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普通唱導集の大将棋。縦横歩み駒を何故「嗔猪」という名にしたのか(長さん)

前に、普通唱導集の大将棋に、平安大将棋の駒が本質的に皆含まれていると
すれば、虎、猪、龍の駒が有る事は確定だと述べた。そして、恐らくその
時代には、動きに対称性が高かった、縦横歩み駒の嗔猪を入れたのは、猛虎
と斜めと反対動きの、縦横動きの駒を作るためだったからだろう、と述べた
ように記憶する。しかし、この「回答」は、良く考えると不十分であった。
なぜなら、表題に示したように、

縦横歩み駒が嗔猪である理由の回答に、そもそもこれではなっていない

からである。なお、嗔は酔象の酔と語呂合わせでつけた修飾詞で、どちらも
仏教徒の戒律違反に関連する漢字という点で、共通であるというのが、本ブ
ログでの見解である。
 そこで上のように再度問題提起をし、更にこの論題に関する回答を書くと、

五行説にあわせるためには、干支で鼠か猪を入れなければならなかったため、
より強そうな、猪の方を選んだのが、そのようになった原因ではないか

と、私は推定する。私は普通唱導集の大将棋の将駒は、玉、金、銀、銅、鉄
の五色制説を採るが、これは陰陽五行説に基づく数だと思う。
 しかし、考えてみると、玉は五行のどれだか良くわからないが、残りの
金、銀、銅、鉄は、何れにしても”金”の仲間である。つまり、五行のうち
金は有るが、残りの木、火、土、水は、将駒の中には無い。そこで、残りの
駒のうち、十二支駒の十二支を、五行に当てはめた”性”で補おうとして、
結果として、猪が入ったのではないかというのが、上記回答の主旨である。
 五行説と十二支の性区分については、webにも書いて有るが、成書と
して、私が個人的に愛読している本、鈴木敬信氏の「暦と迷信」
(1935年。1969年再刊)の説明によると、次のようになる。

鼠_牛_虎_兎_龍_蛇_馬_羊_猿_鶏_犬_猪_鼠
__土__木__土__火__土__金__土__水_

普通唱導集の大将棋には、平安大将棋の駒が、本質的に全部含まれていると
すれば、木性の虎、土性の龍、火性の馬(桂馬)が有るのであり、金将・・
・等の金性の金気駒を入れると、無いのは水性の駒だけである。従って、
五行全部を、普通唱導集大将棋の中に含めるとすれば、残りは鼠か猪が必要
になりその結果、

水性の猪駒が加えられた

と私は推定するのである。つまり、

普通唱導集の大将棋は、仏教とか、神道(熊野の龍信仰)とか、五行とか、
宗教と関連する駒が、中世成立のゲームで有るがゆえに多い

と、私は考えている。なお、本ブログによると、2段目をぎっしり詰める
ため、猛虎、飛龍、嗔猪のほかにもう一種、龍と同様土性の猛牛があった
だろうと推定している。ただし、このように推定すると、陰陽道師ほどに
は、宗教にのめり込んでいない人間が、普通唱導集の大将棋を作成した
ものと考えられる。というのも、外側から、反車は除いて2段目の
配列を(桂馬だけ少し変則的だと考えた上で)、猛虎まで辿ると、飛龍、
(桂馬)、嗔猪、猛牛、猛虎となる。つまり、強そうな動物だけを選んで
いる点を考慮に入れると、だいたい

兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪、鼠、牛、虎の順で並べようとして
いる

と、言う事である。途中で初めて、猪から鼠に戻るのは、平安大将棋の
桂馬を含めた2段目配列が、外側から龍で始まって、虎で終わるので、
それに合わせるためだろう。そして、この配列と、五行説の性の対応付け
は、先の鈴木敬信氏の「暦と迷信」の紹介のように、

変則的で、同じ性、特に土性がばらばらで、一塊にならない。

つまり、

12支は干支の順に並べると、五行説との対応が、判りづらい物

なのである。にもかかわらず、安直に干支の順に並べたのは、きっちり
五行説を宣伝したい訳でも、作者は特に、無かった事を示すのであろう。
 何れにしても、もとの平安大将棋の猛虎から飛龍までの2升目の空白部分
には、干支駒を入れるというのは、考えやすい選択であり、事実、そこには
嗔猪が、鉄将の前升目に入っていたのであろう。そして残りの銅将の前升目
には、中将棋の成り、奔猪との対駒の牛駒、飛牛類似名の”猛牛”が入って
いたと見るのが、やはり、ほぼ確実視されるのではないかと、私は今の所、
考えている訳である。(2017/11/25)

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