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朝倉遺跡”天童の将棋駒”176番の歩兵の字は何故曲がったか(長さん)

本ブログでは、将棋駒は原初、その駒木地である経帙牌が、中国交
易商人から、五角形駒の発明者である博多等の写経所僧侶が、原始
平安小将棋のルールを聞き取る際に使用した、ルールブックである
との見方をしている。今回はそれに対応する、史料の話である。
 さて成書”天童の将棋駒と全国遺跡出土駒”(山形県天童市将棋
資料館発行・2003年)には、福井県一乗谷朝倉氏遺跡の第9次
発掘の出土将棋駒(約173枚)のうち65枚程度が、一部写真と、
スケッチ図で載っている。なお、この遺跡からは40次や49次、
84次等でも、9次よりは数は少ないが、将棋駒の出土がある。
前記9次の出土駒には、天童の将棋駒と全国遺跡出土駒の番号だろ
うが、通し番号が付いていて、表題の歩兵駒で176番という駒が
ある。ただし、成書、天童の将棋駒と全国遺跡出土駒の、176番
歩兵の写真は、ひどく不鮮明だ。そこで最近別の次の成書で、この
歩兵の、より鮮明な写真を見つけて、その観察精査を行った。

考古学による日本歴史12 芸術・学芸とあそび(雄山閣、
1998年)大塚初重他編集。将棋駒部分執筆:水野和雄(福井県
立歴史民俗資料館(当時))

天童の将棋駒と全国遺跡出土駒によると、問題の176番の”と金
に成る歩兵”は、表面の歩兵の字が、右に大きくカーブした、

異常な書体である。

ここでは、表題のように、この歩兵が異常な書体である理由を、よ
り鮮明に撮れている、前記の別の著書から解明する事を、今回の論
題とする。最初に結論を書く。

”歩兵は金に成る(也る)”という、成りのルールを示すルールブッ
クに、この駒のオモテ面が、兼ねられていると見られる。


歩兵金也.gif

では、以下に説明を加える。
 考古学による日本の歴史 芸術・学芸とあそびの写真によると、
一乗谷朝倉遺跡出土(9次)176番の歩兵の兵の字が、右にカー
ブした結果、表面の左下に空きが出来る事になる。だが、そこには、

金也と、極薄く書いてある

ようである。也の方は、上記成書にかなりはっきり写っている。た
だし、天童の将棋駒と全国遺跡出土駒の写真では、金も也も良く
判らなかったし、同じく天童の将棋駒と全国遺跡出土駒のスケッチ
の紹介では、

”金”は薄いのでかなり存在がきわどいが”也”の方も書いてない。

写真から、少なくとも”也”の字が、176番歩兵の表面に有るの
は、ほぼ確実なのではないかと、私は思う。

貴重な写真が、成書に掲載されていて、たいへんありがたい事だ。

この駒は将棋駒が、古代にはルールブックであった事を、示唆して
いるようにも見える。また、この駒を見て、天童の将棋駒と全国遺
跡出土駒記載の、一乗谷朝倉氏遺跡第9次発掘第180番の、

実用性の無い両面歩兵駒が、これ見よがしに作られた

のかもしれない。”176番よ、ウソをつけ。所詮、一生懸命戦っ
ても、歩兵は歩兵じゃないのか”と言いたげな、180番歩兵作者
の姿が想像されよう。
 一乗谷朝倉氏遺跡からは、別に、天童の将棋駒と全国遺跡出土駒
番号178番の成りホータン(和田)歩兵駒も出土している。特に
歩兵の話題が多い所を見ると、将棋の現地の棋士が、足軽クラスが
多かったとも想像できる。ともかく将棋史の話も交えながら、わい
わい騒ぎ、恐らく酒でも飲んで、将棋駒を作りながら、一乗谷朝倉
館では、皆で将棋を指していたのだろう。
 将棋駒は木札の一種なため、表面には基本的に何でも書ける。だ
から、本来の遊戯具の駒とは、その点で異質な特徴があると言う事
が比較的はっきりと出た、興味深い史料だと、この駒を見て私は考
えている。(2018/11/21)

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