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今小路西社会福祉センター遺跡木簡。消失した三枚目は有るのか(長さん)

既に本ブログで述べたように、表題の神奈川県鎌倉市市内の今小路
西遺跡、社会福祉センター出土の木簡または木札は、様子では割れ
ていた、2片からなっていたとみられるものである。本ブログの読
み下しによると、”近く”の近の字が、2枚目の札の右の方で切れ
ていたり、1枚目の猛豹の”う”の字が下の方で切れていたりする
ので、擦り切れが多少有ると見られる。では、この木簡または木札
は、その程度の破損であって、これ以外にも、このシリーズの別の
木片がまだ有ったのだが、3枚目以降については、消失したという
事は無いのだろうか。以上の疑問を今回の論題とする。
 最初にいつものように回答を書き、後で説明を加える。

これだけであって、3枚目以降は恐らく存在しないと、本ブログ
では推定する。

では、以下に説明を加える。
 ようするに中将棋のルール説明とみられる、この木簡または木札
の説明が、以下の形で言い尽くされているかどうかだと考えられる。

鎌倉木簡.gif

本ブログでは、狛犬と猛豹と盲虎の説明で、この木簡または木札が
作成された時点での、中将棋のルールは、基本的に言い尽くされて
いるのではないかと、推定する。理由は、

狛犬、猛豹、盲虎、この3種類だけ言及しさえすれば、
西暦1300年頃の普通唱導集大将棋に無く、問題のプロト中将棋
にはあると見られる駒が、全部出てくる

と、少なくとも本ブログでは認識するからである。ようするに、
この木簡は、初心者にルールを説明するためのものではなくて、

鎌倉今小路西の、この遊戯場で、どのバージョンで、中将棋類を指
す事になっているのかを、来場者に周知徹底するため、この遊技場
の主催者が作成したと見られるもの

だと言う事である。
 従って、

これ以上のルール説明は、普通唱導集大将棋と、狛犬のルール、
猛豹のルールを予め教わっていて、以上を知っている者には、特に
必要ない

と考えられると言う事である。恐らく、この木簡は西暦1350年
頃のものだろうが、このプロト中将棋には、成り駒の、飛鹿、飛鷲、
角鷹、飛牛、奔猪、白駒、鯨鯢も、まだ無かった時代のものなので
はあるまいか。以上の点でこの、昔から皆にアクセス可能だったが、

成書に堂々と載り放置されていた今小路西遺跡の、木簡または木札
は、将棋史、特に黎明期の中将棋の様子を知るには、最重要な史料

だった可能性が今の所、簡単には否定は出来ない、状況なのではあ
るまいか。私は以上のように考えるのである。(2018/11/12)

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