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今小路西鎌倉市福祉センター木札。猛豹が”まうへう”で無い訳(長さん)

中将棋史にとって最重要な、行く方不明の南北朝時代の木札、
今小路西鎌倉市福祉センター遺跡出土の木札は、将棋史全体
にとっても、重要な遺物である。特に、しょっぱなに記載さ
れている、”志ろいぬ”が初期の中将棋に有る事は、この
木札が出るまでは、誰も予想も出来なかった事だとみられる。
ちなみに最近、日本将棋連盟の関西本部の対局室、水無瀬の
間に、将棋駒の狛犬駒の置物があり、将棋のプロ棋士、
藤井聡太七段(現在)と共に、撮影されているのが話題になっ
ている。
 関西地方は、中将棋が昭和の時代に、盛んであった事で著
名だが、たぶん、この置物を置いた方に、予知の超能力が有っ
たのであろう。それは、今の所ともかくとして。
 他方、大将棋にとっては、この木札に、猛豹を意味すると
見られる、本ブログの管理人の現在の認識では、

”毛ひゃう”と書いてある部分が、中将棋の前段の、
鎌倉時代後期の大将棋の内容を示唆する点で、最重要である。

 その後、次の崩し字の入門者用の成書等、幾つかの成書を
参照し、特に”毛ひゃう”との読みが正しいのかどうかを、
私なりに、できるだけチェックしてみた。特に参考になった、
崩し字入門者のための成書の一冊に、次のものがある。

よくわかる「くずし字」見分け方のポイント、齋藤均監修
メイツ出版(2017)

 するとそれ以前に、諸橋徹次著の漢和大辞典等から、

猛豹の豹は、旧かなづかいは、”ひやう”ではなくて、”へう”
である

事が判った。つまり、旧かなづかいで、この木札には、豹を
或る理由で、普通に”へう”と書かなかったか、

この部分の私の意訳が、間違っていたかの、どちらか

だという事が判った。なお、木札の猛豹の猛が、”まう”で
はなくて、”う”か”も”か”毛”かの、どれかで表現されて
いるらしい事は、前記の”「くずし字」見分け方のポイント”
等、くずし字関連の辞書等から、だんだん察しが着いてきた。
 そこで今回は、表題にも書いたが、木札に旧仮名遣いが使わ
れていないか、私が間違っていたのか、この問題の今小路西鎌
倉福祉センター遺跡出土木札の2列目の読みに、何か問題があ
るようなので、以上の事を論題とする。
 最初に結論を書き、後で説明を加える。

”毛ひゃう”は猛豹で間違いないと見られる。
”まうへう”と書かないのは、正式旧かなづかいを書くと、
なにを言っているのか、南北朝時代の、今小路西ゲームセンター
に来場しているゲーマーには、一見では意味がわからないため
敢えて避けたと、ここでは見る。

では、以上について説明する。
 豹がかな書きで、特に”ひよう”と、戦国時代頃から、注記
されるようになった事が、日本国語大辞典(小学館)から判っ
てきた。しかし、少なくとも平安時代末の頃までは、いつも
”へう”表記であったようだ。なお、先の大戦まで、正式な旧
かなづかいでは、豹は”へう”だ。
 しかし、江戸時代草創期の日ポルトガル語辞典等から、中世
の上流階級が、豹を”fioo”と、発音しているとの情報が
あった。だから、

口語表現としては、戦国時代よりももっと前の、南北朝時代の
下世話の木札に、”まうひゃう”とか”まうひょう”とか書い
てあっても、おかしくは無さそうだ。

他方、猛虎・盲虎の方は、この木札では、ただしく”まうこ”
と表現されている。なお蛇足だが、”まうこ”のまは、この
木札では、末の崩し字ではなくて、変体仮名が使われ、”万”
の崩し字になっている。”ま”と読みづらかったのは、その
ためと見られる。
 話を元に戻すと、

猛虎と違い、猛豹は熟語として存在しない。

この点が大切だとみられる。がその他、南北朝時代の人間には
豹自体が、当然だが日本には居無いので、なじみの薄い動物だ。
 そのため伝えられた動物名の通りに、豹を”ひょう”と発音
して、将棋駒名として、使っていたはずである。だから、知識
人しか知らない、”へう”を、今小路西ゲームセンター(当時)
の管理人は、表現としてはそれが正しいのだが、”feu”と
言っている人間が居無いため、使いたがらなかったのだろう。
つまり、

”猛”がナマじ頭に付いていたのが、表現方法として、問題だっ
たのだ。

 そもそも正式文書のかなづかいを真似て、かっこつけても、

”猛豹が有る”という内容自体が、相手に伝わらなかったら、
木札を作成した意味が、この場合は、ほぼ無い。

 そこで、将棋場で、猛豹を呼ぶときに、普通に発音している
ひらがなに、名前を変えたのではないか。その証拠に、猛も、
”まう”と書かずに、明らかに”も”とか、”う”とか”毛”
とかに読める、崩し字に直している。つまり多分、

”毛ひゃう”と、木札に書いてある

と私は思う。ちなみに、猛豹の豹と、鉄将の将とで、音が似て
いると、南北朝時代の将棋棋士に認識してもらえないと、少し
後に、

猛豹は言うならば、猛将であると解釈

されて鉄将の位置へ、猛豹が移動して、中将棋が96枚制から、
92枚制に変わったとか、悪狼が悪党の類似パターンの洒落と
か仮定できなくなるため、少なくとも本ブログの論にとっては、
問題が更に発生する。しかし実際には、

外来語をカタカナで書く感覚に、近い表現にたまたまなってい
たために、少なくとも標準的な旧仮名遣いから、ズレて、実際
に書かれているのではないだろうか。

 結論として、本ブログの読み方は間違って居無いと思う。そ
してむしろ、そのために、30年前から現在までの木簡解読者
は、この木札の正体を見破るためには、更なる困難に直面した
のだろう。
 他方私のような、将棋史には興味が有るが、崩し字の素人は、
ひょうが、”へう”ではなくて、”ひゃう”だったのには、む
しろ今の表現に、たまたま近かったため助けられた。そして
逆に当然の如く、崩し字解読の、基本の所で随分苦労した。
 よく読むと、この木札の最後の一字は、

無ではなくて、”ぬ”の変体仮名である可能性

が有りそうだ。
 つまり”奴”の崩し字ではなくて、”怒”の崩し字のために、
下の部分が見えていて、無だと、私は勘違いしただけという
意味である。
 その他の点では、何べん読み返しても、この木札は、以前に
本ブログで表明した読みと、特に解釈で、間違っているように
は、私には依然思えない。
 だからこの木札の現物が見当たらないというのは、本当に残
念な事だと思う。(2018/12/14)

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