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西洋チェスのクィーンは、日本の将棋の奔王起源なのか(長さん)

本ブログで、太子成り酔象のティムールチェス起源を、後先が逆と
本ブログで否定した時に、コメントとして匿名で”大阪電気通信
大学の高見友幸氏が、今回の表題の説を、学会で発表している”
との情報提供があった。
 発表に際して、奔王がチェスクィーンを形成させたとの旨、書
かれた元になる高見氏の原稿等を、私はまだ入手していない。が、
とにかく、この、

高見友幸氏がオリジナルである、チェスクィーンの奔王起源説

が正しいのかどうかを、今回は論題としてみたい。結論を書くと、

Yes.であると、本ブログは考える。

ただし、女王自体の駒名は、奔王の変形ではなくて、大臣の欧州
各国語が、女王に訛ったためと、

駒名の起源については、本ブログでも定説のままにしておく。

つまり、

女王の動かし方のルールとして、15世紀末に、チェスのデザイ
ナーが、奔王の駒を、ティムールチェス経由で知って、結果として
日本の奔王のルールを、女王のルールとして真似る事になった

と高見氏見解の、たぶんその通りに本ブログでもみる。なお、ティ
ムールチェスの奔王駒の、当時の正しい名称は、多分記録が残っ
て居無いと、私は見ている。
 では、以下に、上記の結論に至る経過を、少し説明する。
 一番の根拠は、本ブログの見解でさえも、奔王の成立が、

西暦1250年代と、西洋チェスのクイーンの成立に比べて、
軽く200年は早い

という事である。名称で”クィーン”が初めて出てくるのは、
wikipediaによれば、西暦1250年~1300年と言
う。繰り返すが、クィーンは、副官駒”大臣”の、欧州各国語音
が、訛ったものであるという事である。そもそもわが国には、
奔王以前に西暦1200年には既に奔車があるし、西暦1230
年前後のものと本ブログでは見る、奔横駒も出土している。ので、

日本の奔王の動きの発明が、西洋の女王という名称の駒の発明に
さえ、やや先立つ事は、かなり尤もらしい事

だとみられる。
 なお、チェス史に関する定説では、今の所、この時点で女王は、
猫叉の動きであって、奔王の動きでは無いとされているらしい。
何時から奔王の動きになったかだが、増川宏一氏の西洋チェス
の歴史に関する認識では、

西暦1475年~1500年頃に、最初の文献が現われる

と見られていると私は聞く。これは、ティムールチェスの幾つかの
バージョンが指されたとみられる、西暦1400年~1450年
よりも、やや遅い。従って、ティムールチェスのバリエーションの
一つにあるとされる、

名称は私には少なくとも判らない、奔王のルールの駒を、名称が
女王を連想する等、何かあったのかもしれないが、西洋チェスの
デザイナーが、クィーンの動きに、15世紀末に取り入れた

と考えるのが、一応自然だと私も思う。
 他方、前に本ブログで見解を述べたが、

ティチムールチェスへは、各国のチェス・象棋・将棋型ゲームの駒が、
ティムール帝国の情報収集力により、ほとんど全て取り入れられた

と推定される。つまり、上記のティムールチェスの特定変形ゲーム
に存在した、奔王動きの駒は、そのような駒が、日本の大将棋系
以外には、余り見当たらないという状況から見て、チムール帝国
が日本の

奔王のルール情報を収集した後に、それを真似たものである

疑いが、結構有るという事だろう。
 以上のように推定してゆくと、

高見友幸氏が考える通りである

と、今の所、結論される可能性が、かなり高いのではないか。
 最近、高見ブログの”摩訶大将棋”は、夏休みなのか止まって
いる。実際本ブログにも、関係者が余り訪れ無くなったとの心象
だが、遅くとも季節が良くなったら、高見研究室の摩訶大将棋の
研究の再開と、更なる進展には、大いに期待したいと私は考えて
いる。(2018/07/13)

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