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拾遺和歌集によると10世紀知識人クラスは象を知っていたらしい(長さん)

前に、酔象が日本に輸入されなかった原因の一つとして、大宰府の
武者や博多の写経の僧侶が、11世紀に象を知らなかったためとの
旨を、本ブログで書いた。北宋商人が、彼らに象を説明する手間が
面倒で、平安小将棋に本来有ったはずの酔象は、右銀将に取り替え
られてしまったというのが、本ブログの考えである。当時朝廷に、
贈呈されて存在したとされる、掛け軸の絵程度でしか、日本人には
象が知られていなかったと、今まで私は認識していた。
 さて最近、大阪電気通信大学の高見研究室の摩訶大将棋のブログ
に、和歌文学で名高い、表題の拾遺和歌集に”将棋史に関連した和
歌が載っている”との旨の書き込みが最近なされた。
 そこで、私も急遽1350句前後ある本題の和歌集を、ざっとだ
がチェックしてみた。その結果、驚いたことに、11世紀に編集さ
れた和歌集だが、象が載っている和歌が、あるのに気がついた。
 西暦950年頃に、物名に詳しい貴族の輔相(すけみ)という、
和歌で有名な人物の読んだ句で、390番という番号が、拾遺和歌
集関連の成書や、webの紹介ページ等には付いている。次の句で
ある。

怒り猪の石をくくみて噛みこしは象の牙にこそ劣らざりけれ

なお、この象は、”きさ”と読むらしく、この場合”きさのき”は、
”象の牙”と材木の”黄今の木”とを、引っ掛けた(何故引っ掛け
るのか、私には不明)という事らしい。
 言うまでも無く、10世紀の日本の貴族の中で、特に物品に詳し
い、和名類聚抄の編者にも、なれそうな貴族クラスの人物には、象
がどのような姿であるかが、はっきり判っていた事を、証明する、
象の顔を知っている、日本の古代末期の貴族の句だと見られる。
 だから、将棋道具を、北宋の商人のたとえば周文裔が、大宰府の
輸入品検査の下役人、大宰府警護の武家、輸入品経文の写経僧といっ
た、象を知らない、一般的な日本人には目に付かないように、こっ
そりと直接、後一条天皇に渡せる条件だったならば、日本の将棋に
酔象駒は、欠ける事が無く最初から存在した、と言うになるのだろ
うと私には、この句を読んで推定された。なお、”きさのき”は、
11世紀の当時の歌会のときに、主催者が、御題として別の機会に
選択した事があるとの旨も、表題の和歌集の別の所で判った。
 結局私が、拾遺和歌集を読んだ範囲では、今の所、上記の1句と、
”きさのき”関連のみが、将棋史関連和歌として、リストされた。
 大阪電気通信大学の高見友幸研究室のブログには、拾遺和歌集で
注目している句がどれなのか、書いてないので私には、良く判らない。
この輔相(すけみ)の句とはたぶん違うのだろうが、こんな句も、
確かに将棋伝来時代の表題の和歌集には、載っているようである。
(2018/07/29)

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