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天竺大将棋の最前列はなぜ”犬”か(長さん)

良く知られているように、日本将棋より駒数の多い日本将棋の
最前列には、”でっぱり”がある。そのうち、平安大将棋、
中将棋、後期大将棋、摩訶大大将棋、泰将棋、大局将棋につい
ては注人か仲人が有るため、歩兵の段のもう一段上に、1~2
枚ないし、それ以上の仲人駒が有るため、そうなっているので
ある。でっぱりは、日本で使われた戦陣マークに合わせる為と、
本ブログでは前に説明した。
 他方、犬系の駒が、最前列に並ぶ将棋もある。大大将棋が
代表で、天竺大将棋と大局将棋の最前列にも、犬駒がある。
このうち、大大将棋の成立が、戦国時代末期頃であり、近世に
成立がヅレ込むのではないかと疑われる、天竺大将棋と
大局将棋よりは早い。後2者は、大大将棋の例に倣ったと、
推定される。
 ただし、仲人、犬の両方がある大局将棋は別として、

天竺大将棋には、これが仲人を最前列駒とする中将棋の拡張と
みられるために中将棋では無くて、大大将棋に習った理由が謎

という問題が残る。今回は、この天竺大将棋が中将棋に習った
将棋のように、いっけんして見えるにも係わらず、最前列が、
仲人で無い理由を、論題とする。
 回答を先に書く。

角鷹および飛鷲を、天竺大将棋では最前列にもってきており、
かつ、これらを前方跳びまたは踊り駒としたため、鷹狩りと
犬追いを対に見立てて仲人を、犬に変えたと考えられる。

では、以上につき説明する。
 そもそも、大大将棋で最前列を畸(奇)犬にしているのは、

武家の犬追い遊戯に因んだもの

だと考えられる。武家が頻繁にする遊びなので、歩兵駒の前に
犬を置いて、将棋が武家の遊びという雰囲気を、かもし出すた
めのものだろう。
 ただし、中世には争議で、中世幕府の管轄の調停者が、絡む
という習慣のイメージが強かったので、仲人が普通だったのだ
ろう。中将棋と後期大将棋、摩訶大大将棋の最前列駒が、仲人
なのは、そのためだとみられる。泰将棋は水無瀬兼成の作であ
り、水無瀬は中将棋・平安大将棋を重く見ていたから、泰将棋
では仲人の方を取り、畸(奇)犬は、端列に移動させたと見ら
れる。
 それに対して、天竺大将棋の作者は、角鷹と飛鷲を元駒とし、
歩兵のすぐ下の段に置いた。そのため、

角鷹、飛鷲はジャンプするので、直ぐに歩兵前に出られた。

恐らくだが、誰かに、武家の鷹狩りの雰囲気が良く出ていると、
デザイナーは、褒められたのだろう。そこで、悪乗りして、

犬追いのイメージの出る、大大将棋の前列パターンを選択した

のだと私は思う。なお、大局将棋も、おなじ性質があり、天竺
大将棋成立期に近いため、大橋家関係者だとみられる、大局将
棋の作者は、経緯を知っていて、大局将棋の最前列には、仲人
だけでなくて、犬をも置いたのだと思う。なお、厳密に言うと、
大局将棋では、角鷹は直ぐに出られるが、犬と仲人が、飛鷲の
前出しの邪魔である。また、角鷹・飛鷲が走る上に、大鷹・
大鷲という、制限のない無限跳び越駒に成るので、玉駒が2つ
有っても、初期陣に隙間のない大局将棋では、指し始めから
局面は、おおいに緊迫した状態である。
 また、そもそも犬の使い始に少なくとも近い、大大将棋で
仲人を止めたのは、新しい駒名が多い、書道の手本としても使
える将棋を作ろうとした、大大将棋のデザイナーの特別な事情・
意図もあろうかとみられる。
 以上のような経緯と、仲人の役割が、合戦が無くなった近世
には、はっきりしなくなったのが主な原因で、犬追いの犬が、
その地位に、進出して来たのだろう。
 つまり、天竺大将棋は近世に近くなってできたのと、たまた
ま、中将棋の成りにしかなかった、角鷹・飛鷲を、歩兵下列に
置いたために、デザインされてまもなく、最前列が仲人から、
犬に変わったのだと、私は考えるのである。(2019/01/23)

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