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静岡県焼津小川城中将棋駒。飛口-竜王駒の”飛”は草書体(長さん)

以前、静岡県焼津市小川城出土の中将棋駒、”裏飛口竜王駒”
を取り上げた際、鷹狩りとの関連で、飛鷲が有ったのかどうか不
明との論を展開した事があった。なお、焼津小川城からは、裏飛
鹿盲虎駒も出土している。そのときは、天童市将棋資料館発行の、
”天童の将棋駒と全国遺跡出土駒”の写真で議論した。写真の
文字がたいへん不鮮明で、表題の駒の飛口は、極めて注意深く
観察すると、1文字目がかろうじて、”飛”に見えるという程度
だった。
 その後、この駒のより鮮明な写真が載っている成書を、偶然
私は見かけた。次の書籍である。

永原慶二・海野福寿編。図説日本の歴史22「図説静岡県の歴史」
河出書房新社 1987年。

この本に載っている、いわゆる焼津駒の写真の写りは”天童の将
棋駒と全国遺跡出土駒”の焼津駒より、格段に良いようである。
その結果、表題のように、

飛口-竜王駒の、飛□側の最初の一文字目の”飛”は草書体

である事が、私にもはっきりと判った。

よってこの駒は、中将棋の裏竜王飛車駒の可能性は無くなった。

ただし、残念ながら裏飛口の口の字は、「図説静岡県の歴史」
の、より鮮明に取れている写真をもってしても、少なくとも私に
は鷲の草書体なのかどうか、良く判らない。ただし、

”龍”であるとの説が流布しているがそう読める可能性は少ない

ように思える。むろん”鷲”ならドンピシャなのだが。なお、この
字を鷲だと見る研究者も居る。鷲の右上が、草書体では楷書よ
りも少し、大きく変化する傾向があり、良く見ると、この成書の写
真では、そんな感じの鷲の崩し字のようにも、私にも見えることは
見えている。いずれにしても、間違いなく、もともと崩しているはず
であり、かすれると判読が難しい事は確かなようだ。以上の事から、
このケースは結果を、私にとって都合が悪いように、厳しく取る事
にし、

飛鷲は、少なくとも西暦1500年頃には、有った可能性が高い

という認識で、今後は論を展開する事に、私はした。何れにして
も写真写りの良かった、やや古い前世紀の成書が残っていて、た
いへん幸運だったと言える。(2018/08/14)

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