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広将棋の荻生徂徠。象が角行の動きであるのを、どうして知っていたのか(長さん)

荻生徂徠の作と伝わる、19×19囲碁盤路180枚制広将棋(和製)を
実際にプレイしてみると、射る駒に挟まり、象が角行の動きなのに、気が
つく。象には成りが無いのも、力士と共に特徴的だが、角行の動きから、
西洋チェスのビショップとの関連が、ただちに連想できる。ところが、
荻生徂徠の時代、西暦1700年前後は鎖国であり、日本にチェスは、
ほぼ知られていなかったようである。なお象が角行の動きというのは、
それ以外では、四人制チャトランガの時代の、11世紀より以前のインド・
チャトランガの象が、恐らく角行動きである事と、私の独説であるが、
西暦1015年に日本に、大理国から、その宮廷の将棋が輸入された時点
で、ひょっとして、”切り落とされた象駒”が存在し、かつ、その動きが、
角行の動きの可能性がある、という程度で、希少である。ちなみに、西暦
1700年頃には、西洋チェスのビショップはビショップであり、元駒が
象であるというのも、その時点で欧州でも全域で、広く知られていた話では、
なかったと、増川宏一著(2003)の、ものと人間の文化史110
”チェス”で読んだ記憶が在る。
 では、荻生徂徠は、象が11世紀以前のインドチャトランガ等で、斜め
走りの角行の動きであったのを、何処で知ったのであろうか。
 残念ながら、これについては、

 安土桃山時代の南蛮文化の流入が盛んだった頃の、西洋チェスの詳しい
歴史の記録知識の残存の可能性と、興福寺の11世紀の酔象のルールを、
どうやってか、荻生徂徠が知っていた可能性と、たまたま角行にした
可能性が、1/3づつ位

だと、私は思う。ただし67%位、現代人でも知らない、

ビショップは象で、かつ象も、もともと大昔も角行の動き

というのを、荻生が、相当の勉強家で、知っていた可能性がある事を、
広将棋という、彼の作成した無形文化財は物語っているのだと、私は思う。
現代でも、web上では、”象駒と言えば酔象であり、それは、後退でき
ない玉将の動きである”と、説明されているのが、せきのやまである事を
知れば、荻生の文献の読破量等、勉強量の恐るべき多さが、少しだが、判
った様な気に、私もなってきたような、気がしてきた所である。(2017/10/04)

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