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二中歴小将棋「相手裸玉の勝ち」のルール書きの記載のわけ(長さん)

二中歴の小将棋の説明には、末尾の相手陣3段目金成りのルール説明の後に、
相手玉を1枚にした場合、そうした側を勝ちとする「相手裸玉の勝ち」ルー
ルが記載されている。世界的に見ると、チェス・将棋型ゲームで、裸玉駒が
現われるケースの勝ち負けルールの記載については、他に類が無いという
ほど珍しいものではなく、別の外国のチェス・象棋型ゲームについて、記載
が有る事柄と、私は認識している。
 この点に関しては一説に、”平安小将棋が玉詰みゲームではなくて、裸玉
を目指す、別種のゲームではないのか”と、見る向きも有ると聞く。
が私は、平安小将棋でも、相手玉を詰んだら普通に勝ちだと思う。そうし
ないと、裸玉という、状態そのものが出現する前に、自玉が死んでしまった
場合の処置に関し、ルール上、但し書きがあっても良さそうなのに、二中歴
に、そのような記述も、特に無いからである。
 他方、一般に”裸玉ルール”というのは、駒枯れになりながらも、残った
小駒の枚数が、相手に対して、かなり多い側が存在するケースでも、引き分
けにしてしまう不合理を、解消するために存在するものだとろうと、私は考
えている。だから、この裸玉ルールが適用される局数は、少ないのが、普通
だと思う。にもかかわらず、二中歴の小将棋に、わざわざ、裸玉ルールの断
り書きがあるというのは、本来は、不自然な事だというのが、私の見方であ
る。では、二中歴の著者は、平安小将棋のルール説明に、”相手裸玉の勝ち”
のルール書きを、私に言わせるとなぜ、わざわざ入れたのであろうか。
そこで何時ものように、結論から先に書くと、

”相手裸玉の勝ち”ルールには、重要な”細則”として、”裸玉の自殺手に
対する優先”という但し書きルールがあり、その細則ルールを、実質、思い
出させるのが、二中歴小将棋の”相手裸玉の勝ち”ルール記載の主な目的

だと私は見ている。つまり、

相手と自分の側に、玉と成り金が一枚づつ残っているとして、玉で相手成り
金が取れるが、返し手で、玉が相手の1枚だけ残っている玉で、ただちに、
取り返されてしまう場合、つまり、相手の”成り金”に、相手の玉将自身が、
繋ぎ駒となっている時、相手の”成り金”駒を、玉で取ると、次の手で、
自玉は死んでしまうので、本来なら自殺手で禁手のはずなのだが、平安小将棋
では、特別に、相手が裸玉になった事を、自殺手に優先させるという、
相当に”常識はずれな細則”が恐らく有った

のではないかと、私は想像すると言う事である。
 実は、この”細則を持つ相手裸玉の勝ち”ルールが有っても、正しく指せ
ば、もとの残駒数に差が少なければ、引き分けになる事が多かった。しかし、
一方がうっかり手を間違えると、このルールが有るため、勝負が付いてしま
う事があったのであろう。そのため、平安小将棋では、駒枯れ模様で、かつ
残り駒の数が互いに僅差であっても、お互いが局面を、引き分け模様と見て
諦め無いため、積極的な、駒の取り合いが、なおも続いたのであろう。その
結果、この裸玉の自殺手優先細則ルールは、実際には、かなりの頻度で、
一方がボンミスしてしまった対局に、適用されるケースがあったと、私は見
ている。
 日本将棋なら、相互入玉状態で、成り金が、ほとんど相手陣に居る局面な
ら、たとえ一方が、無理に対局を続けようとして、手を進めても、玉を相手
陣内に置いたままで、のらりくらりと手を指し、引き分けが必然である事を、
他方は知らせようとすることだろう。ところがそうした局面であっても、平
安小将棋の場合には、駒を自分の陣に引き戻して、消耗戦を続け、裸玉ルー
ルの適用される局面にする努力を、延々と続ける展開に、なったのであろう。
 以上のような平安小将棋は、原始平安小将棋が、西暦1015年に上陸し
てから数年後の、西暦1020年頃には、九州大宰府で指されていたという
のが、私の個人的な仮説である。従って、時間的制約から、「相手裸玉の勝
ち」のメインルールが、将棋を知ったばかりの日本人に、考え出せたはずは
無いため、このメインルール自体は、輸入だったに違いないと、私は思う。
 しかしながら、ひょっとしたら、”裸玉の自殺手に対する優先細則”は、
数年のうちに、九州大宰府の棋士の誰かが、考え出してしまったのではない
だろうか。実は、裸玉ルールは、この自殺手に対する優先細則の存在の方が
重要であり、この細則が無かったら、大宰府の将棋指し場は、場が盛り上が
る直前局面で、棋士の双方が、引き分けを認めて対局を止めてしまうために、
実際には、さほど対局場の空気が、盛り上がらなかったはずだと思われるの
である。

そのため、この”裸玉の自殺手優先細則”を、もし九州の誰かが考え付かな
かったとしたら、今の日本の将棋文化は、ひょっとして無かったのでは、
ないのだろうか

と、私は8×8升目盤で、原始平安小将棋型に駒を並べて、ゲームをチェッ
クするたびに、いつもそのように考えさせられるのである。(2017/09/02)

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