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玄怪録岑順の書かれた時代は、炮駒が生成される状況には無い(長さん)

前に述べたが、表題の物語で現われる砲(石)は、”小人の戦争”が
かなり手数として進んだ後に、”しばらくの間、乱舞した(何手に亘っ
ても指された)”ものである。よって、象棋の局面の様子の描写という
よりも、実戦闘の映像のイメージであり、象棋の様子を描写していない
と考えられる。しかし、最近、中国の火薬兵器の成書を読んで私は、
”鼓の音がせわしく鳴った・・”という、経過手数が多い状態との表現
がなされてから、砲石を投げる手に切り替わらなくても、しばらくの
間とは言え、その手が多数回繰り返される、つまり乱下(乱舞)したと
表現されただけでも、象棋で、炮を使う手とは言えないと、考えるよう
になった。以下に、理由を先ず書き、説明を後でする。

石は当たらなければ、相手は破壊されないが、火薬兵器の炮弾は、周囲
に火炎と散乱弾の束を放出する。ので、爆心地の近傍の敵施設等は、す
べて破壊される。そのため、炮という駒で、模式的にその様子を再現で
きるのは、火薬兵器としての炮が成立して、有る程度の性能が得られる、
中国シャンチーの成立年代、西暦1100年以降としか、考えられない

という点に気がついたのである。
 では、以上の点につき以下、説明する。
 炮、すなわち中国の火薬兵器の歴史については、増川宏一氏も、もの
と人間の文化史23-1、将棋Ⅰのシャンチーの項で、問題にしている。
”火薬と投石装置(石はじき)の発明は早いので、炮駒が、早い時代に
出来ないとは断言できない。が、兵器としての炮は、北宋の成立期に、
南唐を滅ぼすのに使われたとの記録がある為、炮駒が作れるのは、唐の
時代の末以降であろう。”との結論だったと認識する。
 しかるに最近、次の化学書の成書(発行が1995年)を読んで私は、
問題は、兵器の炮が、石なのか火薬なのかではなくて、

兵器としての威力が大きいかどうか

であるのに気がついた。

朝倉書店。西暦1995年発行。島尾永康著「中国化学史」。

 前にも述べたが、唐代・牛僧儒の時代の「砲石」は、石はじきで発射
された石か、石火矢だったとみられる。当然だが、

石はじきで発射された石は、その石に当たった物体が破壊されるだけ

だし、石火矢も、可燃物に矢が当たれば燃える程度のものである。後者
については、上記の成り書によると、唐代のものはまだ、火薬成分で、
燃焼性能を上げたものでも無いという。

唐代の玄怪録岑順の書かれた時代には、火薬が発見されていたが、兵器
としては余り使用されていなかったというのが、上記成書によると定説

との事である。
 他方、現在のシャンチーに炮駒があるのは、石火矢に火薬が使われる
ようになって、火箭と呼ばれるようになった時代と、中国シャンチーの
成立が、ほぼ同じな事に加えて、石はじきで発射されるものが、石では
無くて、

炮弾になり、それが霹靂砲と言われた時代とほぼ一致するため、霹靂砲
の発明を記念して、炮駒が作られたかのような状況がある

と、私には理解された。ここで霹靂砲とは、火薬と散乱弾をまぜて弾
を作り、それらを花火の玉のように、厚紙で包み込んだ投下物で、石と
同様、石はじきを用いて投下するものだと言う事である。爆発すると、
音に比べると、たいした事がないのだが、有る程度周りに、散乱弾を
撒き散らすので、

一発の命中で、隣接する施設に対する破壊力は、砲石より大きい

という事になる。つまり、炮を指すという手は、投石機で、小石を投げ
た程度では、将棋としての着手の範疇にも入らず、歩兵の戦闘での交戦
行為一般の類の程度である。だが、投石機で霹靂砲を、敵陣に投げ入れ
れば、破壊力が大きく、

象棋の一指し手と言うに相応しい

という事である。だから、玄怪録岑順では、
一つ一つの砲石の破壊力はたいした事が無いので、乱下(乱舞)させる
必要があるのであり、

砲石乱下と、書いてあるという事自体、その砲は、シャンチーの砲には
はるかに届かない、歩兵の持つ、刀や槍と同格の、小物兵器と見るべき

と言う事になるのである。
 つまり、

”鼓の音が次第にせわしくなり・・”という表現は、これに加えて、
必ず必要になるとまでは行かないもの

という事になるらしい。
 なお、今述べた、北宋時代の中国シャンチー成立期の、火薬兵器の炮、
霹靂砲とは別に、震天雷という炮弾があるらしい。後者は前者の、格段
に進んだ改良品で、蒙古来襲の20~30年前から存在するようになっ
た、投石機で打ち出す火砲である。当然だが、震天雷は、蒙古来襲の際
に、日本軍に対して、モンゴル帝国の軍隊が、博多等で用いた、いわゆ
る”てっぽう(鉄砲)”と同じものと、推定されているようだ。
 ここで霹靂砲と震天雷との違いは、前者が厚紙で包まれた炮なのに対
して、後者が鉄砲の名に相応しく、鉄の容器に入ったものである、とい
う点である。そのため、

シャンチー成立期の炮である霹靂砲に比べて、日本の武士が鎌倉時代の
中期に浴びた震天雷、すなわち”てっぽう(鉄砲)”の散乱弾としての
威力は、格段に大きい

とされる。
 何れにしても以上の事から、玄怪録岑順に記載された、須臾砲石乱下
の”砲”は、乱下の2文字が書いてあるだけでも、中国の火薬兵器の
歴史に関する、現在の定説からは、中国シャンチーの炮駒とは、繋がら
ないものだと判断できると言う事らしい。(2018/08/26)

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