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後鳥羽上皇御前で将棋を指した清寂。今小路と同じ小将棋を指したか(長さん)

鎌倉時代前期の将棋の史料として名高い、隠岐に配流となった後鳥羽上皇の
御前で、静寂という元武家で、元上皇家来の僧侶が、西蓮という、将棋が余
り強くないとされる上皇のお供に、指して負ける大日本史料に載った将棋逸
話がある。
 前段で、静寂は、自己が鎌倉(?)今小路の賭博場(?)のランキングで、
①B組の上位に居る事、個別調子の良い局では、A組の下位のような差し回
しをするとの旨を、自慢している。
更に自慢話は続き、②上皇の付き人の一人で、かなり将棋が強いと、考え
られる、蓮家という者とは、仮に蓮家桂馬落ちで指せば、楽に静寂の勝ちと
なり、たぶん蓮家歩兵落ちでも、静寂は勝てるだろうと、上皇の面前で言っ
てのけたようである。
 ところが、この史料によれば、③上皇の家来の内で、もっとも将棋が弱い
とみられた西蓮と、静寂が、恐らくその場で、実際に将棋を指した所、西蓮
と自慢した静寂に関しては、棋力で西蓮の方がだいぶん上と、御前将棋の場
に居た面々に、目撃されたとの落ちになっている。
 ところで前回述べたように、本ブログでは、鎌倉時代前期、小将棋には、
8×8升目32枚制原始平安小将棋(持ち駒無し)と、9×9升目36枚制
標準平安小将棋(持ち駒無し)とが混在していたとの立場を取る。では、

鎌倉今小路で指されていた将棋と、隠岐島の後鳥羽上皇の御前で、
西暦1221年指された将棋は、小将棋であるとして、どちらがどちらなの
であろうか。

一般には清寂が、別のゲームを持ち出して、己の棋力を自慢するとは考えに
くいので皇室御前であるから、どちらも9×9升目36枚制標準平安小将棋
(持ち駒無し)なのではないかと考えるのかもしれない。が、私は、

ひょっとすると、それは間違いなのではないか

と、少なくとも今では考えている。つまり、静寂が

鎌倉今小路の賭博場で指したのは、8×8升目32枚制原始平安小将棋、
後鳥羽上皇の御前で西蓮と静寂が指したのは、静寂歩兵程度落としの本来、
9×9升目36枚制標準平安小将棋だった疑いが有る

と、私は思っているという事である。理由は、

①の特定の局での棋士の調子は、平手の原始平安小将棋(持ち駒無し)で、
裸玉を目指した差し回しの局面で、発揮されやすいように、私には思える
こと、②の駒落とし将棋について、上皇の御前で指す将棋のケースにしか、
静寂が言及していない点を、怪しいと感じるからである。つまり、敢えて
上皇の御前では、平手将棋に言及せず、

9升目制標準型平安小将棋の序盤の後手真似将棋による、仕掛け直前行き詰
まりが、後鳥羽上皇の目の前では起こらないように、静寂が、話の言い回し
を皇族に対するときには、配慮及び工夫しているように、私には感じられる

と、言う事である。つまり、

どちらかが駒を落として指せば、9升目標準平安小将棋の粗が見えてこない

という訳である。他方、①の鎌倉今小路の賭博場での自己の活躍について、
静寂がハンデ戦の状況を、ゴタゴタと述べて、い無いのは、当然、普通は
その当時から見て”昔ながら”の、8×8升目32枚制原始平安小将棋を、
平手で指して、Aブロックに配置されるか、Bブロックに落とされるかが、
決められているからなのではあるまいか。なお、以下は、私の個人的な
認識で、一般に認められているようには思えない話なのだが、

9升目36枚制標準平安小将棋では、桂馬にしろ歩兵にしろ、駒を一枚
落とすと、形勢に大差がつく。

と私は理解している。つまり西蓮と静寂が、静寂歩兵落としで9升目36
枚制標準平安小将棋を指せば、西蓮が、よほど棋力が無いなら別だが、
静寂には楽に勝てただろうと、私は予想している

と言う事である。なお、

9升目36枚制標準平安小将棋(持ち駒無しタイプ)については、その駒
落としルールによるハンデの程度について、現在でも余り研究例を、私は
見ない。

しかし、それを確かめるのは、100円ショップの将棋具を見る限り、困難
だとは私にはとても思えないので、今後以上の議論に関連して、多くの研究
例が現われるように、期待したいと私は考える。(2017/10/23)

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