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今小路西御成小学校遺跡ゲーセン中将棋。狛犬が発生の元将棋種(長さん)

今小路西御成小学校遺跡ゲームセンターで、指されたとみられる
獅子に関する特別な規則と、元駒の獅子が無く、狛犬に置き換わっ
た中将棋には、今小路西鎌倉市社会福祉センター遺跡中将棋木札
に有るように、狛犬、猛豹が有って、盲虎が今の中将棋と同じ、
七方向歩みである事、それだけが、はっきりと記載されていた。
 では、この中将棋に有って、オリジナルの中将棋、後期大将棋、
普通唱導集大将棋、平安大将棋には無く、大大将棋や摩訶大将棋、
摩訶大大将棋に有る狛犬は、今小路西御成小学校遺跡ゲームセン
ターで中将棋として使われる以前には、どんな古い時代の駒数多
数将棋で、使われた狛犬のコピーだったと言うのだろうか。
 以上を、今回の論題とする。回答を最初に書く。
 狛犬駒は、

今小路西御成小学校遺跡ゲームセンターで狛犬中将棋として使わ
れたのが、始めての使用だった

と本ブログでは見る。根拠も最初に、とっとと書いてしまおう。

猛豹も中将棋で始めて現われたのであり、盲虎も中将棋で始めて、
猛虎の斜め四方向歩みの動きから、前にだけ前進できない七方向
歩みになった。つまり、ルールのユニークな部分だけ、今小路西
鎌倉市福祉センター遺跡中将棋木札に記載したと解釈して、話が
ぴたりと収まる

からである。
 では、以下に補足しよう。
 結局の所、以上の結論は、普通唱導集大将棋に無くて、狛犬型
中将棋には有る、ユニークな駒とルールが何なのかと問うと、
狛犬が有る事、猛豹が有る事、猛虎が盲虎に代わっている事の
3つだけだと言う事である。
 つまり、普通唱導集大将棋から中将棋になる時、消えた駒は、
飛龍、嗔猪、猛牛、鉄将、桂馬、2枚の歩兵の22枚減だったが、
逆に、通常は、獅子と、獅子に関する特別な規則、猛豹が入り、
6枚増えて、108枚制から92枚制の16枚減となり、猛虎が、
盲虎に変わったので、

今小路西鎌倉市福祉センター遺跡出土の木札と、ぴたりと話が合っ
ている

のだ。
 なお、普通は、獅子と、獅子に関する特別な規則が入ったが、
今小路西御成小学校遺跡ゲームセンター中将棋では、これらが、
狛犬に置き換わって、今小路西鎌倉市福祉センター遺跡の木札に
書いてあるように、

”狛犬、猛豹。盲虎は近くへ行くが、上は行けぬ。”

と書けば、それでゲームの内容は、言い尽くされたという訳だ。
 ちなみに狛犬の中将棋よりも前に、獅子の中将棋が有った事は、
今小路西御成小学校遺跡ゲームセンターの、鎌倉時代末期か
または、南北朝時代の、遊戯場(博打場)の管理人が、木札に、

狛犬の所を、”しろいぬ”と書いてくれたおかげで、確定した。

”獅子を当時、師子と書いた”という経緯があったからこそ、遊
戯場の客は、狛犬を、犬へんを抜いて白犬(はっけん)とか、
”しろいぬ”とか仲間言葉で言い換えた方が通じるようになった
とみられる事が判り、その事から、

普通の獅子の中将棋が、先行して存在している事がはっきり判る

のである。なお、その前の普通唱導集大将棋(本ブログ仮説、
13×13升目、108枚制)にも、麒麟の成りで獅子が師子と
して有ったと見られる。が、(袖右飛車を退けられて)麒麟を成
り込まれると、成った瞬間に”勝ちを取(られ)る”。だから、
中将棋よりも前の時代に獅子や師子が、プレーヤーの間で対局中、
話題になる事は少なかっただろう。よって、白犬の訓読みという、
狛犬の洒落言葉は、鎌倉時代の末より以前には、無かったと、
ここでは見る。
 以上の経緯から、

残りの猛豹と、この場合狛犬は、狛犬型中将棋を完成させるため
に、主にこの将棋を指すために作られた

と、これについても確定する。狛犬は、どこか別の将棋が先行し
て有って、獅子とペアーで入っていたところから、持ってきたの
ではなくて、獅子と狛犬という言葉の対と、獅子に似たパターン
のルールを考えるという動機付けによって、獅子の中将棋の難点
を克服するために、そのときになって始めて、新たに考え出され
た駒だったに違いない。
つまり、

狛犬は、良くさされる駒数多数将棋としては、少なくとも鎌倉で
は指された、狛犬型中将棋で、猛豹と共に始めて現われた駒

だったと、本ブログでは推定する。
 従って歴史的に見て、

駒数多数将棋で指されたものは、平安大将棋、普通唱導集大将棋、
獅子および狛犬型の中将棋、この3種だけだった。

以上のように推定され、残りの駒数多数将棋は、将棋ゲームとし
て指して楽しむためと言うよりは、文化の一部として存在すると
いう、意味合いが強かったと、ほぼ結論されると考える。以上の
大将棋系の将棋種の実体が、平成の時代が変わる頃になった今、
進化の順序の確定と共に、いよいよ、はっきりと見えてきたとい
う事に、なるという事だろう。
 この今小路西鎌倉市福祉センター遺跡の中将棋木札の出土は、
将棋前史(将棋進化史)にとって大きかった。早く紛失してしま
った現物が、鎌倉市役所に戻るよう祈りたいものだ。(2019/01/07)

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