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9升目42枚制朝倉小将棋は、なぜ指されたのかⅡ(長さん)

前回、西暦1530年~40年に、後奈良天皇によって、酔象を取り除く
べしとの詔も有って、流行らなくなったという、言い伝えで知られる、
朝倉小将棋が、ゲームとしてディフェンス過剰という問題が、そもそも
有りながら、戦国時代にかなり指されたとされる、理由について考えた。
 前回は、理由は不明とし、酔象が太子という、玉駒に成るルールは、
防御側にとって、著しく有利なため、

攻守のバランスの崩れは、そもそも、かなりひどいものである、

との指摘をしたに留まった。その後、いろいろ検討した結果、改善の候補
としては、

取り捨てルールでは調整無理であり、持駒有りの場合だけ、どうにかなる

と考えられるようになった。すなわち、以下の方法が考えられるのに、私
は気が付いた。

持駒ルールで、通常有る”禁手”を全て撤廃し、相手玉を詰もうとする、
攻撃側に、幾分有利なように、ルールを変える

事である。ようするに、2歩でも3歩でも、同じ筋に歩兵を打つのも自由、
動けないところに、歩兵、香車、桂馬を打つのも自由、相手が詰んでしま
うのに、最後の手で歩兵を急所に打つのも、自由にするのである。なお、

相手から奪った、玉将だけは打てない

事にする。この点だけを、禁手にするのである。従って逆に言うと、太子
成り酔象は、現行のルールとは異なり、相手の駒をリサイクルできるもの
とする。
 このルールで指してみると、特に

2歩打ちが出来るため、酔象を追いかける手が、かなり幅が広がる

のに気が付いた。従って、太子を守るにしても、”やっとこさ”になる。
 むろん、このゲームでは基本的に、

太子は、入玉状態で出来る訳けだから、通常の日本将棋では、入玉規定で
概ね勝敗が決まる状態で、太子詰みのゲームを、更に続ける事が多い。

従って、持ち駒ルールの、打ち駒の禁手が同じでは、日本将棋と全てが
同じであり、ゲームにならないのは、最初から当然だったかもしれない。
 もともと戦国時代には、持駒ルールは有ったのだろう。しかし江戸初期
からのように、ルールが整備されていたかどうかは、謎かもしれない。持
ち駒ルールと言っても、相手の駒をリサイクルできるという程度で、禁手
が何なのはは、ひょっとして、はっきりとは決まっていなかったのかもし
れないと、私は疑う。
 そのため、2歩や3歩も自由で、

普通に40枚制の日本将棋を指すと、相手玉が、簡単に詰みやすすぎる感
が、上級棋士には、もともと有ったのかもしれない。

そのために、普通唱導集時代の大将棋から有った、釈迦の太子時代への
信仰の流れで、たまたま中将棋の真似で、太子成り酔象も取り入れられて、
飛車角のほかに導入されて指された。そうして、その朝倉小将棋が、ある
程度流行る要因になったのかもしれない。
 ただし実際には、太子入玉将棋は、自分の太子を固めるのに、双方夢中
になれば、

引き分けになる事が、依然多い

と思われる。つまり、このように相手玉が、詰み易いルールを敢えて導入
しても、

朝倉小将棋は持駒有りタイプだとしても、それでも攻めが弱すぎる

ゲームには変わらないとは、私には思われるものである。(2018/03/23)

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