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将棋纂図部類抄の桂馬の点。動きルール±2,2の動かぬ証拠か(長さん)

だいぶん発表され、それから時間が経ったが、大阪電気通信大学の
高見友幸氏により、大阪府島本町教育委員会編集の将棋纂図部類抄
(以下”水無瀬神宮所蔵の正調・将棋纂図部類抄”とも記載)の
チェックが行われ、当時の桂馬のルールが、現在の相対X,Y座標
表記で±1,+2型ではなくて、表題のように±2,+2型であっ
たとの説が出された。将棋纂図部類抄には、そのほかに、
加賀前田藩書写本があり、”桂馬の二番目の点が、上に向いている”
等で、(故)溝口和彦氏が、この説に異議を唱えていたことでも
知られている。本ブログとしては、水無瀬神宮所蔵の正調・
将棋纂図部類抄が、比較的源流に近いと見ているため、

事実としては、高見氏の言い分に理が有る

との立場である。しかし、桂馬がこのようなルールだと、本ブログ
の普通唱導集大将棋の第2節の解釈は、当然おかしくなるし、二中
歴の”前”の字を、古流の解釈である”前進”と意味が同じという、
本ブログの見方とも合って居無い。
 ではそもそも、図として、±2,+2型に見えるように、行き先
ルールの点が打ってある古文書が存在するなら、確実に桂馬の動き
ルールは±1,+2型ではなくて、±2,+2の、動かぬ証拠かど
うかを、今回は論題とする。最初に結論を書き、後で説明を加える。

動かぬ証拠とは言えない。理由は将棋六種之図式に、桂馬のルール
が±2,+2型になるように、点が打たれた図があるからである。

では、以下に説明を加える。高見氏の論は、前提として、

±2,+2型になるように点が打たれた図について、完全に写実的

であるとの仮定があると、私は思う。しかし桂馬のルールに関する

この仮定は将棋六種之図式に±2,2型の図が有るから正しくない

のではないか。すなわち将棋六種図式は江戸時代の文献であるから、
安土桃山時代の水無瀬兼成の将棋纂図部類抄を写す筋合いも無いし、

そうしたとの記載も無い。

水無瀬の業績は、国会図書館蔵の将棋六種之図式でも言及されてい
るが、将棋纂図部類抄を紹介してもいない。先行文献の紹介の後、
一般的に古将棋のルールを、将棋六種之図式という独立の書物で、
江戸時代の著者が、記載を続けているに過ぎないと私は思う。
 そして、将棋六種之図式が成立した時代には、将棋の家元が存在
して棋譜があるし、類似棋書の諸将棋図式の、”酔象を入れて42
枚制の小将棋の図”を、将棋盤に示した図の中に、

この別の棋書には、桂馬の駒の行き所のルールが、X,Y座標表記
で±1,+2型であると明記

されている。従って、±2,+2型を自明には連想させる、点を打っ
たルール図は、一般的に実際の桂馬のルールが、

±2,+2型かまたは、±1,+2型のどちらかであるという証拠
にしか、依然ならない

と、私は思う。なお近年作成された、増川宏一氏所蔵の教育用の桂
馬の駒に点を打って示したルール図には、もっと写実的に、桂馬の
前方に、点を2列に3点ずつ打ち、黒丸を左右の前方の2点だけに
付けたものも、あるようだ。
 従って、中世に桂馬が

±2,2型である事を、確定するには、もっと確実な証拠が要る

事は確かなのではないかと、本ブログでは考える。つまり、

高見氏の説は、古代の桂馬のルールに関して、現行の定説では疑問
と結論される材料の一つを、単に示したに過ぎなかった

のではないかと、本ブログでは疑っているのである。(2018/11/17)

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