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玄怪録岑順物語は中国シャンチーに砲駒がある事を本当に示唆するか(長さん)

現在の定説では、牛僧儒作と伝わる表題の玄怪録には、中国シャンチー
の駒、帥/将、士、象、馬、車、砲、卒のうち帥/将、士、馬、車、卒
の5/7関連の駒が入っているというのが定説である。

砲が無いのは、それが中国シャンチーより、西洋チェスに近い証拠

と、中国のゲーム史家も、大体は認めているという事である。ところが、
最近私は、幸田露伴の将棋雑考を読んだところ、幸田露伴は、

玄怪録岑順物語に砲駒の存在が書かれていて(6/7)合致と見ている

と言う事を知った。ありがたい事に、幸田露伴は、文献の出所を正確に
示し、漢文で原文を載せている。漢文で、牛僧儒の玄怪録岑順物語を、
読んだ事が私には無かったので、この情報もかなりありがたかった。
 問題は、砲の出てくる所なので、”太鼓が鳴り、それぞれの軍の馬が
斜めに3升目先に進んで止まる。また太鼓が鳴り、それぞれの軍の兵が
一尺進む”の次にある、砲が出てくる部分の漢文を以下に示す。

又鼓之 車進 須臾砲石乱下

つまり、”(3手目に当たる)また太鼓が鳴り、車が前進して止まる。
石弾きの石ないし、石火矢(旺文社 標準漢和辞典)がしばらくの間、
乱れ飛んだ。”
と書いてあるのである。従って、”須臾砲石乱下”の部分に、”砲”と
いう中国シャンチーの炮を連想させる字が有るので、”玄怪録岑順には、
中国シャンチーの駒のうち、象を除く、帥/将、士、馬、車、砲、卒が
書いてある”というのが、幸田露伴の主張だと言う事になる。
 そこで今回の論題は、表題に述べたとおり、以上の幸田露伴の玄怪録
に含まれる、構成駒の認識が正しく、

玄怪録の岑順物語には、本当に中国シャンチーの砲駒が、玄怪録宝応将
棋にも、有るように書いてあるのかどうか

とする。
 最初に結論を述べる。

幸田露伴の認識は恐らく正しくない。

上記だと、
”(3手目に当たる)また太鼓が鳴り、車が前進して止まる。”、
”(4手目からそれ以降の、手数の多い手になると見られるが)
石弾きの石ないし、石火矢がしばらくの間乱れ飛んだ。”とも読めて
しまう、の2つのセンテンスの間に、実は原文の玄怪録では、

”こうして鼓の音は次第にせわしくなり、両軍とも兵力を繰り出して、”

の意味に当たる漢文が存在するのだが、幸田露伴の紹介した玄怪録の
写書では、恐らく意識的に、

削除されて抜けている。

そのため、幻想的な映像のように、象棋が、次第に現実の戦争に、切り
替わってゆくイメージを読み手が抱けず、砲を動かす手が、シャンチー・
ゲームの中で、同じ鼓のテンポで、相変わらず指されているかのような、
間違ったイメージを、植えつけられてしまうことになった。つまり以上
のような

情報操作が、幸田露伴が読んだ、明治の頃の中国の象棋史書籍では、
恐らく悪意でなされている

と、本ブログでは推定する。
 では、以上の結論につき、以下に解説を述べる。
 幸田露伴の玄怪録岑順物語の漢文紹介の良い所は、これが、

中国の象棋史研究者の胡応麟のゲーム史研究書に書いてある”玄怪録の
岑順物語”の孫引きだと、きちんと書いてある点

である。そのため、例えば、大阪商業大学アミューズメント産業研究所
発行、松岡信行氏の「解明:将棋伝来の謎」に書いてある、東洋文庫の
「唐代伝奇集」の「小人の戦争」=玄怪録「岑順」と、記載がズレてい
る場合、

幸田露伴の引用した「岑順」の方を疑うことが出来る

のである。
 言うまでも無く、明治時代の中国シャンチー研究者は、玄怪録「岑順」
の中で出てくる宝応将棋は、中国シャンチーの先祖だと、ほぼ頭から信
じて、偏った立場で見ていると推定できる。だから、

そう見えるように、元文書にフィルターが掛かる疑いがあると言う事

だ。つまり、このケースは、

幸田露伴が、中国の明治時代のゲーム史の研究者による、歪められた情
報に、翻弄されてしまった疑いが否定できない

と本ブログでは見るのである。なお、上記の

”こうして鼓の音は次第にせわしくなり、両軍とも兵力を繰り出して、”

は、東洋文庫の「唐代伝奇集」の「小人の戦争」が元なのかどうかは不
明だが、木村義徳氏の「持駒使用の謎」でも、ほぼ同じだが字面の違う、
日本語訳が書いてある。だから、少なくとも、
”又鼓之 車進 須臾砲石乱下”という胡応麟が書いたと見られる、
玄怪録岑順物語の、この部分の

”又鼓之 車進”と”須臾砲石乱下”の間には、”須臾砲石乱下”が
多数の鼓の音の後に生じた、実戦闘のイメージであって、砲駒を4手目
から後に動かしているという、イメージでは無いと取れる、説明内容
のセンテンスが、意識的に削除されていると、疑うことが一応出来る

と、私は思うのである。
 もし、幸田露伴が、原文の玄怪録が入手できて、この部分には、
”(3手目に当たる)また太鼓が鳴り、車が前進して止まった。”
”こうして鼓の音は次第にせわしくなり、両軍とも兵力を繰り出して、”
”石弾きの石ないし、石火矢がしばらくの間乱れ飛んだ。”
と書いてある事が判っていたとすれば、

玄怪録に書かれた、宝応将棋と、中国シャンチーとの間には、象駒が無
いだけでなく、砲駒も特に記載されているようには見えない

という事に、当然気が付いただろう。しかも、象だけでなくて砲も忘れ
たでは、不自然だから、

幸田露伴には、宝応将棋は、中国シャンチーからは少し遠く、日本将棋
の方にむしろやや近い

という、本ブログと等しい見解が、あるいは正しい情報が得られていれ
ば、認識し得たのかもしれない。なぜなら、私が読んだ限りは、彼が
注視にしているのが、玄怪録岑順物語に出てくる宝応将棋と、中国シャ
ンチーの間の、駒の種類の比較だけのように、将棋雑考からは読めるか
らである。なお、この21世紀のキーワード解析法と酷似した、
幸田露伴の史料分析法だと、玄怪録岑順物語の”宝応将棋ルール部”に
は、”横行”が動詞だが2回出てくるので、角行という”行駒”も示唆
される事になる。そこで日本将棋の表面駒種8種は物語上で全て現われ、

宝応将棋対現行日本将棋の、構成駒合致率は、8/8(種)で100%

となる。
 以上で、今回の論題に関する説明はできたと考える。
 以下は蛇足である。本文でも引用した、大阪商業大学アミューズメン
ト産業研究所発行、松岡信行氏の「解明:将棋伝来の謎」に、幸田露伴
の将棋雑考には、以下の記載があるとの旨書いてある。だが、以下の内
容の所在が、私が幸田露伴の将棋雑考口語訳を読んでも確認できない。

”この文の記するところの象戯の、今の象戯(中国シャンチー)の祖先
たるは疑ふべからず。胡氏以前数百年の宋の高承が岑順の事を引きて、
今の世の為す事のものと同じと伝えるに據(よ)れば、宋の象戯と唐の
象戯との関係は、極めて明らかなる別証あれば、高承の言を信じて
玄怪録記するところの象戯は、今の象戯(中国シャンチー)の祖先たり
と断ずるに一抹の疑い無しと伝うべき也。”

「胡氏が、そのように言うし、確かに駒種がほとんど同じなので、宝応
将棋は、中国シャンチーの祖先で、たぶん正しいと、言えるのだろう。」
という、やや他人任せの論が、将棋雑考で、幸田露伴が主張している内
容のように、私には読める。そのため全くもって、

この一文は謎

である。
”宋の高承の論からみて、宝応将棋は宋代のと同じと見られる。”
”宝応将棋はシャンチーと一致し、もしくは関係を有する事が推定され
る。”との内容だけ、少なくとも塩谷氏の口語訳の幸田露伴の将棋雑考
には、書いてあるので、”シャンチーと宝応将棋が絶対に一致する”と
露伴が言い切っている箇所が、私が読んでも全く見当たらないのである。
よってこの蛇足のセンテンスについては、将棋雑考の何処に書いてある
のか、今の所、私には全く判って居無い。
 ちなみに、宋の高承の言”今の世の為す事のもの”は、”宝応将棋は
昔、南詔国の王室で流行ったが、今でも、大理国の王室で流行っている”
という意味にも取れると私は思う。
 なお蛇足の蛇足だが、「解明:将棋伝来の謎」のこの蛇足内容の紹介
部分で松岡氏は、”日本の原始的小将棋と、宝応将棋との類似性”を、
主張している。
だから、本ブログとも良く合う、彼のこの部分の主張の論旨からみると、
明らかに、彼にとっても本ブログにとっても、どちらにも、ほぼ等しく
不利な、ネガティブな理論(言うならば、立場を異にするとはいえ、
松岡氏と本ブログの共通の敵)を、彼の論を補強する根拠であるかのよ
うに、松岡氏は「解明:将棋伝来の謎」で間違って引いている。ので、
「解明将棋伝来の謎」の論旨が、相当に

ちぐはぐな感じ

なのである。松岡氏は、いったい何が言いたくて、何処から、幸田露伴
の、この蛇足に書いた主張をここに引いたのか。誠に妙な話が有るもの
だと、今の所思っている。(2018/08/21)

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