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9升目標準平安小将棋が同大将棋の横行・飛龍を取込まなかった訳(長さん)

本ブログの見解では、9×9升目36枚制の標準的な平安小将棋は、
院政初期の白河天皇の時代に大江匡房の提案で設定され、朝廷では
永らく後奈良天皇の時代まで、”日本の標準将棋”と、見なされて
きただろうと、してきた。従って、この将棋の進化は遅かったが、
たとえば平安大将棋が形成された時代に、その普及の勢いで、大将
棋の特徴の一部、すなわち飛龍と横行という走り駒等が、平安小将
棋に取り入れられて、ゲームが改善されると同時に、旦代の難点が、
克服されるというような事が、実際になぜ起こらなかったのかとい
う、疑念が有るにはあると思われた。つまり、例を挙げると以下の
ような初期配列の、9×9升目42枚制の、大将棋とのハイブリッ
ド型の小将棋が、例えばなぜ発生しなかったのかという疑問である。

三段目:歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵
二段目:口口飛龍口口口口横行口口口口飛龍口口
一段目:香車桂馬銀将金将王将金将銀将桂馬香車

 取り捨ての日本将棋型の初期配列の将棋の方が、飛龍が両方とも
にらみ合う事はないので、更にましだが、もともとの9升目標準平
安小将棋、すなわち本ブログの言う”(伝)大江匡房完成将棋”よ
りは、上記の方が、旦代の行き詰まりが起こりにくい分だけ、幾ら
かましな感じがするのである。そこで今回は、一時的な平安大将棋
の勃興に乗じて、西暦1110年前後に、平安小将棋が、幾らかま
しな形に改善された形跡も、特には無い理由についてを論題とする。
 最初にいつものように、回答を先に書く。

上記の配列の横行と飛龍は、元々の平安大将棋では、陰陽道の観点
から加えられていた。すなわちゲーム性の改善に関して、考察が、
なされた結果、発明された駒では、特になかった。そのために、た
またま平安小将棋のユーザーに、取り入れが検討され無かった

為だと私は考える。そこで以下に、以上の結論について、若干補足
する。
 そもそも、平安大将棋に飛龍、横行が加わったのは、ゲームを面
白くするためではなくて、陰陽道に従い、初期配列の状態から出発
して、これらの駒の動きの軌跡を足すと、五行の相克を表すペンタ
グラムの五芒星型になるためだという指摘を、以前本ブログではし
た。つまり、横行や飛龍のルールは、走り駒を導入すると、ゲーム
が面白くなる等という発想よりも、玉・金・銀・銅・鉄という

5色の将駒を平安大将棋に導入したのと、ワンセットだった

と考えられる。
 しかるに、同じ五行説が根底にあって、あるいは南詔国等におい
て、結果的にはそうなったのかもしれないが、小将棋には、玉・金・
銀の3色しかない。そのため、小将棋に

横行と飛龍を導入するのは、不釣合い

だとして、朝廷の拘束に批判的であった将棋棋士でさえ、平安小将
棋に、平安大将棋の走り駒を導入する事は、余り考えなかったのか
もしれないと、私は思う。
 以上の理由で平安大将棋の駒を、平安小将棋へ移籍するという事
は、少なくとも平安時代には、行われなかったのではないか。
 他方時代が鎌倉時代になると、徳島県徳島市上八万町川西で出土
している、奔横駒も発生した。この駒の含まれる”川西大将棋”は、
名実共に、”チムールチェス型に、平安小将棋と平安大将棋のゲー
ム性能を、改善した大将棋”の始まりだった。しかし、

奔横という名称も、横行が無ければ意味不明なので、このときにも
平安小将棋には、導入されなかったと見られる。

そのうち恐らく13世紀には、角行、堅行、飛車、龍王、龍馬・・
が、大将棋には発生し、更にゲーム性の優れたゲームとなったが、

こんどは、駒の種類が多すぎて、どれを小将棋に移籍するのか、
任意性が増えすぎた。

結局の所以上の経過で、小将棋の改善は困難となり、他方朝廷の小
将棋のルールに対する、統制が有る程度行われた結果、小将棋は、
かなり長い年月の間、36枚制の平安小将棋のままになったのでは
ないかと、疑われるような気が、私にはしているという訳なのであ
る。(2018/08/05)

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