SSブログ

二中歴の”三十六禽”を確認した(長さん)

英語版wikipediaの、”黄道10日ごと宮”の記載に
よれば、仏典の摩訶止観等に記載されている、三十六禽
(36禽)は、日本の古文書としては、二中歴に載っていると
の旨を、前に本ブログで紹介した。そのときには、受け売りで
自分で確認していなかったが、さいきん、改定史籍集覧、
第23分冊の、初っ端から有る二中歴の、史籍集覧のページで
151ページと、かなり将棋(240ページ)からは離れた所
に、下のようなイメージで、36禽が確かに書いてあるのを、
私も確認した。なお二中歴の書き終わりは、改定史籍集覧、第
23分冊の250ページ前後であり、将棋のページは、かなり
後ろの方だ。

史籍集覧.gif

 戻すと36禽の記載は”畜産歴”に属し、12支を使った、
陰陽道占いを記載した、二中歴のページとも、かなり離れてい
る。平安貴族と日本の陰陽師は、36禽には余り興味が無く、
24方位等を使い、オリエント西洋星占いと、密教の知識のあ
る、虎関師錬には、暦と結びつく言葉だったという事だとも、
想定される。

 つまり、摩訶止観を少なくとも虎関師錬は、二中歴とは別に、
知っていた確率は、ゼロに近いという事が、少なくとも余り無
いのであろう。

 なお書いてある動物名は、36種になっておれば、余り本質
的な差は無いと見るので、省略する。漢字が違うのがあるが、
内容は、摩訶止観等、他の文献の動物の内容と、細かく見なけ
れば良く一致しているように、今の所見る。確かに36禽は、
平安末期、日本で少しは知られていたようだ。なお正確な内容
は、興味が有れば、お手数ですが、皆さんで改定史籍集覧で、
御確認を御願いしたい。
 それより私の興味を引いたのは、偶然だが、少し前の方の
記載だが、36禽の記載の近くに、

二中歴の言う、”五宝”が載っていた

事だった。内容を見ると、別説と2通り載っているが、どちら
にしても、

金、銀、玉、桂、香

には、全然なって居無い。共通なのは金銀だけだ。いわゆる、
日本の小将棋の、第1段駒の名前の、5宝(といわれる説)は、
二中歴の5宝とは違うものである。奈良時代草創期頃成立の、
好字令の五宝から来るとされている、玉・桂・香が、平安時代
末から鎌倉時代初の二中歴の内容とは、少なくとも合って居無
い事が、私には今回初めて判った。

 なぜ奈良時代草創期、西暦712年成立の”好字令”という、
とても古い文献の5宝が、将棋伝来の時期により近い、西暦
1210年頃成立の二中歴の5宝を、押しのけたのかが謎だ。

ちなみに、西暦712年は、将棋の伝来が西暦1015年の年
初だとすると、二中歴を基準にすると1210年と1015年
の差とは、1.5倍離れているし、二中歴の五宝が、挙中歴か
懐中歴に載っているとすれば、これらは1120~1150年
頃の成立だとされるから、2~3倍の開きがある。
 本ブログでは、桂、香が宝というより、たまたまの桂馬と、
香車駒の材質と、香りの性質から、修飾詞の桂・香は来ている
し、玉将は元々伝来元の、大理国に有ったのだとした。だから、

昔、日本への将棋の伝来が、相当に早いとされた頃に妥当だっ
た文献に基づく、本ブログの論への攻撃への、どちらかという
と、反撃材料になり得る証拠史料

だと、私は二中歴の”五宝”を読み直して感じたのであった。
(2019/01/15)

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー