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中将棋の最下段、金、銀、銅、猛豹と並んでいるのは何故なのか(長さん)

中将棋の初期配列を見ると、将が4種類(色)で7将、銅将の隣が猛豹が
配置されているのが、特徴的である。本ブログでは、中将棋に桂馬が無い
のは、普通唱導集大将棋、第2節で、桂馬で仲人を支える、定跡が生じて
しまったのを、防ぐための桂馬削除との立場を取る。従って、猛豹の位置
に、大将棋流では、配置されそうな桂馬が無いのは、理由があり必然と、
ここでは見ている。だが、猛豹が盲虎の虎と、本来、南北朝時代には雄雌
の関係であると、考えられた事から、盲虎が2段目に有るのならば、猛豹
も、2段目にあるのが自然と、解釈している。すると、現実に猛豹が配置
された位置には、本来鉄将が有るべきとのイメージが、浮かび上がって来
る。本ブログでは、中将棋の堅行列は、歩兵の下が、堅行、猛豹、鉄将と
いうふうに、びっしり駒が並んでいた時代が、中将棋成立のごく初期に有
っただろうと、推定する立場を取っている。堅行が後退できるように、空
升目を一つ、作ったのである。それは左と右で対称的なので、両方有るの
だが、たとえば相手の右龍馬・角行筋が、こちらの右堅行を、睨んでいる
配列になっているから、右堅行が後退できる要素を作るために、鉄将か、
猛豹の、どちらかを除く必要があったから、結局鉄将が除かれたと思われ
るのである。では中将棋で、

鉄将と猛豹とで、単純に猛豹を止めないで、鉄将を取り除いてから、猛豹
を下げたのは、なぜなのだろうか。

以上が今回の課題である。答えを、いつものように直ぐに書くと、

大将棋に関して、玉、金、銀、銅、鉄の5色9将制、小将棋に関して、
玉、金、銀の3色5将制のイメージが、中将棋の成立時に有り、中将棋は
その中を取るのが、すわりが良いと考えたので、中将棋に関して、
玉、金、銀、銅の4色7将ルールが、成立した

のだと私は思う。逆に言うと、

後期大将棋の、玉、金、銀、銅、鉄、石の6色11将制は、
中将棋が成立した時点では、少なくとも、まだ充分に普及していなかった

のではないかと、私は疑う。つまり、これは、中将棋の方が15升目制の
後期大将棋よりも、成立が早いという、一つの証拠なのではないだろうか。
もともと、後期大将棋は、中将棋を12升目制、小将棋が9升目制と確定
してみると、等差数列かつ、聖目の間隔が、大、中、小で5、4、3にな
るという、恐らく15×14升目制朝鮮広将棋が伝わった、末期高麗末期
元時代に、流行った幾何学的美しさから来る正統性の発想から、15升目
になったものだというのが、私の推定である。
 しかし、中将棋自体は、それ以前の普通唱導集時代の、私の推定する
13升目制大将棋の行き詰まりが、発生の原因だったはずである。従って
中将棋のデザイナーがイメージした”大将棋”は、6色11将の後期
大将棋ではなくて、五行説の影響も受けて、5色9将制だった、平安大将
棋系列の、大将棋では、なかったのではなかろうか。

そのために、金銀銅というのは、口調として良い響きであるし、小将棋が
3色、大将棋が5色であれば、間をとって、4色にするのが、すわりが良
いと考えて、猛豹と鉄将のどちらかを、削除する必要が発生した時点で、
やや形の対称性が崩れるにしても、鉄将を削除する選択をした

と、私は考える。この仮説は、中将棋で、たとえば現在の猛豹を、後期大
将棋の、3方向歩みの鉄将に変え、仮想中将棋の鉄将の成りを、角行に変
えたとしても、中将棋ゲームには、大きな影響が、実は無いのではないか。
つまり、

中将棋では猛豹は、ほぼ前進させるだけで、後退する手を指す事は現代で
も稀なのではないか

という、着想から来ている。私は中将棋に関しては、余り深くないので、こ
のあたりの事は、今後、中将棋を良く指す方に随時、聞き取り調査等を、
して、正しいかどうか、チェックしてみたいと考えている。(2017/10/15)

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