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栃木県足利市の足利学校跡の孔子廟前の発掘現場等を見学した(長さん)

前回述べたように、室町時代前期の事実上の遺跡である、栃木県足利市
にある、足利学校跡の中心的な建屋”方丈”の西隣にある、江戸時代の
ものである孔子廟の庭先で、3-4日前より、発掘調査が行われている
というので、様子を見に行った。
 大きなエンジン音がしていて、何か工事をしているのは、復元足利学
校の入場料金支払い所前の門をくぐると、たちどころに判った。実際、
孔子廟の所で、数人の発掘調査員と、すぐに様子でわかる人々が作業し
ていた。そして孔子廟の所には、以下の看板が張られていた。

足利学校.gif

ただし、これも一目で判ったが、水路や井戸等の水場には無関係で、
耐震工事で、地面に穴の空くと予想される領域でだけ、余り深くない
範囲で、遺物の有無が、調査されているような雰囲気である。
 下に、実際の作業中の様子の写真を掲げる。

足利発掘調査.gif

お昼休み頃に、再度行くと、作業員が引き上げようとしていたので、私
は一声掛けてから、遺物が無いかどうか、掘られている地面の場所に、
目を凝らしてみた。が作業員に確認もしたが、ビー玉が2個有る以外は、
少なくとも遊戯具関係の物品は、初期の時点では出土していないようで
あった。

残念ながら、掘っている場所が乾燥している点から見て、木製遺物の
出土は、余り期待できないような発掘

のようである。なお、足利学校自体には、前に2度行った事があったが、
大正時代の建築物である旧遺跡図書館へも、今回初めてお邪魔してみた。
蔵書はかなり充実しているが、将棋関係の新しい情報は、ざっと見た程
度では、見つからなかった。二中歴を収録した、昔の文献の収録書の明
治時代の全集らしきものを、ここでも見かけた。
 昼さがりにここを後にして、お昼をJR足利駅駅前でとった後、前回
最後の方で書いたように、足利学校の前身との説もある、足利市岩井町
の勧農城跡へ、散歩がてらに徒歩で、向かった。
 途中、渡良瀬川の土手に、カスリン台風の記念塔を見かけた。周辺
一帯が、この台風で水没したようだ。水に浮く遺物は、少なくとも地表
に近い所には、このへんでは残って居無いかもしれないと、記念塔の隣
にあった説明看板を見て、私は思った。
 さて目的地の勧農城跡は、一見すると、小さな山に建てられた神社の
ようであり、小山の登り口に、下の写真の看板が立っていた。

勧農城.gif

なお、ここが足利学校の前身だという話は、地名辞典に載っている程度
であり、この建て看板には写真のように、紹介されていなかった。
 実際に山の中に入ってみると、この山は墓地として使用されており、
赤城神社という名前で、管理はされているのだが、21世紀の今も、神
仏が習合しており、霊園の中にいるような、雰囲気の場所であった。
神社の管理は、かなり行き届いており、山の中に廃屋が一軒有って、そ
こは荒れていたが、山道はきれいに整地されていた。
 遺物としては、稲荷のキツネの像の残骸が、神社の社殿の横に放置さ
れていた。が、そのほかには、特に目立ったものは、表面を見た程度で
は、みつからなかった。
 なおこの山城には、平らな校庭が全く見当たらないので、少なくとも
私には、学校のイメージが、どうしても沸かなかった。(2018/05/27)

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