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埼玉県加須市根古屋の戦国時代金将駒出土の”騎西城”跡の調査(長さん)

たぶん、埼玉県では唯一の、五角形将棋駒出土の戦国時代の遺跡、
埼玉県加須市根古屋の騎西城周辺を最近調査した。成書・天童の
将棋駒と全国遺跡出土駒によると、今回調査した城から、朱書きと
みられる、(恐らく裏は無地の)金将駒が、一枚だけ出土している。
形から、一乗谷朝倉氏遺跡の出土駒の時代と同じく、戦国時代程度
のもののように、私には見える。
 埼玉県の木製出土駒は比較的珍しく、恐らく現在でも、ここ一箇
所だけなのではないかと疑われる。場所は、東武伊勢崎線の加須駅
から、南に2.5km程度の田園地帯で、近代になり、近世型の城
のモニュメントが、史料展示館として建設されている。ここは、公
園の中や、webの写真から受ける、”小観光地”ではなくて、加
須市の施設に城のモニュメントも有るという場所である。遺跡につ
いて現地の大型の立看板では、以下の写真のように説明されている。

騎西城看板.gif

 将棋駒が出土しているが、木製出土品として一ククリにされてい
て、この看板には詳細な説明は無い。史料展示館は11月にならな
いと、史料展示館は御開帳(?)されないようなので、レプリカも
含めて、将棋の駒がここに、現在陳列されているかどうかは、私に
は不明である。
 恐らく、騎西町自体が、平成の大合併で消滅してしまったので、
将棋駒出土の珍しさをアピールする者も、今や誰も居無いのだろう。

残念なことである。

 なお立看板の左上の黄色い枠で私が囲んだ部分は、拡大すると、
下のように書いてある。この城の本物は、西の端に、本丸が有った
ようである。

騎西城本丸.gif

本丸から、将棋の駒が出たのかどうかは、私は確認していない。が、
ともかく、この一帯の何処かの井戸か、遺構の底に有ったのであろ
う。実際に、”本丸”の所に行ってみると、下の写真のように、手
前南側が空き地、北側がタンボであった。本丸跡には、16世紀の
城の痕跡自体が、少なくとも地表には全く無い。

騎西城田圃.gif

 また、東側にも二の丸、三の丸と続いて、大手門があったという
ので行ってみた。住宅地と、小さな目新しい神社があっただけだっ
た。
 ここで唯一の中世の城の、本物の残存物は、下の写真のように、
最後にかろうじて残った、土塁の小山一つである。

騎西城土塁.gif

これだけ見せられて、城跡だと気がつく方は、城に詳しい専門家だ
けだろうと、私には思えた。この土塁は、私には古墳の跡のように
も見えたからだ。
 なお、この写真の木のカゲに、昭和の時代の建てられた、近世の
城を象った”遺跡史料館”の、モニュメント建造物のハコモノが見
えている。このモニュメントは、web上では、特に目立つ紹介物
だが、本ブログでは、この程度の扱いにしておこう。最初の立て看
板の記載からの心象では、この埼玉の遺跡もかつて、一乗谷朝倉氏
遺跡に似た、戦国時代の城砦都市の一つだったように、現地に行き、
私にはイメージされた。残念ながら、より古い時代の将棋駒が、更
に出そうな場所という感じは、特にしなかった。戦国時代の駒なら、
まだ近くの古井戸跡に、残されているのかもしれないと思われる。
(2018/07/12)

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