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中将棋はどうして、”中将棋”という名で残ったのか(長さん)

現在の定説では”日本の将棋には先に大将棋と小将棋が、西暦
1300年には有って、盤升目がその間なので、12×12升
目92枚制の将棋が中将棋に、南北朝時代になった”というも
のである。しかしながら、この定説は、南北朝時代に大将棋が
健在で有った事を前提としている点に、注意しなければならな
い。
 他方、本ブログでは、西暦1320年以降、大将棋、正確に
は普通唱導集で唄われた13×13升目108枚制普通唱導集
大将棋は、衰微し、

後継の後期大将棋は、西暦1400年以降の作である

としている。つまり、たとえば西暦1370年時点頃に、遊学
往来に、中将棋を”中将棋”と、絶対に書かなければならない
筋合いが、大将棋というゲームが、別に健在で存在するのかと
言う意味では

特に無い

と見ていると言う事である。にもかかわらず、遊学往来には、
将棋とは別に、大将棋と中将棋が、確かに書いてあるのである。
 では、これを本ブログ流では、どう説明するのか。
以上を今回の論題とする。
 最初に結論を書き、後で説明を加える。

13升目108枚制の本ブログで言う、普通唱導集大将棋以外
のゲームで、特に、(1)3段目中央に奔王、龍王、龍馬、
(2)2段目袖から、反車、飛龍、嗔猪、猛牛、猛虎、(3)
2段目中央に太子成り酔象、(4)一段目中央から、玉将
(王将)、金将、銀将、銅将、鉄将、(5)袖列に最下段から
香車、反車と並ぶ、自陣4段組構成の将棋以外を”大将棋”と
呼ぶのが、南北朝時代には、当時の棋士仲間の常識が壁となり、
困難だったから

だと、ここでは見る。
 では、以下に説明を加える。
 本ブログによれば、13升目108枚制の普通唱導集大将棋
が、

西暦1370年頃の時点で、棋士の記憶には存在して、それか
ら改善されて中将棋ができつつあった

という事になっている。
 その当時の棋士の認識では、普通唱導集大将棋は、右翼3筋
の歩兵を高く上げてから、堅行を歩兵下の段に付け、嗔猪を2
段目から一歩づつ、右仲人の居る5段目に上げて、桂馬を2つ
前升目の左に、一手跳ばすという将棋ばかりが指されて、お決
まりすぎて、つまらないものと見なされていたというのが、
本ブログの、普通唱導集大将棋第二節の解釈からの結論である。
 そこで本ブログで言う、西暦1290年盤普通唱導集大将棋
が記憶として残っていても、改善がもしできれば、改善された
駒数多数将棋を、大将棋と、本来は呼び直しても、良い状態だっ
た、はずである。ところが結論で述べたとおり、棋士には、

大将棋は13升目68枚制平安大将棋の、実質的な拡張であり、
かつ、モンゴル帝国来襲に対応して、宗教的に、(1)3段目
中央に奔王、龍王、龍馬、(2)2段目袖から、反車、飛龍、
嗔猪、猛牛、猛虎、(3)2段目中央に太子成り酔象が、加わっ
た形しか、許されなかった。

なお、(4)一段目中央から、玉将(王将)、金将、銀将、銅
将、鉄将、(5)袖列に最下段から香車、反車と並ぶのは、
二中歴に書いてある平安大将棋の元もとの特徴点である、だか
ら本来なら、普通唱導集大将棋が西暦1320年程度の頃から
衰退した時点で、後継のたとえば12升目96枚制の中将棋は、
大将棋と読んでも良かったが、

当時の大将棋の定義に関する認識から、それが出来なかった

と、少なくとも本ブログでは考えるのである。
 そこで、中将棋を発明したゲームデザイナー、ないしはその
少し後に、初期の中将棋を熱心に指したゲーマーは、

普通唱導集大将棋、平安大将棋の升目数である、13升目から
新しく出来た中将棋は、一角落として12升目にしていたので、
大将棋と小将棋の中間との意味で、中将棋と呼び、守旧派の批
判を封じた

と考えられる。
 恐らく、猛虎を盲虎に変えたのも、中将棋が出来た後であり、
守旧派の”(2)2段目袖から反車、飛龍、嗔猪、猛牛、猛虎、
という配列になって居無い、別の将棋に、伝統ある大将棋の駒
名が有るのはおかしい”と、いった類の追撃の批判を、初期に
はカワすためだったのであろう。
 今小路西鎌倉市福祉センター遺跡の、中将棋ルールを書いた
出土木札(現物は行方不明)に、盲虎ではなくて、猛虎という
熟語が存在するからこそ表現できる、”まうこ”が有るのも、
猛虎が盲虎になったのが西暦1300年頃の普通唱導集大将棋
の時代ではなくて、西暦1370年頃の、中将棋が成立しつつ
あった時代であるという、証拠だと考えられる。つまり、

今の中将棋指しと異なり、南北朝時代の中将棋指しにとっては、
盲虎は猛虎と、熟語で有名な方のカナで綴る方が普通に見えた

という事である。
 以上の事から、

実質的に、西暦1370年の遊学往来の頃、日本には大将棋が
滅んでしまったので無かった

と結論できるように思う。
 遊学往来に、大将棋と中将棋が続けて書いてあり、将棋が、
かなり離れて書いてあるのは、遊学往来の筆者自身が、大将棋
など指されて居無いのだから、中将棋を本来、大将棋と書いて
もおかしくないと、ひょっとしたら思っていたので、その気持
ちが現われているのでは無いだろうか。(2018/12/17)

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