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中世の遊戯具出土分布。中世都市鎌倉に副中心が無いのは何故(長さん)

天童の将棋駒と全国遺跡出土駒の、将棋駒の出土地点分布の全国集計
地図を見ると、平安時代後期の将棋駒の出土地点分布は、京都中心で
ある。これは京都の朝廷が、全国を政治支配していた時代なため、こ
れについては、当たり前だと言えるだろう。
 ところが良く考えてみると不思議な事なのだが、日本の中世出土駒
の分布は、京都に分布中心が依然有るのは当たり前にしても、

鎌倉に分布の副中心があっても良さそうなのに、そうなってはいない。

つまり、鎌倉時代に鎌倉からは将棋駒が出土し始めているのは確かな
のだが、中世を通して、鎌倉から枝分かれして、将棋駒等の出土する
地点が、幾つか存在するような、鎌倉が副中心になるような分布には、
ぜんぜんなっていないのである。
 実際の所、冒頭に述べた天童の将棋駒と全国遺跡出土駒(天童市
将棋資料館・2003年)からも、良く見ると以上の事が判るのだが、
中世の前後期で二分しているのと、各県別に、吹き出しを付けて、
遺跡名のリスティングをしているために、中世の将棋駒の出土分布に
ついては、やや確認しづらい。むしろ、以下の成書の”遊戯具”の
出土品全国分布地図だと、以上の点が一目瞭然である。

東京大学出版会、小野正敏編、図解・日本の中世遺跡(2001)

ちなみに、中世の鎌倉時代の後期から南北朝時代にかけて、鎌倉は、
京都に並ぶ都市だったという話を、私は、中世史の研究者である
峰岸純夫氏から、”足利尊氏に関する講演会”等で、口頭で聞いて
いる。そこで今回は、この、

中世の将棋駒等、遊戯具の遺物の出土分布が、相変わらず京都一極
中心であって、鎌倉に、副中心があるようには見えない理由

について、論題としてみる。
 いつものように最初に結論から書く。

鎌倉は、衣食住に関連した、基本的な生産物を流通する経済拠点に
は中世なったが、文化がここから発進されることは、余り無かった

のではないかとみられる。根拠としては、上記で挙げた、図解・
日本の中世遺跡(2001)に、同じく大量一括埋蔵銭貨の出土分
布地図が載っているのだが、

中世の大量一括埋蔵金の出土分布については、関西と関東を2極と
として、出土品が二眼状に分布しているから

である。
 では、以上について少し補足する。
 そもそも、中世鎌倉が大都市だった事は、鎌倉幕府が開かれた事
もさる事ながら、室町幕府が鎌倉府を設置した事からみても、明ら
かとみられる。ただし、中世には戦国時代から安土桃山時代も入れ
るので、京都と鎌倉で双璧分布になるとまでは、元々期待できない。
ただし本来なら、鎌倉を中心に、京都とまでは行かなくとも、弱い
副分布中心が、有っても良いはずだ。しかし、実際に図解・日本の
中世遺跡の遊戯具の遺物の出土分布を見ても鎌倉は、京都から延び
る街道沿いの、人の賑わいのある町の、数珠状の出土プロットの、
比較的大きな”玉”の一つにしか見えない。なお、

街道沿いに分布が延びているのも、遊戯具の遺物の出土分布の別の
大きな特徴

である。遊戯具商人や、遊戯賭博師が、街道に沿って商売をして行
く様を、私は個人的に連想する。が、こちらについては、街道ぴっ
たりに遺物が出るのが、いつもとは限らないだろうから、街道と、
将棋駒等の出土が、いつも関係すると、断定する所までは無理のよ
うだ。
 以上の事から、中世の貨幣経済とは異なり、文化としての遊戯に
関しては、ゲーム・デザイナー等の文化の発信者が、鎌倉には、
余りいないとしか、私には考えようが無いように見る。京都のオリ
ジナルゲームを東国の中心都市、鎌倉で遊ぶうちに、新たな流れが
出来、たとえば

鎌倉から新しいゲームが発生して、ここから分岐して、遊戯が鎌倉
を中心に、ここから枝分かれして、南関東を中心に広がるという事
が、中世には現実として、余り無かった

に違いない。ゲームデザイナーのような人材が、鎌倉には余り居住
していなかったのではないか。ただし、経済的には栄えており、金
持ちは、鎌倉を中心として、中世多かったのだろう。前に埼玉県北
葛飾郡松伏町の埋蔵金出土の紹介をした事があったが、大量一括埋
蔵金の方は、南関東で発掘されるケースが、比較的多いようである。
 この事から、象徴的に考えられるのは、

落ちぶれた貴族が中世、関東までは余り来なかったのかもしれない

と、思われると言う事だろう。庶民化しつつあったが、遊戯のアイ
ディアのオリジナルは、中世、貴族が依然占めていたのかもしれな
い。あるいは、古代の遷都の影響で、近畿地方の寺院の分布が、比
較的京都に、一極化していなかったのに対し、関東の有力寺院が、
中世には都市鎌倉にのみ、集中して作られたため、

将棋を指す僧侶が、関東では鎌倉に限られていて分布が狭かった

のかもしれない。
 何れにしても今後関東では、将棋駒の出土に期待するには、

鎌倉からの距離よりも、中世の大きな街道に近いかどうかを頼りに
した方が、控えめに見ても少なくとも経験則のレベルで、より有望

なように、私には見えた。(2018/07/11)

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