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”興福寺出土駒時代には香車が無かった”と言う事は有り得るのか(長さん)

5月8日より、奈良で興福寺出土駒(1098年分)関連の展示が
始まっている。産経新聞等によると、新たに公開されているのは、
酔象一枚と、歩兵7枚、桂馬1枚の計9枚と、出土年西暦1098年
を証拠づけるとされる、年号の入った木簡1枚と聞く。
 他方、興福寺の西暦1058年版の出土駒は、公表では、玉将3枚、
金将4枚、銀将1枚、桂馬1枚、香車0枚、歩兵5枚、不明1枚の、
計15枚と、両面歩兵木簡と、酔像、金将、歩兵文字入り、習字木簡
と認識する。私見では、天童の将棋駒と全国遺跡出土駒記載の番号で、
7番の駒は、裏面と見られた面の下の、汚れと間違えられている模様
が本当は”馬”であって、よって、桂馬駒であるとする。これは、裏
の金将の字が、表面のように見えていると、考えたと言う事である。
このような事を、考えなければならなくなる理由は、8升目32枚制
の原始平安小将棋とすると、金が前世紀発掘分については、1枚弱し
か、平均すると、確率として出土しないはずなのに、実際には4枚と
出土枚数が多い理由を、説明するためには、このような解釈が、必要
だったのである。
 ともあれ結局、現時点での公表が、玉将3枚、金将4枚、銀将1枚、
桂馬2枚、香車0枚、歩兵12枚、不明1枚、酔象1枚の、計24枚
と、両面歩兵木簡と、酔像、金将、歩兵文字入り、習字木簡と言う事
に、1098年分を加えると、合計では、なったようだ。
 これにより金将の割合は減ったが、習字木簡にも金将の字があるの
で、それを考慮に入れると、金将が、やや多い傾向が残ることには、
変化がないと私は、依然注意している。
 また、金将の程度と、ほぼ同一程度のばらつきだと見られるが、
金将とは逆に、

香車が一枚も出土し無いのも、出土駒の数が増えたために、かえって
以前よりも目立ってきた

ように思われる。
 今の所、”平安小将棋系の将棋用にしては、香車が有意に少ない”
と言うには、あと3枚程度だけ、別の駒だけが興福寺で、出土する必
要があるように、私には認識される。なお、理由は何かを、本ブログ
流に論題にしたとしても、

今の所、原因は全く見当がつかない。

もっと出土したなら、香車駒も混じるような気が、個人的にはする
のだが。それこそ本当なら、日本の将棋は、外国のゲームのパターン
を余り気にせず、自国で作成され、その後、外国のパターンに多少近
づいたとでも考えるしか、しかたがなくなるだろう。(2018/05/11)

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