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大大将棋の”古時鳥”と”盲猿”の謎(長さん)

大大将棋に古時鳥と、盲猿という駒がある。古時鳥は老鼠の成りである。
そして大大将棋を更に大きくしたとの、意味の名前のついている、
摩訶大大将棋で、老鼠の成りが蝙蝠に変化し、盲猿が無くなって、盲熊
と、古猿という駒が、新たに発生している。なお、大大将棋の盲猿と
摩訶大大将棋の古猿は、同じ山母に成るので、関連は明らかである。
なお、以下の議論で必要になるので、山母と、大大将棋の古時鳥の動き
について、比較する。これらは互いに、

上下をひっくり返すと、同じ動きになっている。

山母は前に一歩、斜めと後ろに走りだが、大大将棋の古時鳥は、概ね、
後ろに一歩、斜めと前に走りとされる事が多い。
 以上の事は、何を意味しているのであろうか。最初に結論を書くと、

歴史的に摩訶大大将棋の成立が、大大将棋よりも早いことを隠す、
偽装工作の存在を示唆している

のように、私には見える。しかも、大大将棋の成立した時代に、摩訶大
大将棋の改変が、大大将棋の作者の作成した、今には残らない、文書や
パンフレットのようになもので、なされ、実際にはその時代には、ほぼ
中将棋しか、駒数多数将棋は指されていなかったため、先発の摩訶大大
将棋の改変に、簡単に成功したことも示していると思う。なお私見だが、

摩訶大大将棋の太子が王子なのも、それが成立した少し後の、こうした
改変のたぐい

だと私は思う。
 まず、古時鳥についてだが、ずばり、改変前は、古時鳥の動きは、
現在の蝙蝠の動き、つまり、前と斜め後ろに走りであって、

実は、古時鳥は摩訶大大将棋の駒、蝙蝠が大大将棋の駒

だったと私は思う。山母の動きの図を書くと、走りを線で現すと、はり
つけにされた、人間の形のようだが、それをひっくり返すと、岩の天井
から人間か何かが、ロープで逆さづりになっているような形になる。
だから、大大将棋の現在の

古時鳥は本来、蝙蝠という名前を付けた方が、適切な動き

である。最初は恐らく、そう名前をつけたのではないか。
次に、現在の摩訶大大将棋の蝙蝠は、淮鶏の成りである仙鶴と、合体さ
せると、奔王の動きになっている。だから、

現在の摩訶大大将棋の蝙蝠は、本来は古時鳥だった

のではないか。何故なら、古時鳥と仙鶴の元駒である、淮鶏とは、どち
らも、

中国の故事にちなんでいる

という点で、共通性があるからである。古時鳥は”古蜀の王様、望帝杜宇
(ぼうていとう)が泰の国に滅ぼされて魂が故郷に帰れずに、ホトトギス
の姿になって鳴く”という話に出てくる、”古蜀の時鳥”の事であろう。
また淮鶏は、”淮南の国の劉 安(りゅう あん)の飼っていた鶏が、主人
が術を得て、出世した事により、空を飛べるようになった”という話に
出てくる鶏の事であって、そのため成りを、”仙人の鶴”にしたのであろ
う。つまり、本来

古時鳥と、淮鶏とは、どちらも特定の同じ将棋種に並存すべき駒

だと私は見る。
 ところが、実際には、これらが、一方の古時鳥は大大将棋に、淮鶏は、
摩訶大大将棋に在る、というわけだから、どこかで、蝙蝠と古時鳥は、
すりかえられたとしか、私には思えない。

古時鳥という字が正式に書くと特殊であるため、改良後の摩訶大大将棋
の方に、蝙蝠を移して、摩訶大大将棋の方が、後作のため、こざっぱり
しているように、見せかけたが、実際には古時鳥と淮鶏が、ばらばらに
なってしまい、深く考えると、不自然に見えるようになってしまった

という事なのではないのだろうか。その結果更には、蝙蝠は、動きが
古時鳥のようになり、古時鳥が蝙蝠っぽい動きに、結果としてなって
しまったような感じが、私には、しなくもないのである。
 次に盲猿と古猿等であるが、

盲猿は、摩訶大大将棋の盲熊と古猿が、大大将棋の盲猿から発生したか
のように、見せかけるために大大将棋の作者が作成

した駒だと、私は思う。盲猿より古猿や盲熊の方が、本当は、早くから
有ったのではないか。理由は、

盲猿は、名前からして、どうみても戦いの戦力にならないので、そのよ
うな駒名自体が、将棋一般として、不自然なネーミングの駒

だからである。つまり、つじつまを合わせるため、盲熊と古猿を合体さ
せて、”祖先”を作り出したつもりだったが、そんな祖先自体が存在が、
不自然だったという事なのであろう。
 以上の事から、大大将棋よりも、摩訶大大将棋の方が、升目は多いも
のの、先発のような気が、私には、してならない。なお水無瀬兼成は、
摩訶大大将棋と表現しているが、古文書によっては、摩訶大大将棋を、
摩訶大将棋としているものもあるようである。(2017/10/02)

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