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天童の将棋駒と全国遺跡出土駒の玉駒。王が4枚、玉が0枚は何故(長さん)

天童市の将棋資料館が西暦2003年に発行した、”天童の将棋駒と
全国遺跡出土駒”には、500枚に近い、その時点で知られた出土駒
が掲載されている。その中で、一文字で王と書かれた駒が4枚、記さ
れているが、玉だけの駒は、はっきりしたものは無い。なぜ、王将、
玉将の他に、”王”という駒が特に出土しているのか、その理由が、
今回の論題である。回答を書くと、

王様の王という意味の駒を、しばしば作成しようとしたため

と、本ブログでは考える。本ブログ流に言うと、”王将”は、天皇家、
皇族の血筋を引く将軍のイメージだが、”王”は、更に一歩進んで、
天皇そのものが、軍隊の中央に居る感じである。なぜ、作者はそのよ
うな、平安小将棋を作ろうとしたのかと言えば、

”皇族の血筋を引く将軍”でも、”皇族の長”でも、ゲームのイメー
ジとしては、大して変わらない

と、考えたからだろうと推定する。中央に天皇や皇族がいて、大事な
事は、左右に対称的に、金将、銀将・・と、家来が並ぶゲームとすべ
きとの、西暦1080年頃と見られる、

大江匡房と、白河天皇の思考に素直に従った、9升目36枚制標準
平安小将棋用の道具として、これらは作られたものである

というのが、本ブログの見方だ。
 そこで、以上の点を、以下少し詳しく説明する。まず、
玉が出て居無いという点だが、
 玉一文字と、天童市将棋資料館の研究者には推定された駒が、実は

一枚だけある。

大阪府の、高槻城三の丸遺跡の、上記書籍で⑩と表現されている、中
将棋とみられる駒である。私見だが、この駒は、

普通の二文字の玉将に、私には見える。絶対の自信は無いのだが。

ただし、書籍の書き方から見て、逆に”一文字玉”と、絶対に見てい
るような、記述にもなっていない。字が擦れて、良く判らない駒であ
るからである。そこで、ここではこの駒は、カウントから外している。
 次に4枚、一文字王が、カウントされいるときに、一文字玉が、一
枚も無いのが、統計的に有意に異常かと言う点だが、

私見だが異常であり、なんらかのコメントをつけるべきレベル

だと、本ブログでは考える。
 そこで具体的に、本ブログがコメントをつけるとすれば、

玉を、玉と表現したり王と表現したりと言うフレは、平安時代末期に
至っては、日本人の漢字に対する認識としては、もはや無いのだから、
王は、王様の王という駒を、普通に作ろうとした証拠と見るべきだ

というものである。
 我々は、王という辺を持つ漢字を、おう(王)へんの漢字、または、

”たまへんの漢字”と、学校で教わったようだ。

これは昔、”ぎょく”を王と書いたらしく、この形を辺に持つ漢字は、
確かに大体、”球系”の意味があるからだろう。しかし、

”球や玉の意味での王では、紛らわしいから、王に点を付けて玉にし
た”というのは、将棋の伝来よりは、ずっと昔の事だ

と、私は認識する。だから、将棋の駒で”王”一文字の駒は、

本当は”ぎょく”と読ませたいのに格好を付けて、将棋史からみると、
ウルトラ古型の字を、気まぐれに書いたとは、すこぶる考えにくい

と、私は思う。平安時代の院政期には、日本では完全に、王は王様、
玉は”たま”つまり”ネフライトの”という、形容詞の漢字、だった
のではないのだろうか。

だからその証拠に、その反対の、気まぐれで元に戻した、新形の一文
字”玉”を書いた駒など、全く出土しない

のだと私は思う。板切れに”ネフライトの”と書いても、意味が不明
だ。だから玉という字を、将棋駒の名前として使うときには、必ず、
”ネフライトの将”の意味になるように、玉将と書いたので、一文字
玉という駒は、現実には皆無に等しい出土状態なのだろうと、私には
思われるのである。なお古い情報満載の諸橋漢和辞典でも、王という、
個別の漢字の説明で、”玉の事の意味にも書く”との超古代型の漢字
解釈は、特に書いて居無いように、私には読み取れる。
 現代では、誰も王と玉とは同じと見て居無いのに、漢和辞典の見出
だけを頼りにして、実際には幻の”王と玉同一神話”を、将棋史家は、
これまで、うっかり、作って来てしまったと言う事は、本当に無かっ
たのだろうか。
 幾つかの将棋駒の名前の漢字を、これまで当たった感触では、将棋
の漢字の書き方は、高々1000年の歴史では、漢字の、より長い歴
史にはかなわないために、現代と、さほどには差が無いというイメー
ジになっているように、私には感じられるのだが。実際には、どうな
のだろうかと思う。(2018/05/15)

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