SSブログ

猛虎が盲虎より先行して存在する根拠とは何か(長さん)

本ブログでは、平安大将棋が先で、後期大将棋が後との立場
を取る。だから、対応すると自明に考えられている、”虎”
駒も、平安大将棋の猛虎が、後期大将棋の盲虎に先行してい
ると見ている。ちなみに、猛虎が文献に初出するのは、二中
歴の大将棋で西暦1200年より、少し後であり、盲虎が初
出するのは、静岡県焼津市出土の焼津駒の盲虎(中将棋)で、
西暦1500年より少し後で、史料としても整合している。
 猛虎という言葉自体も、唐の時代の李白の詩に、猛虎伏草
という熟語が存在する位に歴史は古く、日本の奈良時代のゲー
ムに取り入れる事も、可能である。ただし、だからと言って、
猛虎が盲虎より、早いとはっきりとは言えない。盲虎は単に、
”盲(もう)な虎”と表現したに過ぎないから、いつでも作
れると言えば、こちらの駒も作れない事も無いかもしれない。
 では、猛虎が盲虎に先行して存在するとすれば、証拠は何
なのか、それを今回は論題にする事にする。
 最初に何時ものように回答を書き、その後で説明を加える。
盲虎が猛虎より、後の時代の駒であるという事情は、

盲虎は、ゲーム性に関して、ネガティブな猛虎が存在する為
に発生した、獅子の存在が、めぐりめぐって猛虎を盲虎に交
換させる事になって、できた駒

だからという事によるものである。
 では以下に、上記結論にどのように到達するのか、説明を
加える。
 実は本ブログが出来て間もなくの頃に、前半部分は説明し
た記憶がある。すなわち、

猛虎が麒麟の発生の原因になり、麒麟のルールからの類推で、
獅子のルールが出来た

との、推理である。
 もう一度念のために繰り返すと、次のような内容である。
すなわち猛虎は斜め一升目歩みなので、筋違いだと盤面半分
に到達できないし、動きもすこぶる緩慢であり、守り駒とも
攻め駒ともつかない、無駄駒に近い性質の駒であった。だか
ら猛虎に1升目以上の歩みを加えた、銀将や古猿等々の小駒
は、筋違いに移動できる点で、猛虎の改良駒とも言える。
 ただし、猛虎のこの、かったるい動きは、踊り駒にする事
によっても、有る程度緩和できた。麒麟は現在では、縦横に
跳び、斜めに歩みだが、鎌倉時代に、この駒が発生した時点
で”猛虎の動きを2回まで繰り返せ、2回目には90度屈曲
しなければならない、”踊り駒として発生したと、ここでは
みる。
 その”猛虎”を”玉将”に交換して、発生したのが獅子で、
当初獅子はそのため、麒麟の成りとしてだけ、存在したと考
えられる。なお、成り麒麟としての獅子の発生時期は、本ブ
ログの推定では、西暦1280年頃、元駒としての獅子は、
西暦1350年頃の中将棋の確立によって、確定したと見る。
タイムラグの約70年は、”獅子に関する特別な規則”の、
定着に要する時間である。なお、史料としての駒の初出は、
成り麒麟の獅子が、安土桃山時代の高槻城三の丸遺跡の出土
駒、獅子は同じく、安土桃山時代の水無瀬宮の水無瀬兼成の
中将棋駒が、現物としては初出かとみられる。中将棋という
用語自体は、南北朝時代の”遊学往来”が初出である。

つまり、玉将の動きを2回まで繰り返すという獅子の駒は、
平安大将棋の猛虎が存在しないと、発生しない、平安大将棋
の成立した、西暦1110年頃には有ったと見られる猛虎よ
り、少なくとも170年程度、後の時代の駒

と考えられるという事である。以上が、初期のこのブログで
の、獅子発生のメカニズムの仮説であった。残念だが、今で
も、これ以上明解に、

獅子が何故存在するのかを、判りやすく説明した仮説は存在
しない

と、本ブログでは認識する。2回繰り返す動きという、外国
にも全く例の無いルールの駒の発生過程を、順を追って判り
やすく説明した仮説が、今の所これ以外に見当たらないので
ある。たとえば、”獅子の元が桂馬である”という仮説が、
本ブログより先行して存在はするが、桂馬が有るからといっ
て、どうして獅子が出来るのか、具体的な説明が、特に見当
たら無いと言う意味である。
 そして以下が、今回の論題につなげるための、その続きで
重要である。実は、獅子が発生したために、

玉回りの守りを強化する調整が必要となり、猛虎が猛虎のま
までは、だめ

だったのである。つまり、虎駒の隣接升目に、相手獅子を付
け、次の手で猛虎が居喰いされてしまうようでは、守り駒と
しての力は、ほぼゼロになってしまったという事である。そ
のため、

猛虎は、前升目には行けないものの、他の虎駒等と並べると、
2つ並んだ隣接計10升目に関してスキのない、盲虎の動き
に、中将棋が発生した西暦1350年より、少し前の時点で、
取り替えられたと考えられる

という事である。つまり、猛虎だけだと面白く無いので、麒
麟を作ったのだが、その結果、獅子を考え付くことが出来、
すると、攻め方が、今度は急速に強力になり、

守り駒の猛虎の変更が必要になって、盲虎が発生

したと、言う事である。従って、
以上の、獅子発生のメカニズムの推論が仮に正しいとすると、

盲虎は猛虎と入れ替わりに、後から発生する事になる

のが必然という訳である。
 だから、

獅子のある駒数多数将棋は全て、猛虎の発生より後

というのが、本ブログの推定と言う事になる。更に当然猛虎
より、盲虎の方が遅いのだから、

二中歴が成立した頃書かれた、藤原定家の日記に”猫股”が
有ったとしても、猛虎では動きが同じなため、盲虎としか共
存できない猫叉は、当時の将棋には無かったのであり、従っ
て”猫叉が猛虎として、平安大将棋に、後期大将棋から取り
入れられた”という説も、以上の論とは全く合わない

状況だと、今の所私は考えている。なお、鎌倉時代草創期の
二中歴初出の平安大将棋、安土桃山時代の、水無瀬兼成・
将棋纂図部類抄が初出の後期大将棋の、”平安”、”後期”
は、研究のために近年に付けられた修飾詞である。つまり、
実際に指された時代には、別の大将棋が両方、ゲームデザイ
ナーの頭の中には、仮に有ったとしても、並立に指すという
意識は、全く存在しなかったと、私は認識もする。
 盲虎や猫叉が、猛虎に先行して存在するという仮説を、そ
れでも立てたいのであれば、獅子が何故発生したのか、

少なくとも、本ブログの上記の麒麟経由仮説よりも、尤もら
しい、別の仮説を立てて見せるのが、筋なのではないか。

以上のように、私は今の所思っているという事である。
(2018/11/01)

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー