の、2017年の名人敗北が、根本原因で衰微してしまう。すると、
そもそも、この分野の学術研究の本道であるはずの、完全解析や、先後手
必勝の解析的といった、破壊現象の数理と言うカテゴリーでの基礎研究ま
でもが、結局今世紀末までには、すっかり廃れて、無くなってしまった。
こんなことが無いように、自然による破壊的な災害の多い国に住む人間の
一人として、”破壊ゲーム”の数理解析の研究までもが、衰退しないよう、
個人的に祈らないわけにはいかないと、私は考えるのである。
(2017/08/25)