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泰将棋の猛鷲は、なぜ走り駒ではないのか(長さん)

泰将棋の駒に、猛鷲というのがある。個人的には、私が駒の動かし方の
ルールを記憶しようと努力する際、最も違和感を覚える駒である。
というのも、鷲駒は大体大駒で、走りや、走り+跳びの駒ばかり、だか
らである。猛鷲は、例えば水無瀬兼成の将棋纂図部類抄の泰将棋では、

斜めに2つ点、縦横に歩みのルールとなっている。恐らく斜めには踊る
のであろうが、何れにしても小駒である。

今回の論題は、何が原因で、この弱い鷲駒が出来たのかを、考えようと
いうわけである。そこで、最初に結論を書くと、恐らく泰将棋の作者は、
水無瀬兼成であろうが、

泰将棋の作者が、大大将棋の成立過程で、作りかけが出来ていて、その
中には、今は大大将棋には無い、猛鷲が存在するのを知っていたから

だと私は考える。つまり、

それほど、大大将棋と泰将棋の成立時代は、近い(どちらも、恐らく
安土桃山時代後期)

と、いう事である。ちなみに、”幻の”大大将棋プロトタイプの猛鷲の
初期位置はずばり、

毒蛇の位置であって、成ると鉤行では無いが、それに近い飛車二回動き
型の駒に成った

のだろうと、私は推定する。
 この猛鷲を持つ、プロト大大将棋から、何故”猛鷲”を除いて、新た
に考え出したとみられる毒蛇を入れ、恐らく”プロト”鉤行を、普通の
鉤行に変えたのかが、

問題を解く際の、最大のポテンシャルの高い山

とみられる。極めて理由を解くのは、難しい。が、私がいろいろと考え
て見た結果、このプロト大大将棋のプロト鉤行が、仮に、

”猟犬”という駒名であったとすれば、摩訶大大将棋と同じ、鉤行に
変えなければならない、動機付けは、一応は存在するように思え

てきた。何故なら、

猛鷲の成りが猟犬とすると、大大将棋の成立時代は、江戸時代に近い

と、誰もがイメージするからである。
 つまりこの駒名の組み合わせは、”猛獣狩り”の洒落なのだが。猛獣
狩り、すなわちスポーツハンティングが、例えば室町時代の前期頃に、
日本人に知られていたとは、考えられ難いという事である。それが知ら
れたのは、恐らくヨーロッパに、少数ながら、日本人が行くようになっ
た、戦国時代の末期の頃からに違いない。つまりは、猛鷲が、泰将棋に
残っているという事は、泰将棋の製作者とみられる

水無瀬兼成自身も、当時の時代劇のアイテムのような大大将棋を、作成
するという事をやるにあたっての、時代考証のつじつまあわせに、一枚
絡んでいる疑いがある

という事を、示しているのかもしれない。
 次に以上のような知見に基づいて水無瀬は、プロト大大将棋の初期配
列にある猛鷲を、自分の作成した泰将棋に持ってきたとすれば、猛鷲が
小駒である事が、容易に説明付けられる。何故なら、プロト大大将棋の
時代に既に、

猛鷲は、天狗に成る同じ鳥類の古鵄と、対になるようなルールだったと
見るのが、自然

だからである。なお古鵄も猛鷲も、実はルールの異説が幾つか並存して
いる。だが、たまたま水無瀬兼成の将棋纂図部類抄の大大将棋の古鵄と、
泰将棋の猛鷲は、どちらも、冒頭に述べた斜めに2つ点、縦横に歩みの
ルールとなり、

古鵄と猛鷲のルールは、そっくり同じ

であり、上記の対駒の推定と合っている。(合いすぎである。)なお、
個人的に私なら、

仮説プロト大大将棋の、猛鷲の(仮説)成りの”猟犬”は、斜めに歩める
鉤行にする

だろう。もともとプロト大大将棋では、水無瀬兼成の泰将棋流のルール
を基準にして、

摩羯が角行二回、天狗が縦横に歩める摩羯。
鉤行が飛車二回、(仮説)猟犬が斜めに歩める鉤行

だったのではないかと推定する。猟犬は、獲物を追って、飛車の動きを
2回するほどにもすばやく動き回り、かつ、獲物を捕らえる寸前には、
八方に翻って激しく動けるイメージのため、上記のルールで、名称とし
ては適切なのではないか。しかし犬を矢で射るのではなく、犬を家来と
して使った娯楽の狩猟が中世までは、日本では余り行われていなかった。
そのため、猟犬を大大将棋の駒として加えると、大大将棋が安土桃山時
代から見て、新しい将棋であるのが、バレるとみられる。そこでそれを
防ぐため、猛鷲~猟犬という駒を作るのを止めたと考えてみる。そして
その代わりに、新たに毒蛇を考えた上で、毒蛇~鉤行という駒を作って、
大大将棋が完成したで、話は合うのではないだろうか。
 しかし、恐らく水無瀬兼成が、その人だろうが、泰将棋の作者は、
プロト大大将棋の初期配列と、構成駒に猛鷲が、古鵄と対になる形で
含まれる事を、プロト大大将棋の時代が、ほぼ泰将棋の成立時代に近く、
かつ作者を、知人として知っていたため、情報を貰っており、たまたま
知っていたと見る。そこで、泰将棋の構成駒を決めるとき、古鵄同様
に、成り前の小駒としての猛鷲が、数を合わせる為に必要になったため、

鷲駒としては珍しく、小鵄並に弱い小駒としての”猛鷲”を、泰将棋で
は導入する事になった

のではないかと、私は推定するのである。逆に言うと、これは今までに
このブログで述べた事が、仮に正しいとすると、繰り返しになるが、

大大将棋の作者と疑われる書道の先生と、水無瀬兼成とが、実は顔見知
りであった疑いが、かなり高い

との推定も、出来るという事ではないかと、私は見ているのである。
(2018/01/16)

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