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将棋倒ししやすい駒と、将棋のゲーム種の間に相関はあるのか(長さん)

古代の将棋駒というと、名札、経帙牌の形で、厚みは無く、駒を立てに
くいというイメージがある。ところが、将棋倒しという言葉が、意外に
古くから、確かたとえば平家公達草紙や太平記に出てくると聞いており、
前から将棋史研究家の間で、問題になっている。使う将棋駒として厚み
が有る程度有り、また底の面の厚みが、先の厚みよりも太くて、縦に立
ち易い形をしていないと、将棋倒しには使えないのだが、そのような駒
が余り、出土していないからである。
 いっけんすると、駒数の多い将棋用の将棋駒は、裕福な者の持ち物な
ので、高級品の割合が多く、厚みもあって、下面が広いイメージがある
が、はたして実体はどうなのか。ここでは以上を論題とする。
 そこで、何時ものように結論を書くと、

将棋種と、下面の厚みとの間に、現実には相関は無い。
中世の武家の持ち物と見られる駒のうちの、高級品とみられるものは、
小将棋系でも、下面が厚く作られているケースの割合が、やや多く
将棋倒しに使いやすい

と言う事になった。
 以下に、経過を少し説明する。
 まず、大将棋の類であると、疑われている駒で、将棋倒しに使いやす
いとみられる駒は、

鎌倉鶴岡八幡宮出土の成り奔王鳳凰駒と不成り香車駒(?)の2枚だけ

である。
 平泉駅近くの遺跡の両面飛龍駒は、上がやや削られてから字が書き込
まれている程度。小山市神鳥谷曲輪遺跡の裏一文字金角行駒は、ほとん
ど平ら。徳島県川西遺跡の不成り奔横駒も、平らだったと記憶する。

つまり、2/5の割合であって、たとえば、他の将棋種の、下が厚い駒
の割合との間に、差がほとんど無い。

 日本将棋では、将棋倒しに使えそうな、下が広い出土駒としては、特
に古めのものを寄せ集めると、静岡県の駿府城三の丸遺跡の日本将棋駒、
秋田県の手取清水遺跡の成り々桂馬駒、鎌倉雪ノ下の遺跡の金成り桂馬
駒等、ある程度存在する。

日本の将棋は書く字を変えれば、別種のゲームの駒になるので、駒の高
級度と、ゲーム種の間に相関する要因は、もとから余り無い

のである。
 では、何が将棋駒の形に効いているのかというと、

中世に、城や館を作る木材資源を掌握していたとみられる武家の持ち物
には、高級な将棋駒が含まれている

ように、私には思える。
 指標は将棋駒ではなくて、

将棋盤で良いのを持てるような、豪族身分の者の、将棋駒なのか否か

のようなのである。
 そこで、そもそも将棋倒し用に使いやすい、底の方が厚みが厚くなる
将棋駒が、何故作られたのかという、

本質論に、私は立ち返って考えてみる事にした。

すなわちこの場合は、将棋倒しゲームをしやすいようにするために、底
の方が頭よりも、ぶ厚い将棋駒が出来たのでは、そもそも無い。

将棋駒の色と、将棋盤の色とが近い場合に、底の、分厚い将棋駒を使う

のである。理由は、

駒の名称の字が、将棋盤と全く平行だと、上記のケースは駒が消えて、
字が、将棋盤に書いて有るように、見えてしまうから

である。つまり、将棋駒と将棋盤の色が近いときに、

将棋駒の像が、視界から消えて、局面が把握しにくいようにならないよ
うに、将棋駒の厚みを上下で変えて、字を将棋盤とは、全く平行には、
ならないようにしている

のであろう。これは実際に駒を、底を何かで頭だけ持ち上げて、将棋盤
に置いて、駒字を将棋盤とが、平行になるようにしてみると良く判る。
 つまり、

将棋盤のりっぱな物を使っている、建築資材の残余で将棋盤の原材料が
入手しやすかったとみられる、中世の豪族系の武家の居所から、底の方
が厚みが厚い将棋駒が、将棋種に余り関係なく、出土やすい傾向がある

と、言う事である。
 恐らく武家が、館を作って合戦の準備をするようになったのは、平安
末期の頃からであろう。従って、そのために木材を集めると、将棋盤の
材料は集まりやすくなり、それで将棋を指すと、平らな駒では、駒が
把握しにくくなった。そこで羽振りも良かった豪族武家は、将棋駒も、
高級品を使うようになった。以上の理由で平家公達草紙の書かれる頃に
は、将棋倒しに使えるような、底の厚い将棋駒が、ちらほらと現われて
いたのだろうと、私は考える。
 むしろ鎌倉時代になると、公家は羽振りが悪くなって、もともと古典
的な経帙牌の形の駒を、大将棋等に使っていたので、大将棋の駒として
は、それしか増えなかった。だから、大将棋の駒に、将棋倒しに使いや
すい駒が多いという事には、必ずしもならなかった。以上のような経緯
なのではないかと、今の所、私は考えているのである。(2018/06/20)

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