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中将棋の鉄将の消失と、金、銀、銅の飛車、堅行、横行成りはどちらが先か(長さん)

前に本ブログで、①南北朝時代の中将棋の初期配列には、恐らく鉄将があり、
92枚制ではなくて、96枚制であろうと述べた。また、金将が飛車という
ように、歩兵や仲人を除いて、②小駒が走り駒に成るルールは、普通唱導集
の時代の大将棋に、シャンチー象の斜めが縦横動きに対応する猛牛と、嗔猪
が共に存在していたとみられる事から、飛牛と奔猪を考え出すことが容易な
ため、成立は、比較的早期だっただろう、との旨も述べた。

では、①と②は、どちらが先かというのが、今回の議題

である。回答を書くと、やはり、

①の鉄将の消失が先でないと、鉄将の成り走り駒の元存在による、成りの
違う、中将棋の駒の出土が疑われるが、今の所その気配も無いので、
今の所は①が先で、②は後だったのだろうと、考えざるを得ない

と思われる。ただし、鉄将の有った96枚制の時代にも、暫定的に金、銀、
銅、鉄には、走りの成り駒を作る動きはあったと考える。そして以前に述べ
たように、金が飛車、銀が角、銅が横行、鉄が堅行とか、金が飛車、銀が
堅行、銅が横行、鉄が角成りという試作時代が、実際には、ごく短い期間
存在し、

②の成り駒作成の動きが、中将棋では①の鉄将の処理と、同時進行だった
可能性がかなり高い

と私は推定する。そもそも、①は現時点で私の仮説に過ぎないのであるが、
大切な事は、

中将棋では、②の小駒の大駒走りへの成りルールが、①の鉄将の存在によっ
て支障をきたす可能性が、余り無い

と考えられる点である。つまり、

容易に考え出せる走り駒の種類が、中将棋の成りルールを考えたときに、
現行がいっぱいいっぱいであって、鉄将が存在すると、成りルールを作りに
くかったという事が無い

と考えられると、言う事である。実は、これは成り駒候補が、余っていると
言う意味ではない。実は足りないからなのである。すなわち正確に言うと、

盲虎の成りの分、自明な成り走り駒はもともと1種不足していたので、鉄将
が仮に残っていたとすれば、鉄将か猛豹のどちらかの成りも、考えなければ
ならなかったという点で、不足が1つが2つに増加するので、五十歩百歩で、
いっしょ

と、考えられると言う事である。つまり、

飛鹿という駒が、

南北朝時代の、成り駒ルール確立の時点で、既存の情報からは、容易に類推
する事ができず、

相当苦労して、捻り出さなければならなかった駒

だと、私は推定している。だから、鉄将が中将棋に残っている96枚制の
時代に、現在中将棋らしい成りとして知られる、大きく成るルールを作る
にしても、92枚制にしてから、作っても、苦労がほぼいっしょな事は、
明らかだろうと、私は考える。つまり96枚制のときにも、将駒と猛豹の
所だけ、違う駒構成の大幅成りルールが、それなりにあっても不思議は無い
と言う事である。ただし、実際には鉄将が消えたので、目に付くまたは、
鼻につく新参者は、飛鹿だけになった。しかし、

当時仲間からは、飛鹿という駒の作成に、なぜかほとんど、文句が出無かっ
たのであろう。これは中将棋の成立にとって、きわめて幸運な事だった

と私は考える。なお、鉄将が残っていたとしたら、私なら、金が飛車成り、
銀が角行成り、銅が横行成り、鉄将を堅行成り、猛豹を和将棋の走兎の動き
にするように思う。更に私なら鉄将が消えてから、成りは、現行のように、
再構成するに違いない。つまり、このケースは、飛鹿と走兎という、それ
までに恐らく存在しない、2種類の成り駒ルールを、考えなければならない
のだが、92枚制に変化しても、とのみち飛鹿の追加が必要なので、2種が
1種に減るだけなので、96枚制のときに、成りが無い理由が無いのである。
なお仲間から異議が出なかったのは、

中将棋が奈良県等、鹿が多い所で最終成立した

事を、あるいは示しているのかもしれない。何れにしても、

飛鹿が発生した事により、いろいろな駒の種類を作成するという動きが、
以後盛んになり、駒の数が多い将棋が具体的に、その直後から、どんどん
作成されるようになった

とは、容易に推定できるような気が私にはする。だから、実際には、中将棋
の成りが成立してほどなくして、

曼殊院のように、将棋の駒の字体を手本にして、習字をするような寺に
関連するところで、後期大将棋を跳び越えて、摩羯大将棋、すなわち摩訶大
大将棋が、比較的早く成立したとしても、さほどおかしくは無い

ようにも思える。たまたま中将棋で、成り駒が1種類足りなかった事が、
曼殊院の将棋図に見られるような、いわゆる六将棋のうちの駒数多数将棋が
成立する、引き金になったのかもしれないと、以上のように現時点で、私は
推定すると言う事である。(今回 以上)

以下追記。
 今回で、実は本ブログの記事数が、故溝口和彦さんの、将棋史のブログの
記事数に、単純数比較でほぼ並んだ。当初、溝口ブログの記事数書くのが、
私も内心の目標だったので、最近までは、日一で更新してきた。しかしこれ
からは、書き込みのペースを、少し落とし、何か重大な発見が、あったとき
だけに、ブログを更新しようかと、正直最近までは考えていた。
 しかし、過去のこのブログの、各記事へのアクセス数の傾向を見ると、
特に駒数が、数十枚から百枚前後の将棋の、ルールに関する、今回のような
私の思いつき程度のつたない記事が、比較的他の方に、よく読まれている事
が判った。そこで今後は、ようするに自慢話をしたいという、余り褒められ
ない更新動機へ、ブログの中心点を移さず、多少受けのよかった、思いつき
のルール成立経緯に関する書き込みを中心に、できるだけ、今まで通りのパ
ターンで、連続して続けるようにしようと、思うようになった。つまり結果
として、結局このブログは、”ここ1年の中将棋の、実際に存在した底の時
代”を、なんとか下支えする役目を、意外にも、果たしてきたと考える。の
で、やっと一つだけ得られた、このブログの社会的役割自体を、これからも
大事にしてゆきたいと、今は考えているところである。(2017/10/13)

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