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16升目156枚制天竺大将棋はなぜ天竺大将棋という名称なのか(長さん)

増川宏一氏の成書、ものと人間の文化史 23-1 将棋Ⅰ(19
77)で、ゲームの”ネーミングの意図は、不明ないし特に無い”
との旨、記載されている事で著名な、天竺大将棋のゲーム名の
”天竺”の意味の解明を今回は以下、試みてみる。
 増川氏に続く、本論題に関するその後の研究例は、たぶん無いだ
ろうと、私は見ている。のでここでは特に、先行研究例については
言及せず、以下、早速結論から書く事にする。

江戸時代の日本人にとって、インド(天竺)は、最もポピュラーな
”熱帯の国”だった。ので火鬼という”隣接駒を焼く”、”暑いルー
ル”のある駒数多数将棋に、天竺国の名を付けた

のだと、本ブログでは考える。
 以下に、以上のように解明された経過を、簡単に述べ、ヒントが
書いてあった文書に記載された、その他の情報につき後半に触れる。
 このように推定される根拠は、以下の江戸時代の文書に、

”天竺は大熱国(領土の広い熱帯の国)である”と、書かれている

からである。

頭書訓蒙図彙・複写版(西暦1789年成立)原書編者:中村惕齋。
複写版作者:下河辺拾水。

なお上記の本は、西暦1666年成立の”訓蒙図彙”の模写本とさ
れる。インド(天竺)に関する説明は、第2章(第2冊/10冊)
の”人物”の章の最後の方に出ている。”暑い国なので、この国の
商人は、瑠璃の壷の中に(冷たい?)水を、蓄えている”との旨が、
記載されているようだ。つまり

少なくともインドの特徴が、熱帯に位置する事を表現した、天竺大
将棋の成立時代に近い、古文書が存在する事だけは確か

だと言えると思う。
 尤も実際には、インドは山岳部の気候が違うため、全土が熱帯な
のでは無いのだろう。しかし、中国元代の暦法を取り入れる時代に
なって、地球は丸く、南国は太陽の南中高度が高くて、熱帯である
事を知るようになった18世紀後半の日本人には、インドが赤道に
より近く、暑い領域の多い国である事は、常識になっていたようだ。
またインドが日本よりも広い事は、それ以前に当たり前だったので、
駒の数の多い将棋に、インド(天竺)の名を冠する事自体には、問
題は無かったと見られる。
 他方、天竺大将棋には火鬼という、移動した先の隣接升目の駒を、
”焼く”と通称して取り除くルールがあり、それがこのゲームの特
徴である事も、明らかであった。よって、

焼かれて暑いので、熱帯の大国と引っ掛けたのが、ネーミングのルー
ツである

と、説明できると本ブログでは、めでたく解明できたと考えるので
ある。
以上で、論題の説明は一応終わる。
 さて、冒頭に述べたように、以下に頭書訓蒙図彙から得られる、
その他の知見について述べる。
 この本には、摩訶大大将棋の余り知られて居無い

別称が載っている。”摩訶陀象戯”という名前である。

注意したい点は、将棋の項目が、第5分冊と第10分冊の2箇所に、
この文書ではダブって存在し、しかも、

内容が互いに整合していない。新規の情報があるのは第5分冊の、
項目名”象棊”の方である

という、複雑な事情だ。
第10分冊の項目名”将棊”には、”将棋は周の武帝が起源で・・”
と、当時としては当たり前の内容が、出だしに書いてある。

5と10で執筆者がバラバラで、第5分冊の”象棊”は、どこかの
寺から得た情報の写しのように、私には見える。

根拠は、第5分冊は”器用”の章であり、物品の説明が羅列される
が、将棋や囲碁や盤双六の内容が書かれている前が、寺の置物、
後が筆記具となっていて、”どこかのお寺に陳列されている物”風
だからである。つまり、

摩訶陀象戯というゲームを説明したオリジナル文書が、少なくとも
西暦1789年頃には、どこかの裕福で物持ちな寺に、存在した

事を、示唆しているようにも見える。それが曼殊院なのかもしれな
いし、京都や奈良あたりの、別の大きな寺なのかもしれないが。
 以上の事から、少なくとも曼殊院には将棋図が安土桃山時代には
存在して、特に摩訶大大将棋については、詳しく記載されていたよ
うではあるのだが、

京都の曼殊院だけに、摩訶大大将棋の情報があるだけとも限らない

ような気が、私にはしてきた。摩訶大大将棋にはその他、摩羯大将
棋等の別称も知られるが、”大が阿弥陀の陀であるケース”は、余
り聞いた事の無い将棋名なため、注意が必要な事は確かであろう。

曼殊院の将棋図では、摩訶大大将棋が、”摩訶弥陀将棋”になって
いたというような事が、絶対に無いとも言い切れない

のかもしれない。
なお頭書訓蒙図彙の第5章の象棋では、将棋の発明が”周公旦によ
り行われ、成王に報告された”となっていて、他の古文書と調子が、
多少異なっている。囲碁と混同しているようだ。その点からも、ど
こかの寺の、その時代の古文書を写したような調子である。なお、
第5分冊では、凧上げの凧を、”イカ昇り”と表現しているので、
関西人の執筆者だとわかる。そして、同じ著書の第10分冊(雑
芸/諸芸)では、将棊が”普通”に、”周の武帝・・”になって
いるのである。なお、第10分冊(雑芸/諸芸)の囲碁と将棋は、
同じ訓蒙図彙の系列とみられる、西暦1690年成立の、類書
”人倫訓蒙図彙”の囲碁・将棋と文面が良く似ている。
 良く見ないと、頭書訓蒙図彙は第10分冊だけ読んで、ユニーク
な第5分冊の情報を読み飛ばしそうだが、次の解説書に、索引が付
いているのが、とてもありがたい。

高橋幹夫・芙蓉書房出版(1998。江戸萬物辞典・普及版・
シリーズ「江戸」博物館。)「絵で知る江戸時代」。

 これは頭書訓蒙図彙の、現代文字書きの写し本であるが、この
巻末索引に、第5分冊、第10分冊の両方のページが載っていなかっ
たら、ユニークな第5分冊の内容は、うっかり見逃しそうだ。
(2018/08/09)

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