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今小路西福祉センター遺跡出土中将棋木札の、原寸はどの位か(長さん)

今の所、本ブログの解釈では、問題の、神奈川県鎌倉市の
今小路西福祉センター遺跡出土の中将棋関連の木札は、
今小路の将棋道場に於いて、いわば、中将棋順位決定戦の
大会規定を、張り出した札という事になっている。
 なお既に本ブログで述べたとおり、”今小路の御所”と
いう場所で、将棋の順位戦が行われている事は大日本史料
の、1221年7月13日の部分に記載されている。その
際、後鳥羽上皇の御前で指す将棋は、9升目36枚制標準
平安小将棋駒落ち型だが、”今小路の御所”で指す将棋が、
8升目32枚制原始平安小将棋で、今小路の順位戦では、
将棋のバージョンが、ゲーム性がその時点で最も良い、特
定の物に変えられていた疑いが、有り得るとここではした。
小将棋と木札記載の中将棋とで、ゲームの系統がそもそも
違うが、この木札の内容は、前記文献史料と、本当に場所
が同じかが今の所謎だが、驚くほど良く対応しているので
ある。
 そういう訳で、ここで指される中将棋が、遊びであって
も真剣勝負と考えられ、実際に対局する際に、合法手か、
非合法手かの境目の着手を、一方の棋士がしたときには、
ナアナアで済まされず、刃傷沙汰になる恐れまで有った事
を、示しているとみられる。だから、ゲームバージュンが、
将棋場に張り出されていただけでなく、バージョンの内容
自体が、ゲーム性能が良く、かつ問題が起こりにくい、獅
子に関する特別な規則等が無いものに、タイプを選択して
いた疑いがあるのだ。つまり、この木札を見る棋士には、
性格が荒っぽい武家が、多数含まれており、賭け試合まで、
今小路西御成小学校付近で、かつて行われていたのだろう。
 むろん、以上の仮説を証明するには、出土木札に、掲示
物としての、機能が有るという事が、確定するというのが、
一つの必要条件だ。それには、木札に書かれた文字は、
中将棋盤を置いて、指している棋士から、部屋の隅に置か
れたこの木札を見ても、かなり目立つ大きさの字だったと、
証明できなければならない。
 この史料は現物が紛失し、実は成書、”よみがえる中世
3 武士の都鎌倉”の221ページの下の図に、情報が有
るのみだ。しかも、たまたま縮尺が書いていない。今回は、
この木札の字が、将棋場の隅に置かれて、棋士から見える
程度に、木札に有る程度の大きさが有ったのかどうか、
木札の原寸の概略を論題とする。
 結論を先に書く。最小の大きさに推定したとして。

上下に繋がった、現状の状態で、横が10.5センチより
少し大きい程度、縦が15センチより少し大きい程度、字
は、12畳程度の部屋だと端から端までの距離程度になる
と見られる5メートル離れて、視力0.5の人間が何とか
読める、1.2センチ程度の大きさだった

とみられる。
 では、説明を以下に加える。
 この木札の写真に、実寸を推定する手がかりは、残念な
がら

ほとんど無い。

 なお現時点で、この成書以外に、この木札が撮影された
との情報も無い。手元に、鎌倉考古学研究所が昨年出した、
鎌倉市出土の墨書遺物に関する2000円の自費出版の某
書を、所持していると聞いている鎌倉市の職員の話から、
ざっと見た限り、

成書以外に、問題の木札が載っている書は見当たらない

と、私は聞いているからだ。従って今の所は何としても、
この成書だけから、木札の実際の寸法を割り出すしか無い。
 成書”よみがえる中世3 武士の都鎌倉”221ページ
下には、横約3.5センチ、縦約5センチで木札が載って
おり、文字の大きさは、だいたい4ミリ程度だ。

手がかりは、”志ろいぬ”の字付近に散らばる、3~4個
の白い点のような物体だけだ。この物体はポリエチレング
リコールの析出物のように、私には見える。

保存処理をしたときに、木札の細かい割れ目から噴出して
固まったのだろう。常識的に考えると、2~3ミリの大き
さの丸く潰れた塊になりそうな気が、私にはするが、小さ
めに

1.5ミリ程度だと推定

してみた。これが、成書に、画像で0.4~0.5ミリ程
度に写っている。だから、

成書の縮尺は、最大値で1/3倍と計算される。

ポリエチレングリコール析出物の実際の大きさが、もう少
し大きいと、縮尺は小さくなるが、1/6倍が最小だろう。
そうすると、この木札は、実寸最小の見積もりで、結論に
書いたように、

字が1.2センチ位の大きさになり、12畳の将棋場の
隅からでも、ひらがななら棋士は、何と書いてあるのか、
何とか判りそう

だ。ただし、10.5×15センチ角の木札自体は、ハガ
キに近い大きさであって、目立つと言うには、やや不足だ。
実際には、縮尺は1/4で、14センチ×20センチ位は、
ほしいかもしれない。
 なお鎌倉末期から南北朝時のここのゲームセンターの管
理人は、木札ではなくて紙に書いて、中将棋バージョンの
徹底を図った事も、有ったのかもしれない。しかし、紙で
はそのうち切れてしまうし、順位戦は、現在の日本将棋
のプロの順位戦といっしょで、1年単位といった、長期の
バッチで、行われていたのかもしれない。だから、耐久性
のある、木の札へ、紙から変えたと考えて、一応矛盾は無
いだろう。
 何れにしても、

ゴミのような、ポリエチレングリコールの析出物の像から
しか、木札の実際の大きさが、割り出せないとはつたない

話だ。誰か30年前の発掘成果発表会で、この木札を見た
事があり、現物のだいたいの大きさ位覚えている目撃者が、
いないのか。さらには”よみがえる中世3 武士の都鎌倉”
の該当部分の執筆者で、西暦1948年生まれの、現在、
70歳前後と見られる、上智大学元講師の河野真知郎氏が
存命で、木札の大きさを知らないのか。または、そもそも

この木札を持ち去った犯人に、返却してもらえないのか。

この中では、河野真知郎氏の記憶が、速効では最も期待で
きそうに、私には思える。
”よみがえる中世3 武士の都鎌倉”、文字のある生活の
執筆者の上智大学元講師の河野真知郎氏が元気なら良いが。

彼が他界したら、この木札は、そもそも出土しなかったの
と、同じになってしまった

と言う事に、くれぐれもならないように、願いたいものだ。
(2018/12/22)

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