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花営三代記の”将棋”は、本当に中将棋か(長さん)

それが属する一部の駒名から、特定の将棋種が指されていると、されてしまった
文献として、15×15升目130枚制後期大将棋とされた、普通唱導集と同様、
奔王という駒名が出てくるという理由だけで、中将棋とされた、室町時代の古文
書、花営三代記の”将棋”がある。普通唱導集が13升目の大将棋であると、
このブログで、何度も述べたのと同様のパターンで、花営三代記、
応永32年宣明暦2月7日等の”将棋”が、中将棋では無い可能性は、本当に無
いのであろうか。そこで、先ずは結論から書くと、

花営三代記の”将棋”は、中将棋である可能性が高いが、室町時代前期に、
大御所御前試合では、中将棋の奔王に関して、トライ・ルールを作っていた
疑いがある

と、私は思う。理由は、

中将棋は、駒の損得がどちらか一方に傾いて、損側が投了するのが普通であり、
その局面で普通は、奔王の位置が、余り関係ないように思える

からである。なお、花営三代記の”将棋”の記載は、復習すると、次のような
内容である。

応永31年(西暦1424年)宣明暦正月2日に大御所御前試合で、元行が、
貞彌と11局対局し、貞彌の9勝であった。そのとき貞彌は、元行の方の陣
に、奔王を出した。翌3日、貞彌と上総国の介である元行は、同じく大御所
御前試合で、将棋を指した。
応永32年(西暦1425年)宣明暦2月7日に大御所御前試合で、下条と
貞平が将棋を指し、奔王を出して勝ちの試合となり、勝者には賞品として、
太刀が、与えられた。

つまり、上記の文面に表れているように、恐らく二十数局のうち”奔王出し
の勝ち”と称する、勝敗の決まり方が、かなり割合が多かったと、いう印象
の文になっている。これは、中将棋の現在の相手玉を、詰めて勝つルールと
はかなり違う。そもそも、応永31年(西暦1424年)宣明暦正月2日に、

同一の二人が、中将棋とすれば、11局一日に指したというのは不自然に多い。

恐らく、今のルールで指すよりも、勝敗が早く決まるような、ルールになって
いたのではないか。一日に11局させると言う事は、たとえば

奔王が、相手陣の最奥に侵入できた局面で、勝負を付けるように、御前試合
では日程上、調整されていた

可能性が強いように、私には思える。御前試合なため作法もあり、急戦形
にはせずに、奔王を最奥に置いて、前線をしわじわ上げてゆくような、中将棋
を指す、一定パターンになっていて、対局者は二人とも持ち時間を、余り使わ
ず、将棋を指せたのかもしれない。”じわじわ中将棋”を指せば、

陣を破った方が、奔王のトライができるので、指しているのが中将棋な感じ
はする

と私には思える。が、恐らく玉を詰むまで将棋は指さずに、トライで、勝負
を決めたから、一日に11局も、同一人の組み合わせで、指せたのでは、
あるまいか。何れにしても、

”構成する駒の一部が出てきたから、指している将棋種は、
それが含まれる著名な将棋種と、決め付けるのは、危ない”

という故溝口和彦さんの教えが、今や私にとっては、当たり前のように思え
ている。(2017/09/23)

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