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今小路西社会福祉センター中将棋の成ルールはどうなっていたか(長さん)

前に述べたように、表題の鎌倉市今小路西社会福祉センター遺跡
出土の、従来判読不能とされた木簡は、14世紀半ばの、言うな
らば、南北朝中将棋の内容を記載したものと、本ブログでは推定
している。念のために、この狛犬型中将棋の初期配列を書くと、
5段目以下が、次のようになっていたとみられる。

5段目:口口口口口口仲人口口口口口口口口仲人口口口口口口
4段目:歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵
3段目:横行堅行飛車龍馬龍王狛犬奔王龍王龍馬飛車竪行横行
2段目:反車猛豹角行口口盲虎麒麟鳳凰盲虎口口角行猛豹反車
1段目:香車鉄将銅将銀将金将玉将酔象金将銀将銅将鉄将香車

なお、この時代には、中将棋にもまだ鉄将が存在して、96枚制
だったのではないかと、本ブログでは一応推定する。
 ところで以前同様に示したが、まだこの時代、飛鷲、角鷹、
飛鹿、一例・走兎、白駒、鯨鯢、飛牛、奔猪等の成り駒名は、無
かったと見られる。では、これらの駒は、敵陣の4段目に入ると
き成り、その次には成れないが、敵陣内にて相手駒を取った時等
には成るが、具体的に、とんな駒に成るルールだったのだろうか。
すなわち、この将棋の成りのルールがどうだったのかを推定して、
実際にプレーできる程度まで復元する事を、今回の論題とする。
 最初に回答を書き、その次に説明を加える。
以下のように成ったと、本ブログでは推定する。

5段目:口口口口口口不成口口口口口口口口不成口口口口口口
4段目:金将金将金将金将金将金将金将金将金将金将金将金将
3段目:不成不成不成不成不成不成不成不成不成不成不成不成
2段目:不成不成不成口口不成獅子奔王不成口口不成不成不成
1段目:不成不成不成不成不成不成太子不成不成不成不成不成

なお、ひょっとすると歩兵も不成だったのかもしれない。つまり、

この成りパターンは、水無瀬兼成の将棋纂図部類抄の後期大将棋
と同じ

である。
 では、以下に以上の結論について、説明を加える。
 かなりの不確定性があるが、今の所本ブログでは、

普通唱導集大将棋の成りのルールが、西暦1290年から、
西暦1350年の間で、大きく変化した

とみている。つまり、普通唱導集大将棋に有る駒は、上記の、
鎌倉市今小路西社会福祉センター遺跡で、西暦1350年頃のバー
ジョンと見られる南北朝中将棋でも、同じになるように、ルール
が援用されると見るのであるが、成りのルールについて、

基準となる普通唱導集大将棋のルールに関して、西暦1350年
時点での、普通唱導集大将棋のバージョンが適用される

と見るのである。具体的には、
 西暦1290年頃には、二中歴の大将棋とほぼ同じ成りルール
であった普通唱導集大将棋は、結論を言えば、西暦1320年に
は、飛車、角行、竪行、横行が金将成りとなって、足利尊氏時代
の、成りの多いパターンになった後、西暦1350年頃以降には、
逆に今述べた駒に加えて、少なくとも将駒と、桂馬、香車、反車、
仲人の金将成りが、逆に急に消失して不成となり、

のちの、後期大将棋のパターンと同じになって行った

と、ここでは見ているのである。従って、問題の南北朝中将棋も、
一応1350年盤の後期大将棋型に成るとみられる、普通唱導集
大将棋の成りが適用されて、結果として、

麒麟、酔象、鳳凰、と、もしかして歩兵の4種類の駒だけが、
獅子、太子、奔王、金将(と金)に成るだけだったのではないか

と、ここでは見るのである。
 無論相当の不確定性があるから、以上の論は確度は低い。だか
ら今、このタイプの将棋を楽しむ程度なら、

獅子に関する特別な規則を除外した上で、獅子を狛犬に入れ替え
て、後は普通の中将棋のルールで指しても、木簡の記載に合って
いるので、良いとも言える

のではないかと、少なくとも私は思う。
 ちなみに、本ブログでは、同じ鎌倉市の鶴岡八幡宮遺跡から
出土した5枚の将棋駒は、成りのパターンから後期大将棋系では
ないかと見ているので、これらの駒が、

実は後期大将棋用ではなくて、鎌倉市今小路西社会福祉センター
遺跡1350年頃用の、南北朝中将棋の駒だと見なしても、
当然矛盾は起こらない

事になる。
 なお、西暦1420年代の”奔王を出して勝つ将棋”は、鳳凰
の成りの書体が楷書だと、元駒の奔王がどちらかなのかが、判ら
なくなって将棋具としてまずいため、鎌倉鶴岡八幡宮遺跡出土駒
を使ってする将棋では無かったのだろうと以前述べた。足利義持
の御前で指された将棋は、以上のべた南北朝中将棋が、このあと
更に進化し、今の中将棋に、より近くなった形の物だろうと、私
は推定する。
 話を元に戻すと、今話題にした”南北朝中将棋”は、香車や鉄
将が、後戻りできないで、相手陣奥で、身動きできないのが気に
なるが。これでもゲームとしては、ひどくおかしいものとまでは、
行かなかったので、今小路西社会福祉センター遺跡に対応する、
南北朝時代の遊技場では、これで将棋が指されたのかもしれない
と私は思う。(2018/11/18)

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