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伝北宋時代の裏絵付きシャンチー駒。裏面砲の絵は投石器(長さん)

webにも載っているが、北宋時代の都の開封から、裏面に絵が
書かれた、シャンチー駒が出土している。一説には北宋王朝期の
駒であるとされるが、明王朝の時代との説も有ると、持駒使用の
謎(木村義徳著。日本将棋連盟発行、2001)には書いてある。
 この裏の絵についてであるが、最近まで私は、砲の裏の絵は、
砲弾であると勘違いしていた。そこで今回じっくりと、この絵が
何を表現したものなのかを、正確に確認する事にした。
 答えを先に書くと、

投石器しか、書いてないようである。

つまり、投石器部隊を表現したものである。以下に、もう少し説

北宋砲.gif

明する。
 この良く話題にされる、裏面絵付きシャンチー駒は、銅製であ
ると言う事だ。砲駒の裏面には、正立させて見ると、
右に、砲弾をセットする操作兵が人形型に書いてあり、左側の、
一見、ジャングルジムのように見える塊は、例えば霹靂砲の砲弾
が書いてあるのではなくて、

投石器、正確にはトレビュシェットが書いてある

だけのようだ。そして下の方にU字形に見えるのが、投石部分で
あり、U字の左端の付近に、実際の絵では、細かくなりすぎて、
表現できないのだと思うが、砲弾セット部分があると見られる。
つまりこの絵から、

砲弾が何なのかは、全く判らない

と言う事である。
 なお、左上から斜め下に向かって右下の方に、太い線で描かれ
ているのが、投石器の心臓部である、投石アームであると見られ
る。他の駒との比較から、人間と投石器の大きさの比は、余り当
てにならないと思われる。実物は数メートルの桁の大きさだろう。
 絵から、”砲駒は投石部隊が、中国には古代から存在するので、
シャンチーの駒の要素に加えられるのは、シャンチーの起源が
何時であったとしても自然”との主張が、一応感じられる。実際
の戦争では、西洋の初期の頃の十字軍が、この武器で成果を挙げ
たと聞いている。なおモンゴル帝国来襲時には、砲弾の震天雷は、
手榴弾として投げられたものが威力を発揮し、大型の投石器が、
のんびりと設置された後で、使われたという記録は無いようだ。
何れにしても、

中国人には投石器部隊の象棋駒を、古代から考える能力はあった

ようだ。
 成功はしなかったが。イスラムシャトランジに、だいたい砲の
ルールに近い駒を入れて、ゲーム性を改善しようと言う、精神自
体を、中国人のゲーマーが持つようになったのは、北宋王朝の
成立期よりも、かなり前であっても、ひどい矛盾は無いのかもし
れない。砲という駒の発生の萌芽は、玄怪録の、”石火矢が飛び
交う”との記載の時代には、恐らく有る事は有ったのだろう。
(2018/11/22)

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