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普通唱導集時代の大将棋は、摩訶大大将棋も生んだ(長さん)

これまで本ブログでははっきり名言して来なかったが、
ひょっとすると、後期大将棋と摩訶大大将棋には、どち
らがどちらであるにしても、親子関係が無いのかもしれ
ないと思えてきた。今回は今述べた事について、説明す
る。

後期大将棋と摩訶大大将棋は、兄弟なのかもしれない。

なお、彼らは3人兄弟であって、中将棋が兄か弟として
存在する。
 前に述べた、17升目168枚制の中間的プロト摩訶
大大将棋のモデルが正しいとして、更にそれを遡ると、

後期大将棋ではなくて15升目自陣5段の潰れた状態の、

プロト後期大将棋と類似の、以下のような潰れた、

17升156枚制潰5段自陣プロトプロト摩訶大大将棋

から、摩訶大大将棋が出来たと考えられるように、私に
は思えてきたのである。

17升156枚制潰れ5段自陣プロトプロト摩訶大大将棋
香車,土将,石将,瓦将,鉄将,銅将,銀将,金将,玉将,金将,銀将,銅将,鉄将,瓦将,石将,土将,香車
反車,猫叉,嗔猪,古猿,臥龍,猛豹,悪狼,盲虎,酔象,盲虎,悪狼,猛豹,蟠蛇,淮鶏,嗔猪,猫叉,反車
口口,桂馬,口口,猛牛,口口,飛龍,口口,鳳凰,口口,麒麟,口口,飛龍,口口,猛牛,口口,桂馬,口口
飛車,横行,横飛,堅行,角行,龍馬,龍王,獅子,奔王,狛犬,龍王,龍馬,角行,堅行,横飛,横行,飛車
歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵
口口,口口,口口,口口,仲人,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,仲人,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,仲人,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,仲人,口口,口口,口口,口口
歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵
飛車,横行,横飛,堅行,角行,龍馬,龍王,狛犬,奔王,獅子,龍王,龍馬,角行,堅行,横飛,横行,飛車
口口,桂馬,口口,猛牛,口口,飛龍,口口,麒麟,口口,鳳凰,口口,飛龍,口口,猛牛,口口,桂馬,口口
反車,猫叉,嗔猪,淮鶏,蟠蛇,猛豹,悪狼,盲虎,酔象,盲虎,悪狼,猛豹,臥龍,古猿,嗔猪,猫叉,反車
香車,土将,石将,瓦将,鉄将,銅将,銀将,金将,玉将,金将,銀将,銅将,鉄将,瓦将,石将,土将,香車

前に述べた、17升目168枚制6段自陣プロト摩訶大大
将棋へは、これに、金剛、力士、左車、右車、驢馬×2を、
両方の陣に加え、156枚に12枚足して、168枚にす
ると、到達する。

17升168枚制6段自陣プロト摩訶大大将棋
香車,土将,石将,瓦将,鉄将,銅将,銀将,金将,玉将,金将,銀将,銅将,鉄将,瓦将,石将,土将,香車
反車,猫叉,口口,古猿,口口,猛豹,口口,盲虎,酔象,盲虎,口口,猛豹,口口,淮鶏,口口,猫叉,反車
驢馬,口口,嗔猪,口口,臥龍,口口,悪狼,鳳凰,獅子,麒麟,悪狼,口口,蟠蛇,口口,嗔猪,口口,驢馬
口口,桂馬,口口,猛牛,口口,飛龍,口口,金剛,狛犬,力士,口口,飛龍,口口,猛牛,口口,桂馬,口口
飛車,右車,横行,横飛,堅行,角行,龍馬,龍王,奔王,龍王,龍馬,角行,堅行,横飛,横行,左車,飛車
歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵
口口,口口,口口,口口,口口,仲人,口口,口口,口口,口口,口口,仲人,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,仲人,口口,口口,口口,口口,口口,仲人,口口,口口,口口,口口,口口
歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵
飛車,左車,横行,横飛,堅行,角行,龍馬,龍王,奔王,龍王,龍馬,角行,堅行,横飛,横行,右車,飛車
口口,桂馬,口口,猛牛,口口,飛龍,口口,力士,狛犬,金剛,口口,飛龍,口口,猛牛,口口,桂馬,口口
驢馬,口口,嗔猪,口口,蟠蛇,口口,悪狼,麒麟,獅子,鳳凰,悪狼,口口,臥龍,口口,嗔猪,口口,驢馬
反車,猫叉,口口,淮鶏,口口,猛豹,口口,盲虎,酔象,盲虎,口口,猛豹,口口,古猿,口口,猫叉,反車
香車,土将,石将,瓦将,鉄将,銅将,銀将,金将,玉将,金将,銀将,銅将,鉄将,瓦将,石将,土将,香車

こう考えられる根拠は、

今小路西鎌倉市福祉センター遺跡中将棋木札が獅子と狛犬
との対称性を強く示唆

している点である。
 狛犬は、獅子と右と左に並んだ形で最初に駒数多数将棋
に導入されると見るのが、

今や全く自然

だ。この狛犬と獅子の導入は、15升目から17升目化し
たときに、5段自陣のままの場合は、角行筋が、タスキで
相手の仲人に当たり、その先の堅行前の歩兵を、横飛で支
えるという形の陣を維持しようとすると、仲人間の列数の
増加が必然になり、よって、2列余計にある分、狛犬と獅
子が必要になるという仕組みで発生する。配列を良く見て
ほしい。
 従って、車列でも無いのに、左右車が最初から有るのは
不自然だから、それは後入れであり、1列内にズレたと見
るべきだ。つまり、元々、

摩訶大大将棋で鉤行と摩羯が入っているパターンで、獅子
と狛犬が並んでいた時代が、進化の中途に有ると疑われる

と言う意味である。
 ちなみに、この
17升156枚制潰5段自陣プロトプロト摩訶大大将棋は、
①陣の形が、同じ17×17升目の大大将棋に似ている
②17升168枚制6段自陣プロト摩訶大大将棋に比べて、
17升156枚制潰5段自陣プロトプロト摩訶大大将棋は、
駒数が12枚少ないので、後期大将棋が130枚である
理由に関する、本ブログの以前の議論とは合う。
③臥龍と古猿、淮鶏と蟠蛇が、全部同じ段になり、
完成した摩訶大大将棋と同じである。
④摩訶大大将棋で土将を作って、桂馬を上段にしたのが、
この段階で、後の4段目になる列の駒に不足が有った為で
ある事が良く判る。
という、特徴がある。ただし、一方78枚づつという駒数
は、前に述べたが、暦とは関連しない。
 ちなみに、後期大将棋の成立のときに述べたが、

猛豹と悪狼、嗔猪と猫叉が、この
17升156枚制潰れ5段自陣プロトプロト摩訶大大将棋
に於いても逆で、後に入れ替えられた可能性が、高い。

この点については、ごちゃごちゃするので、上の説明図で
は、現在の配列になるように、予め入れ替えて作ってある。
 何れにしても重要な点は、

13升の普通唱導集の大将棋を4段で潰れた自陣の形のま
まで、15升目化しようとしたときに、同様のパターンで、
3段目は新たに作ったものの、5段自陣の潰れた自陣の
17升目の将棋を作ると、摩訶大大将棋の元が出来そうだ

という点だろう。
 つまり、冒頭で結論したように、

後期大将棋と摩訶大大将棋は、どちらがどちらにしても、
親子ではなくて、中将棋も入れて3人兄弟だった、

もしくは、

中将棋、後期大将棋、17升目168枚制6段自陣プロト
摩訶大大将棋が3人兄弟で、摩訶大大将棋は、
17升目168枚制6段自陣プロト摩訶大大将棋と、
どちらがどちらかは別にして、親子だった

という可能性がありそうだ。

大阪電気通信大学の高見友幸氏の先見と、

今小路西鎌倉市福祉センター遺跡中将棋木札の発掘で、
獅子と狛犬との対称性が、今や確定化したという事が、
以上の議論には、たいへん大きな影響を及ぼしたと考えら
れる。(2019/02/28)

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大大将棋には、別バージョンは無かったのか(長さん)

いわゆる駒数多数将棋に関する六将棋をみてみると、大大将棋
の形が、大将棋と摩訶大大将棋の中間にしては、大きく形が違
う事が判る。摩訶大大将棋の19升目は、升目総数が361で、
一年の日数に近いからだと言えば、15升目の後期大将棋から、
17升目を飛ばして19升目の将棋が関連する事は、余り変で
は無いのかもしれないが。つまり、現行記録の残っている
大大将棋は、主な系統からは外れた、”後合わせ品”だったと
いう意味である。
 しかしひょっとして、19升目から15升目を作るにしても、
その逆でも、17升目の将棋が有ったのだが、消滅してしまい
水無瀬兼成の安土桃山時代までは、残っていなかったという事
が、とにかく有りはしないのか。
 今回は、その点をチェックしてみた。回答から書くと、
 以下のような配列の将棋は、中間形として、一応相応しいも
のであるとみられる。

香車,土将,石将,瓦将,鉄将,銅将,銀将,金将,玉将,金将,銀将,銅将,鉄将,瓦将,石将,土将,香車
反車,猫叉,口口,古猿,口口,猛豹,口口,盲虎,酔象,盲虎,口口,猛豹,口口,淮鶏,口口,猫叉,反車
驢馬,口口,嗔猪,口口,臥龍,口口,悪狼,鳳凰,獅子,麒麟,悪狼,口口,蟠蛇,口口,嗔猪,口口,驢馬
口口,桂馬,口口,猛牛,口口,飛龍,口口,金剛,狛犬,力士,口口,飛龍,口口,猛牛,口口,桂馬,口口
飛車,右車,横行,横飛,堅行,角行,龍馬,龍王,奔王,龍王,龍馬,角行,堅行,横飛,横行,左車,飛車
歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵
口口,口口,口口,口口,口口,仲人,口口,口口,口口,口口,口口,仲人,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,仲人,口口,口口,口口,口口,口口,仲人,口口,口口,口口,口口,口口
歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵
飛車,左車,横行,横飛,堅行,角行,龍馬,龍王,奔王,龍王,龍馬,角行,堅行,横飛,横行,右車,飛車
口口,桂馬,口口,猛牛,口口,飛龍,口口,力士,狛犬,金剛,口口,飛龍,口口,猛牛,口口,桂馬,口口
驢馬,口口,嗔猪,口口,蟠蛇,口口,悪狼,麒麟,獅子,鳳凰,悪狼,口口,臥龍,口口,嗔猪,口口,驢馬
反車,猫叉,口口,淮鶏,口口,猛豹,口口,盲虎,酔象,盲虎,口口,猛豹,口口,古猿,口口,猫叉,反車
香車,土将,石将,瓦将,鉄将,銅将,銀将,金将,玉将,金将,銀将,銅将,鉄将,瓦将,石将,土将,香車

では、説明を加える。
 どちらでも良いが、15から19の”小から大”の方が判り
易いだろうから、それで説明する。なお実際には、私は摩訶
大大将棋から出発して、上の配列の17升目将棋を作っている。
 ともあれ、上の17升目×17升目将棋は、後期大将棋に、
臥龍、古猿、蟠蛇、淮鶏の非対称小駒で、12支風の駒を入れ、
仏教駒は、金剛と力士だけ入れで6段化し、足りない歩兵下列
駒として、横飛と左右車を入れ、更に驢馬を加えるとだいたい
できる。重要な事は、

驢馬で調整して、この17×17升目将棋は、片方の駒数が、
暦の72候と12月を足した84枚になる

という事である。つまり、一応は尤もらしい駒数総数だ。
 ちなみに、摩訶大大将棋には、これに、
提婆、無明、夜叉、羅刹、鉤行、摩羯、盲熊×2、老鼠×2、
それに歩兵×2が入って到達する。12枚ずつで24枚なので、
合計は168枚から192枚になるのである。これらの駒は、

個人的感覚だが、後から入れたっぽい、駒の群のように見える。

 摩羯が無いから、摩訶大大将棋では無いと言われればそれま
でだが。上記の17升目将棋が、中間型のような形をしている
事は確かだ。
 なお、この将棋は、横飛の前升目の歩兵に、一応猛牛で繋ぎ
があるが、

桂馬が、大阪電気通信大学の高見友幸氏の言うように、跳ぶ
飛龍のルールの方が、桂馬跳びの桂馬よりも、陣が堅い。

また、この将棋も角行がタスキで仲人に当たり、そのため横飛
が導入されたと考えると、摩訶大大将棋と共通の特徴を持つ。
15から19だという仮定から出発しての話だが。この中間型
の17升目将棋に、たまたま金剛力士を入れたのが、後の
摩訶大大将棋の性質を、大きく決めたように、見えなくもない。
つまり、金剛力士が呼び水で、仏教駒が参入したという意味で
ある。
 なお、この将棋は、前に述べた後期大将棋が130枚である
理由と、良く合っては居無い。升目対駒数のグラフを書くと、
中将棋、後期大将棋、摩訶大大将棋のプロットから作られる、
ラインに乗せるには、駒の数が12枚位余計だ。
 しかし6枚づつ12枚減らすと、一方に78枚になり、天竺
大将棋と同じ数だが、暦には関連が薄い。72と84の中間は、
暦に合わせようがないからだ。
 更なる深い考察は、次回以降にしようと思う。(2019/02/27)

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27升目366枚制新延年大将棋のルール(長さん)

以下、前に紹介した、3×3×3の27升目一年日数
の切り上げ366枚制の、摩訶大大将棋類似の泰将棋
の大幅改善将棋のルールを、本当に口伝できるのかど
うかをチェックするため、何も見ないで試しに、二中
歴風に書いてみた。なお、既成のルールと、少し変え
た点の理由も、そのつど邪魔にならない程度に入れ込
んだ。実際に、前に紹介したこのゲームの、性能チェ
ックは、前に書いた付加したムダだった部分は別とし
て、残りは以下のルールに基づき行っている。ただし、
木将の成りは中将から、本来の白象に変えてある。

27升目366枚初期配列.gif

27升目366枚制新延年大将棋のルール

001.取捨てで、玉将、太子を全て取ったら勝ちになる。
002.盤は27升目×27升目、自陣9段。成り規則は末備参照。
003.玉将を最下段の中央に置き、8方に1升目歩む。不成。
004.横隣に、右に右将、左に左将を置く。玉将と動き同じ。
右将と左将は、8方に1升目歩む。
005.右将左将は成ると右軍と左軍になる。
右(左)軍は右(左)斜め前と後、右(左)横3方向走り。残り歩。
006.玉将一つ置いて隣に金将。斜後ろに行けない。
成ると奔金。元駒の歩む方向に走る。
007.最下段次に銀将。横と後ろへ行けない。成ると奔銀。
奔銀は元駒の歩む方向に走る。
008.次に銅将。前・斜め前三方と、後ろに歩む。成ると奔銅。
奔銅は元駒の歩む方向に走る。
009.次に鉄将。前・斜め前三方に歩む。成ると奔鉄。
奔鉄は元駒の歩む方向に走る。
010.次に瓦将(がらしょう)。斜め前と後ろ3方歩み。
成ると奔瓦。元駒の歩む方向に走る。
011.次に石将。斜め前2方歩み。成ると奔石。
奔石は元駒の歩む方向に走る。
012.次に土将。前後2方歩み。成ると奔土。
奔土は元駒の歩む方向に走る。
013.以下、踊りの動きが現われる。2踊り駒は、2升目
先に跳び越え、途中の相手駒を任意取り。また隣升目でも止まる。
”隣升目止め”はゲームの攻守バランスを安定化させるため付加。
3踊り駒は、同様に隣接升目へも行け、2目踊りも兼ねる。
以下、より大きな踊りも同様。
014.次に火将。前後2方向3踊り。斜め前に歩み。
成ると大将。制限のない、独特な跳び越えのみする。
015.大将・副将駒の跳び越えは、天竺大将棋に見られるもの
を採用。すなわち、その方向に幾つでも駒を跳び越えられるが、
着地は空いた升目で、必ずしなければならない。途中の相手の駒
が有れば任意に取れる。駒格等、跳越えや取りに例外はつけない。
016.大将の動きは八方に大将・副将型の升目数の制限の無い
跳び越えとする。跳び越えないと相手駒は、取れない。
017.火将の次に木将を置く。斜め前の2方向に2踊る。
成ると白象。
018.白象は、8方向に2踊りずつ。隣接8方へ歩みも可。
019.次に水将。斜め前の2方向に3踊り。前後に歩む。
水将は成ると副将。
020.副将の動きは斜め4方に大将・副将型の升目数の制限の
無い跳び越え、前後左右に、麒麟型で2升目先に跳び。
021.次に桂馬。前升目の更に斜め前に、桂馬跳び。金将成り。
022.次に香車。前方走り。金将成り。端列につき後で再掲。
031.2段目中央玉将の前に、太子を置く。玉将と同じ動き。
太子は不成り。太子が有れば、玉将を取られても負けにならない。
032.太子の横に近王。後ろへ行けない7方動き酔象と同じ。
近王は前旗に成る。前旗は中央直ぐ横筋の歩兵後ろに元からある。
前旗は前後左右に走り、斜め4方向に3踊り。
033.近王の次に左に提婆。右に無明。
034.提婆は銀将の反時計回り90°回転動き。斜めと左歩み。
035.提婆は教王に成る。7段目に元駒が有る。
036.教王は、八方狛犬の3踊りに加えて、奔王の動き。
成り代わりルールは、類似の駒が多いため、採用しない。
037.無明は銀将の順時計回り90°回転動き。斜めと右歩み。
038.無明は法性に成る。6段目中央に元駒が有る。
039.法性は、獅子の動きに加えて、奔王の動き。
成り代わりルールは、獅子系の駒が多いため、採用しなかった。
040.提婆と無明の隣は空き升目を置いて、踊鹿。
踊鹿は酔象の後退しない七方歩みに加えて、横は2升目踊り。
踊鹿は方行に成る。
041.方行は8段目に元駒が有る。
方行は飛車の動きに加えて、斜め前2方向歩み。
042.踊鹿の横は空升目で次に行鳥。
行鳥は酔象の後退しない七方歩み動きに加えて、前のみ2升目踊り。
行鳥は奔鬼に成る。
043.奔鬼は、前後に5踊り、その他斜めと横計6方向走り。
奔鬼は前後に隣接升目止まり、2踊り、3踊り、4踊りも可とする。
044.行鳥の次は空升目で次に馬麟。
馬麟は金将の動きに加えて、斜め前の2方向に2踊り。奔王に成る。
045.奔王は、8段目中央に元駒もあり、8方向何れも走る。
046.次に空升目で次に変狸。変狸は前と横3方向2踊り
変狸は成ると鳩盤。大局将棋の左の鳩盤。
この将棋には鳩槃が元からあるが、鳩槃と鳩盤は別種。
047.鳩盤は斜め4方向に走り、縦横4方向2踊り。
なお鳩槃は、斜め前に3升目先に跳び、その後2升目先まで走る。
鳩盤には、この斜め前の動きは無い。
048.次に空升目で次が驢馬。
驢馬は前後2升目麒麟型の跳び、左右に歩み。変狸同様鳩盤成り。
049.鳩盤は斜め4方向に走り、縦横4方向2踊り。
050.驢馬の隣が反車。端列駒。前後2方向走り。成ると金将。
061.三段目太子の前に、酔象。後ろに後退できない7方向歩。
酔象は成ると、玉将動きの太子。
062.太子は玉将が無くても、これが1枚でも有れば負けない。
063.酔象の横に盲虎。前に行けない7方向歩み、成ると奔虎。
奔虎は、盲虎の歩む方向に走る。
064.盲虎の横に猛豹。横に行けない6方向歩み。成ると奔豹。
奔豹は、猛豹の歩む方向に走る。
065.次に臥龍。斜め前に行けない、金将と天地逆の6方歩み。
臥龍は成ると奔龍。奔龍は、臥龍の歩む方向に走る。
066.臥龍の横は空升目で1置いて次に古猿。銀将と天地逆動。
すなわち古猿は、斜めと後ろの5方向歩み。成ると山母。
067.山母は、古猿の歩む方向に走るとともに、前に1歩進む。
大局将棋では、しばしば特定方向の歩みを止めてしまっているが、
同じ動きの駒が出来やすいため、採用しなかった。
068.古猿の横は空升目で次に蟠蛇。銅将と天地逆の動き。
蟠蛇は、前後と斜め後ろの計4方向歩み、成ると奔蛇。
069.奔蛇は、蟠蛇の歩む方向に走る。
大局将棋の蟠龍の名は、煩雑なため採用しなかった。
070.次も空升目で、その次が淮鶏。前に行けない金将動き。
淮鶏は、斜め前、左右横、後ろの5方向歩み。成りは仙鶴。
071.仙鶴は、淮鶏の歩む方向に走る。
072.次は空升目で次が猫叉。斜め4方向歩み。
奔猫(ほんみょう)に成る。奔猫は、角行の動き、斜め走り。
073.猫叉の次が空升目、次が牛車。端駒。前方走り香車と同じ。
牛車は成ると前牛。
074.前牛は、斜め4方向歩み、前後走り。
大局将棋の強い動き採用。端筋の駒については、後で再掲。
080.中央4段目、酔象の前に獅子を置く。2升目不性行度踊。
獅子は、2回、八方隣接升目のどれかへ行ってから、もう一度、
八方升目のどれかに、玉将のように2度行ったと仮定して、そこで
止まり、途中の相手駒も有れば任意に取れる。踊りの一種であり、
1歩目に自分の駒が居て、飛び越しても良い。また隣接升目でも
止まれる。
獅子は獅鷲に成るとする。
081.元の位置に戻り、かつ途中に相手駒が有って、取った場合、
別の駒種についても居喰いと表現する。
一般に居喰いする駒は、不正行度とは限らず、踊らない事がある。
082.獅子に関する特別な規則は、この将棋では採用しない。
083.獅鷲は、6段目中央から2列目に、元駒としても有る。
獅鷲は獅子の動きに加えて、角行の動きも兼ねる。
084.獅子の隣に、左に麒麟、右に鳳凰を置く。
085.麒麟は前後左右2升目先に跳び、斜め四方歩。成ると獅子。
086.鳳凰は斜めに2升目先に跳び前後左右に歩む。成ると奔王。
087.麒麟および鳳凰の隣の升目にそれぞれ悪狼を置く。
悪狼は、前、左右横、斜め前の計5方向に歩む。成ると奔狼。
奔狼は、悪狼の歩む方向に走る。水無瀬兼成摩訶大大ルールを採用。
088.悪狼の横は空升目で、その一つ先に飛龍。斜め4方2目踊。
089.飛龍は龍王に成る。大大将棋ルール採用。
龍王は前後左右に走り、斜め4方歩む。
090.飛龍の次は空升目、次に猛牛。猛牛は前後左右4方2踊り。
猛牛は飛牛に成る、大局将棋ルール採用。飛牛は斜めと前後6方走。
091.猛牛の次に空升目ついで盲熊。盲熊は横と斜め6方歩み。
盲熊は飛鹿に成る、大局将棋ルール採用。前後に走りその他6方歩。
092.次いで空升目次いで嗔猪。前後左右歩み。成ると奔猪。
元駒の動きは、江戸時代の嗔猪。成りの動きは中将棋の奔猪。
成りのパターンは、摩訶大大将棋を採用。元駒、成り駒の動きに
ついて、不規則であるため、大局将棋ルールは不採用とし使われる
事の多いパターンに、変えた。
093.奔猪は、横と斜めに6方向走り。動きは中将棋とする。
094.次いで空升目ついで老鼠。老鼠は前と斜め後ろ3方向歩み。
老鼠の成りは蝙蝠を採用。
095.蝙蝠は、老鼠の歩む方向、前と斜め後ろの計3方向に走る。
096.次いで端列で走車。走車の動きは飛車に加え斜め後歩。
走車は、前後左右の四方向に走り、斜め後ろに歩む。成ると砲車。
砲車は、走車の2升目前に居る。
097.砲車は、前後と斜め前の4方向走り、左右2方向に歩む。
101.5段目獅子の前升目に狛犬を置く、狛犬は八方3踊り。
狛犬は、隣接8方行き、2升目先踊り、3升目先踊り、全て可能。
大象成り。大象は7段目にも元駒で有る。
狛犬は、走る事はできない。走る事のできる大局将棋の動きは、教王
と区別がつきにくくしているので、採用しなかった。
102.大象は狛犬の動きに加えて、前後左右、斜め後ろ六方に走る。
大象の動きの方は、斜め前がわかりやすく、大局将棋を採用した。
103.狛犬の隣に鳩槃を置く。
104.鳩槃は斜め4方向に走り、縦横4方向2踊りに加えて更に、
斜め前に3升目先に跳び、そこから更に2升目先まで走る。不成。
鳩槃は大局将棋の、右鳩槃を採用した。
105.鳩槃の隣は空升目で、次に夜叉を置く。
106.夜叉は、前に行けない金将の動きに加えて、横2方向3踊り。
大局将棋の夜叉の動きを採用し防御力を強化した。大阪電気通信大学
の摩訶大将棋の現在のルールと、類似である。ただし横隣接升目へ行。
2踊りも可能。四天に成る。
107.四天は、8方4目踊りとする。大局将棋ルール採用。隣接升
目行き、2、3踊りも可能。
108.夜叉の隣は空升目で、次に羅刹を置く。
109.羅刹は、前に行けない金将の動きに加えて、斜め前2方向
3踊り。四天に成る。四天は、8方4目踊り。(夜叉の成の項目参照)
110.羅刹の隣は空升目で、次に金剛を置く。
111.金剛は、前後左右3踊り、斜め前2方向歩み。将棋纂図部類
抄とは異なり、前後左右隣接升目で止まれ、2目踊りも可能とする。
112.金剛は四天に成。四天は8方4目踊り(夜叉の成の項目参照)。
113.金剛の隣は空升目で、次に力士を置く。
114.力士は、斜め4方向3踊り。横2方向歩み。将棋纂図部類
抄とは異なり、斜め4方向は隣接升目で止まれ、2目踊りも可能。
115.力士は、大局将棋のルールと異なり、横へ行けるとした。
116.力士も四天に成。四天は8方4目踊り(夜叉の成の項目参照)。
117.力士の横は空升目で更に横に白象。
118.白象は、8方向2踊り。象王に成る。
119.象王は、斜めに走り、縦横に2踊り。鳩盤と同じ動き。
120.白象の隣は空升目でその隣が端列で強車。強車は前後左右斜め
前の6方走で不成。
131.狛犬の前升目6段目中央に、法性を置く。
132.法性は、獅子の動きと奔王の動きを兼ねる。不成り。
法性には摩訶大大将棋の、成代りルールは採用しない。(無明参照)
133.法性の隣に獅鷹を置く。獅子の動きと角行を兼ねる。不成り。
134.獅鷹の隣に奮迅を置く。獅子と狛犬の動きを兼ねる。不成り。
135.奮迅の隣は空升目で更に隣に飛鷲を置く。
136.飛鷲は、前後左右、斜め後ろの6方向走り、斜め前の2方向
2踊り、隣接升目行き可能で、8方向何れも、居喰いができるとする。
大鷲に成る。
137.中将棋の飛鷲に加えて、斜め前隣接升目に止まれ、居喰いは
煩雑な為2方向から8方向全部に、変えた。以下、角鷹、山鷲、山鷹
について、何れも同じパターンの変更をしている。
なお飛鷲の、斜め前に走る、大局将棋のルールは、跳びや踊りの混在
の問題があり、採用しなかった。
138.大鷲は、八方走りに加えて、斜め前へは幾らでも跳び越えら
れるとする。ただし、跳び越えたときには、相手の駒は取れない。
空升目で着地しなければならない。大鷲は7段目に元駒として存在。
139.大鷲、大鷹については、玉駒の即死を防ぐため、跳び越えた
ときには、相手駒を取れ無いと言う調整をした。天王も元の大局将棋
の四天王から、同じように変えた。
140.飛鷲の横は空升目で、更に横に角鷹。
角鷹は前を除く7方走り、前に2目踊りと歩、8方向居喰い。
141.角鷹は、大鷹に成る。大鷹は7段目に元駒として存在。
142.大鷹は、八方走りに加えて、前へは幾らでも跳び越えら
れるとする。ただし、跳び越えたときには、相手の駒は取れない。
空升目で着地しなければならない。大鷹は7段目に元駒として存在。
143.角鷹の横は空升目で次に、左辺が山鷲左で、右辺が山鷲右。
144.山鷲左は、前後左右と斜め右前の5方向走り、前後左斜めと
右斜め後ろ3方に2目踊りで、8方向居喰い。飛鷲に成る。(飛鷲前出)
山鷲左に大局将棋の、前後左斜めに走るルールは、採用しない。
145.山鷲右は、前後左右と斜め左前の5方向走り、前後右斜め
左斜め後ろ3方に2目踊りで、8方向居喰い。飛鷲に成る。(飛鷲前出)
山鷲右に大局将棋の、前後右斜めに走るルールは、採用しない。
146.左右の山鷲の横は空升目で、その更に向こうの升目に山鷹。
山鷹は、斜め前2方向と左右横と後ろの5方向に走りで、前と斜め後
ろの3方向に2踊り、8方向居喰い。角鷹に成る。(角鷹前出)
147.山鷹の隣は空升目で、その隣に摩羯。
148.摩羯は角行の動きを折り曲げて2回する。駒を取ったらその
向こうへは行けない。摩羯の成りは金将。
149.摩羯の隣が端列で砲車。
150.砲車は前後と両斜め前計4方走り、横2方向歩み。不成。
161.七段目中央、法性の前に自在を置く。
162.自在は、空いたどの升目にも行くに加え奔王の動きを兼ねる。
また自在は8方向隣接升目で居喰い。不成り。この駒は勝敗に無関係。
163.自在は自在王から、大きく跳んで、繋ぎ駒が無ければ相手駒
を取れる動きを、無くした。奔王動きか居喰いの場合を除いて、空升
目にだけ行ける。また駒を取った時に、この駒が取られても、反則に
はならない。この将棋では、この駒は玉駒では無いとした。不成り。
玉将の類が増えると、守備力が過大になり、駒が枯れるまで勝負が
付かないため、自在を、玉駒にする事自体を止めたのである。
164.自在の横に天王を置く。四天王に類する駒。奔王の動きの
ルールで、更に駒を跳び越える事も出来るが、
天王は、跳び越えたときには、空の升目にしか行けないとした。
ただし、8方向居喰いのルールを、新たに付けた。不成。
165.玉駒が即死するので、大局将棋のルールをこのように変えた。
166.天王の横に大鷲を置く。大鷲は8方向走りに加えて、斜め前
へは空の升目ならへ、幾らでも跳び越えて行ける。また、8方向に
居喰いが可能。大鷲は不成りとする。
167.即死してゲームが終わるので、大鷲の跳び越えにも制限をつ
けた。
168.大鷲の横に大鷹を置く、大鷹は8方向走りに加えて、前の升
目は空升目なら、その升目へ、幾らでも跳び越えて行ける。また、
大鷹は、8方向居喰いが可能。
大鷹も不成りとする。
169.即死してゲームが終わるので、大鷹の跳び越えにも制限をつ
けた。
170.大鷹の隣は空升目で、次に奔鷲を置く。
171.奔鷲は、8方向に4踊りができ、また奔王の動きを兼ねる。
また、隣接8升目について居喰いができる。不成り。
172.大局将棋のルールが、わかりやすいため、この駒について
は、大局将棋のルールを採用した。
173.奔鷲の隣は空升目で、次に教王を置く。
教王は、狛犬と奔王の動きを兼ねる。不成。
174.教王も、入れ替えルールは、類似の駒が多く削除した。
175.教王の隣は空で次に大象を置く。
大象は、狛犬の8方向3踊りに加えて、前後左右斜め下の6方向走。
176.大象は不成り。
177.大大将棋のルールで、3駒跳越えを狛犬踊りと解釈変えした。
178.大象の横は空升目でその横に大獏。大獏は8方向走り横3踊。
179.大局将棋の水牛の成りの大獏の動きのうち、横を3跳びでは
なくて、不明解なため3踊りと再解釈。この駒を元駒として加えた。
ただしこの大獏は、大局将棋の大獏のように、横に走れる。
180.大獏の横は空升目でその横に左端に左車、右端に右車を置く。
181.左車は、右斜め前、左斜め後ろ、前方3方走り、左横歩み。
182.左車は左鉄車に成る。
左鉄車は斜め右前、両斜後ろ3方走り左横歩み。
183.右車は、左斜め前、右斜め後ろ、前方3方走り、右横歩み。
184.右車は右鉄車に成る。
右鉄車は斜め左前、両斜後ろ3方走り右横歩み。
191.8段目中央、歩兵列の後ろ、自在の前に奔王を置く。8方走。
192.奔王は奔鷲に成る。奔王に加え4踊り8方居喰い。前出。
193.奔王の両横に前旗を置く。前後左右走り、斜め4方3目踊り。
194.前旗は大旗に成る。大旗は前後左右斜め前6方走り、斜後ろ
2方向3踊り。
195.前旗の隣に大鳩を置く。大鳩は斜め4方走、前後左右3踊り。
196.大鳩は鳩槃に成る。鳩槃は斜め4方走、前後左右2踊りに加
えて、斜め前に3升目先に跳んでから、更に2目走る(前出)。
197.大鳩の隣に龍王を置く。前後左右走り斜め4方向歩み。不成。
198.龍王の隣に龍馬を置く、斜め4方向走り前後左右歩み。不成。
199.龍馬の隣に角行を置く。斜め4方向走り。金将成り。
200.角行の隣に方行を置く。前後左右4方向走り、斜め前歩み。
方行は強車に成る。元駒方行は、大大将棋の斜め前歩み動き採用。
201.強車は、前後左右と斜め前の6方向走り。(端駒として前出)
202.方行の隣に堅行を置く。前後2方向走り横2方向歩み金将成。
203.堅行の隣に横行を置く。横2方向走り前後2方向歩み金将成。
204.横行の隣に鉤行を置く。飛車の動きを2回繰り返す。駒を取
ると、更にその先へは行けない。金将に成る。
205.鉤行の隣に堅兵を置く。前に走り後ろへ歩み、左右2目踊る。
堅兵は車兵に成る。
206.車兵は斜めと前後、6方向に走り、横2方向に2目踊る。
207.堅兵の隣に横兵。横2方向に走り、前に2踊り、後ろに歩む。
208.横兵は水牛に成る。水牛は斜めと横6方向走り、前後2目踊。
209.横兵の隣に車兵。
210.車兵は斜めと前後、6方向に走り、横2方向に2目踊る。
211.車兵は天王に成る。
212.天王は奔王の動きに加えて、8方の空いた升目に跳び越える。
また、隣接8升目に居喰いができる。(前出7段目駒)
213.車兵の横が端列で飛車を置く。飛車は前後左右に走る金将成。
221.9段目には、27枚歩兵を並べる。前に一歩歩む。金将成り。
222.角行の2升目前に、仲人を左右に1枚ずつ置く。
223.仲人は前後に歩む。成ると奔人。奔人は前後に走る。
231.車駒だけの端列について、再掲する。
一段目から、香車、反車、牛車、走車、強車、砲車、左車か右車、
飛車の8枚が、8段目まで来る。ただし7段目は左に左車。右に右車。
232.香車と前後走りの反車は金将成り。牛車は香車と同じ動きで、
前後走りの斜め歩みの前牛に成り。走車は飛車で斜め後ろ歩み砲車成、
強車は前後左右斜め前6方走り、不成り、砲車は前後斜め前4方走り、
横歩みで不成り。左車が右斜め前左後ろと前3方走り左歩みで、前を
右斜め後に変えた左鉄車成、右車が左斜め前右後ろと前3方走り右歩
みで、前を左斜め後ろに変えた右鉄車成。飛車は、前後左右走りで、
金将成りである。
241.成りは相手陣または、自陣(19~27段目、1~9段目)
に有る、相手の駒を取った時に強制成り。
245.歩兵は相手陣奥で、金将に強制成り。他は相手駒をどちらか
の陣内で取らない限り成れない。
251.千日手は、引き分けだが、連続王手と連続駒取りは、掛けて
いる方が負け。
255.入玉は、何枚しても勝敗に無関係。
261.駒枯れは引き分けだが、駒枯れの正確な定義は未確定。
以上のような、ルールになっている。

途中で、大局将棋の盲熊のルールが、大局将棋の
嗔猪と同じかどうかを、一回確かめたが、将棋の
ルール資料を見たのはそれ位で、その他は、全部
記憶で以上の文書は書けた。ナンバリングが、余
り正確ではないが、全部で150項目程度だろう。
”摩訶大大将棋の拡張”という枠組みがあるので、
泰将棋や大局将棋と異なり、

この将棋の駒の配列が、容易に連想できるから、

何も見なくても書けるのである。
何日かかかるだろうが。このゲームをルールを覚
えている者としての口伝で、プレーを希望する
他人に伝えるのは、私には一応可能だと結論した。
(2019/02/26)

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獣辺の狛は、平安時代中期以前の字(長さん)

経緯は不明であるが、日本将棋連盟関西本部の水無瀬の間
に”狛犬の駒”が飾ってあり、狛犬の狛が、獣辺になって
いるのは、最近のwebの、プロ棋士の藤井聡太氏の画像
等でなじみがある。ところで、
今小路西鎌倉市福祉センター遺跡中将棋木札には、狛犬を
指すと見られる”志ろいぬ”の文字が見え、獅子の獅の字
を師と変えて書く事に、対応付けた下世話言葉と考えられ
ている。従って、この木札が作成された時点で、

狛犬の狛は、獣辺ではなくて犬辺が使われる事が多かった

はずである。

日本将棋連盟関西本部の水無瀬の間の狛犬の字は、将棋が
伝来して居なかった、10世紀以前の字を、取り越し苦労
で使ってしまったもの

とも予想される。ただし、そう考える事ができるのは、

犬辺の狛犬の狛の字が、かなり前から使われていたとの
証拠がある場合だけ

だ。一応これまでの本ブログの認識では、旧字体の旧は、
将棋史の感覚から見ると、飛鳥時代頃のより古い時代の事
を指すのではないかと、疑われると言うわけであった。
そこで今回は、証拠の一例として、12世紀に成立した、
色葉字類抄の2巻物バージョンで、狛犬の狛の字の字体を
念のためチェックしてみた。
 国会図書館の電子書籍に、色葉字類抄の2巻物バージョ
ンがあるので、web上でチェックができ、以下のような
字が”こ”の”動物”類の字の所で見つかった。

色葉字類狛.gif

 確かに、平安時代末までには、狛犬の狛は獣辺は使われ
なくなり、犬辺の現在の字体に近いものも、使われるよう
になっていた

ようだ。今小路西鎌倉市福祉センター遺跡中将棋木札が、
少なくとも、14世紀の鎌倉時代末以降のものであれば、
駒名の狛犬が、将棋のゲーマーの間で、通称で”志ろいぬ”
と呼ばれるようになっていても、一応矛盾は、無さそうだっ
た。(2019/02/25)

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摩訶大大将棋が中世流行らなかった原因とその対策(長さん)

今回は、摩訶大大将棋は指されたのかという論題については

①流行らなかった、

と結論し、原因は、

②五角形の将棋駒を多数作るのが、面倒だったから

という話をしよう。その上で、

③現代的には、エクセル表で摩訶大大将棋を指せば解決する

と対策の提案を更にする。
 さて遊戯史学会では、後期大将棋以上の駒数の多い将棋が、
長年には流行らなかったというのが定説であり、理由は”ゲー
ムが複雑すぎたので、より単純なルールで、奥が深いものに、
取って代わられた”と、今の所、みなされている。
 先行研究としては、増川宏一氏の将棋Ⅰが定説の源である
とみられ、遊戯史学会では、定説が正しいとする、空気が強
いと、個人的には認識する。
 それに対して、反対する立場に、大阪電気通信大学の
高見友幸氏の研究があり”摩訶大将棋は短時間で勝負が付く”
との旨、ブログ上で、定説を否定するための根拠も述べられ
ている。
 本ブログでは増川氏の原因説には、反対する。理由は、

中将棋が日本で流行った経緯があり、92枚を192枚に、
より多くすると流行らなくなるという説は、根拠が非の打ち
所がないという程度には、少なくとも磐石とは言えない

と考えるからである。つまり

毒を喰らわば皿までも

という諺も、成り立つのではないかという事である。
 実際に、摩訶大大将棋をしようとして障害になるのは、む
しろこのゲームの道具である

将棋駒を192枚作るのが、めんどくさい事

であったのではないか。よりマズイことには、途中で駒作り
に頓挫してしまうと、日本将棋なり、中将棋なり、より少数
の五角形駒の木地を使って、ゲーム具を作るのが簡単なゲー
ムが、漢字で書く、駒の種類を行き先変更するだけで、別に
出来てしまう事だ。結局、それで途中で転向して、
摩訶大大将棋を指さなかっただけの疑いも、増川説の反対論
の根拠には、残っていると私は思う。
 道具を作るのがめんどうな為に、作らなかったという説は、
デジタルゲームを作るのが、学科の本職の高見友幸氏にとっ
ては、彼の現在置かれた環境が特殊であるために、彼が強調
はして居無いように認識する。
 そこで、以下にほとんど指摘された事が無いが、道具が
作りやすい事は大切だと言う根拠として、エクセル表にコピー
すればゲームが出来る、という方法を実際にしてみて、その
傍証を得ようと、以下試みた。
 まずは初期配列の駒字をエクセルコピー用に、本ブログで
も、それで通常文面が表示されるが、テキストファイルとし
て作ってみた。

上の方は中央列までであり、右袖はその下に書いてみた。

香車,土将,石将,瓦将,鉄将,銅将,銀将,金将,無明,玉将
反車,口口,猫叉,口口,古猿,口口,臥龍,猛豹,盲虎,酔象
口口,老鼠,口口,嗔猪,口口,盲熊,口口,悪狼,鳳凰,獅子
驢馬,口口,桂馬,口口,猛牛,口口,飛龍,夜叉,金剛,狛犬
飛車,右車,横行,横飛,堅行,角行,龍馬,龍王,鉤行,奔王
歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵
口口,口口,口口,口口,口口,仲人,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,仲人,口口,口口,口口,口口
歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵
飛車,左車,横行,横飛,堅行,角行,龍馬,龍王,摩羯,奔王
驢馬,口口,桂馬,口口,猛牛,口口,飛龍,羅刹,力士,狛犬
口口,老鼠,口口,嗔猪,口口,盲熊,口口,悪狼,麒麟,獅子
反車,口口,猫叉,口口,淮鶏,口口,蟠蛇,猛豹,盲虎,酔象
香車,土将,石将,瓦将,鉄将,銅将,銀将,金将,提婆,玉将

提婆,金将,銀将,銅将,鉄将,瓦将,石将,土将,香車
盲虎,猛豹,蟠蛇,口口,淮鶏,口口,猫叉,口口,反車
麒麟,悪狼,口口,盲熊,口口,嗔猪,口口,老鼠,口口
力士,羅刹,飛龍,口口,猛牛,口口,桂馬,口口,驢馬
摩羯,龍王,龍馬,角行,堅行,横飛,横行,左車,飛車
歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵
口口,口口,口口,仲人,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,仲人,口口,口口,口口,口口,口口
歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵
鉤行,龍王,龍馬,角行,堅行,横飛,横行,右車,飛車
金剛,夜叉,飛龍,口口,猛牛,口口,桂馬,口口,驢馬
鳳凰,悪狼,口口,盲熊,口口,嗔猪,口口,老鼠,口口
盲虎,猛豹,臥龍,口口,古猿,口口,猫叉,口口,反車
無明,金将,銀将,銅将,鉄将,瓦将,石将,土将,香車

読者の皆さんには、適宜、マイクロソフトのエクセル
表に、上記テキストをファイルとしてコピーしてもら
おう。予め駒が並んだだけの部分で、

ファイルを別に作ってもらって、それをエクセルで
読み込む

ようにしてほしい。ただし、口口は空升目だから、
プレー中に上書きして、

消して良い。

コピーしてエクセル表形式にして、左右をつなげて列
幅を4.0程度にすると、以下のようになるはずだ。

エクセル摩訶大初期.gif

このケースは、表計算ソフトとして、マイクロソフト
のエクセルが一応必須だ。理由は、マウスをカラムの

右上隅に当てて、駒を動かしたい升目へスライドさせ
ると、ソフト・エクセルでは、字が上書きされるから

だ。類似の、互換性のあるとされる表計算ソフト、
Apache OpenOfficeに、エクセル表
計算ソフトの互換ソフトが、付帯されては居るが、
この”カラムの、すくい上げ移動機能”が見当たらな
いのである。だから、上記簡易の表計算ソフトは、
取捨て将棋用には使えない。他のソフトは、試したこ
とが私には無いので、使えるかどうか今の所なんとも
言えない。
 ともあれ上の図では、マイクロソフトのエクセルを
使って、先手が中央の歩兵を、初手で動かそうとして
いる所を例示している。なお、

取捨て将棋なので、敵味方の駒は、色分け

すれば良い。また、持ち駒台が無いので、持ち駒台を
作ったり、テスト中に、整理したり、色を自分の側に
変えたりしなくても良い。成りは、フォントの調整で、
そのつど好きな色を変えればよい。

後は、将棋のルールを、人間が覚えるだけ

だ。
 対ソフトAIの対局用ソフトも、高見研究室で摩訶
大将棋用に作ったのを、以前頂いた事があるが、

ルールが変わると、バージョンの新しい物を手に入れ
ないといけないのが、かえって不便

だ。フリーハンドにして、エクセルで、そのときのバー
ジョンで手指しした方が、

将棋具の用意が、とても簡単だ。

今回は、本ブログで駒名を書いた表を上に作ったが、
新たに自分で作成するとして、体裁を気にしなければ、

どうぶつ将棋の将棋具を、売り場まで買いに行くより
時間が掛からない事だけは、確か

だろう。実際、用意したエクセル表さえ有れば、この
ケース、摩訶大大将棋は出来てしまう。道具を用意す
る手間が、日本将棋に比べて格段にかかるとは、とて
も言えない。
 実際に使った例を、以下示す。
 以下は、後手の提婆や無明の早繰り作戦を、獅子か
奮迅で受ける戦法の研究例である。

エクセル摩訶大対策.gif

 後手は、無明を無理目に繰り出して、法性作りを目
指している。先手として、

獅子の成った奮迅で、止められるかどうかをチェック
した所

である。後手は、先手の奮迅の繰り出しに対し、狛犬
で△9九狛犬(8八)として対抗してきた。先手は、
2九位置の飛車で▲9九飛車として狛犬を払い、
△同羅刹とされてから、
”▲12十金将なり代わり法性”と、後手の無明を取
れば、奮迅が一枚守りに利いている分、この局面は、
先手が受かっているとみられる。

無明早繰りには、おしげなく獅子で対応すべし

という格言を作ると、それが正しいと言う事だろう。
 なお、上の図では、二人で指すにしても、並んで
指す必要がある。向かい合って指すには、後手の駒が
ひっくり返しの字に、なっていないといけない。
 マイクロソフトの表計算ソフトのエクセルの場合、
セルの書式設定のフォントで”表示フォントの種類”
の頭に、アット(@)マークを付けておいてから、
次にフォントの表示方向を90°に先手と後手とで
反対に変えると、字が後手の分だけひっくり返り、
下の写真のように、向かいあって、対局できるように
なる。ただしパソコンでは、後手のマウスの向きが、
いつもと逆になってしまう。馴れるしかないのかもし
れないが、ゲーム用のインターフェースが、有れば便
利だろう。

エクセル手摩訶将棋.gif

 このように、現代なら、マイクロソフトの表計算ソ
フトのエクセルを使って、摩訶大大将棋は、容易に始
められるので、五角形の将棋駒を、192枚用意しな
くて一応済む。
 実際には、中将棋を指すほどの人間が、中世にはた
くさんいて、それでも摩訶大大将棋が、余り指された
形跡が無いというのは、むしろおかしな話である。
 今でもそうなのだから、昔もいっしょだったのでは
ないか。

五角形駒を作るのが、結構、ゲームをしようとすると
めんどう

だった。それだけが、摩訶大大将棋を、中世の将棋指
しが指さなかった本当の訳のように、私には疑われる
という事に、一応なったのである。(2019/02/24)

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大大将棋の馬麟~踊鹿の成りの奔王~方行。何を根拠に決めた(長さん)

大大将棋の成りはユニークである。ただし、近王の成りの
前旗は位置から、変狐と変狸は化狐、化狸の意味とすれば、
成りの夜叉と鳩槃は、イメージだったとみられる。
 しかし、表題のように馬麟、水牛、行鳥、飛龍、猫叉、
踊鹿の成りが、それぞれ、奔王、奔獏、奔鬼、龍王、龍馬、
方行である理由は、飛龍の龍王は別として、少なくとも自
明では無い。大大将棋のデザイナーは、何を考えて、この
ような、元駒成駒の対応付けをしたのだろうか。以上を、
今回の論題とする。
 最初に回答から書く。
奔王、奔獏、奔鬼、龍王、龍馬、方行という成りの系列が
先にあって、この元駒の馬麟、水牛、行鳥、飛龍、猫叉、
踊鹿は、これに合わせて後で考えた。前者は単なる序数詞
の代わりに過ぎない。

後者は、陰陽道の思想に従い、12支の方角で、五芒星を
象っている。

 すなわち、方位の馬(午)からだいたい144°づつ、
反時計回りにまわして、馬牛鶏龍と対応させ、その後、
36禽の副動物である、恐らく猪の代わりの猫、馬の代わ
りの鹿とした上で、修飾詞等の、麟、水、行、飛、叉、踊
をつけて駒名にし、序数詞の代わりの前記の成りにした。

 では、以下に説明を加える。
馬麟、水牛、行鳥、・・これらの大大将棋駒の、元駒の名
称の付け方も、

陰陽道や五行説、風水と言った系統の、占いから来たもの

だろう。大大将棋のゲームデザイナーも、中世の人間らし
く、陰陽道に傾倒していたに違いない。
 まず最下段の袖へ向かって3列目を、左右左右へ見て行
くと、奔王、奔獏、奔鬼、龍王、龍馬、方行、走車、飛車
の8つの種類の駒は、走り駒を、強さの順番で、左右に分
けて2枚づつではなくて、1枚だけづつ、互い違いに置い
たものである事は一目だ。
 この8つの走り駒のうち、成り駒名には最初の6種だけ
使用している。飛車が龍王に成る等は、この将棋種では、
採用されて居無い。そこで、奔王から始まる系列は、1番、
2番・・という、順序数詞の代わりとも取れる。
 そこで、たまたまだったろうが、妙見菩薩でも、デザイ
ナーは信仰していたのだろうか。仏の全面に配置される、
十二支の馬から始めて、馬で最初に馬麟を作ったようだ。
 次に、反時計回りに正確ではないが、方角でだいたい
1回転の2/5公転づつ、角度で144°回った所の動物
を、馬、牛、鶏、龍、猪、馬と対応させたようだ。恐らく
この種の占いに、そのようなシステムのものが、有るのだ
ろう。図に描いて線で結ぶと、五芒星型になるので、その
形を、デザイナーは考えたのかもしれない。
 ただし、豚将等、猪駒を嗔猪とは別に考えるのは、めん
どうだったのか、あるいは36禽の対応で、亥に猪のほか
に、副動物として猫が来るバージョンが、摩訶止観とは
別の文献に有るのか。猫は翌日着たので、猪の後のその所
なのか、私には良く判らないが。猪と最後の馬は、恐らく
36禽の副動物である猫と鹿に変えたようだ。ちなみに、
私が調べた限りでは、36禽で猫は、猿か鼠の類になって
いる。真ん中を取って犬猪付近にしたとも思えないのだが。
 だから、猪の所には入らないはずだが。

この点は不明として、今後の解明を待つ

として、その結果次の段階で、

馬、牛、鶏、龍、猫、鹿

という、元駒系列の固有詞が出来たと見られる。その中で、
龍と猫は、飛龍と猫叉が、元々あったので、それを使った
のだろう。その結果、大大将棋では

飛龍の成りが龍王、猫叉の成りが龍馬になった

とみられる。猫叉が斜め歩みだったし、飛龍、龍王に、ど
ちらも龍が入っていたので、大大将棋のゲームデザイナー
は、順序数詞の4番目と5番目の対応には、満足したに違
いない。
 そして、残りの馬、牛、鶏、鹿を、試行錯誤で、修飾詞
として、麟、水、行、踊を考えた上で、それらの動物駒名
に付け、

馬麟、水牛、行鳥、踊鹿にたまたま、した

とみられる。これらは、順番で1、2、3、6なので、
成りがそれぞれ奔王、奔獏、奔鬼、方行になったのだろう。
 なお、元々は元駒が弱く、成ると大きく強くなるように
動かし方ルールは、作られていたはずだ。

行鳥は、大局将棋や、水無瀬兼成の将棋纂図部類抄の泰将
棋の行鳥が正しく、後のは作り物。
水牛も天竺大将棋から強くなっただけで、もともとは、
将棋纂図部類抄の泰将棋や大大将棋のように弱いのが正調。

以上のようだったのであろう。
 猫が猪類にしたで合っているかどうか、多少気になるが。
 大大将棋に特徴的な成りのパターンも、以上の事から
陰陽道や風水等、中近世の占い信仰から来ているように、
私には思える。(2019/02/23)

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金剛力士。”3目踊るが1目2目は踊らず”のルール作成者等(長さん)

安土桃山時代の、水無瀬兼成の将棋纂図部類抄の、行然和尚
まとめ部と、摩訶大大将棋口伝に、表題の内容が書いてある。

今回はこのルールの作成者は、将棋のヘビーゲーマーとは考
えにくく、ボードゲームに、広く浅い博学知識を持つ人間の
指示で、中世に始まったもので、ルールとして現時点で問題
がある

との旨について述べる。
 将棋天国社の世界の将棋の時代には、大将棋の猛牛・飛龍
から始まる、それより上位の将棋で発生する、ある方向に2
升目以上の、複数升目動くととれる駒の、動かし方ルールは、

幾らでもは行けない、上限数に制限の有る走り

とみなされた時代があった。上限数までは、任意の歩数で走
れるという内容を、これは含有している。
 その後、大阪電気通信大学の高見友幸氏の功績が大きかっ
たが、

中抜きにその升目数、跳び越えて、任意に途中の相手駒が取
れる動き

であると、だんだん判ってきた。いわゆる

”踊る”という動きの正体に関する議論

だ。
 本ブログでは、この大阪電気通信大学高見友幸氏の解釈が

水無瀬兼成の将棋纂図部類抄の行然まとめ部、摩訶大大将棋
口伝に関して、狛犬、猛牛、金剛、力士等について正しい

とみる。
 が、このルールが、いわゆる大将棋系のゲームの熟達者が
作ったものであるかどうかに関しては、

大いに疑問

であると思っている。
 疑問なのは、踊りの全体的解釈についてではなく、表題の
ように、将棋纂図部類抄内の、踊りルールの作者の聞き伝え
と見られる、

金剛力士。”3目踊るが1目2目は踊らず”の、
1目2目は踊らずという後半の部分についてが、
将棋ゲームとして、余り良くない

と私は見るのである。ただし繰り返すが、

表現がおかしいのではなくて、”1目2目も踊”った方が良
いのではないか

という意味である。
 理由は、現行の大阪電気通信大学ルールでは、仮にだが、
夜叉や鳩槃を大大将棋の5踊りにして、1~4目は、将棋纂
図部類抄流に”踊らず”にすると、強力になるのではなくて、

ひどい筋違い駒になる

からである。つまり、45°別方向の2升目踊りの存在で、
ある程度は、より小刻みな動きがあるので、多少は改善され
るのだが、まっしぐらに、5踊りで相手陣に切り込んだとき
に、到達できる升目が、夜叉・鳩槃の大大将棋踊りでは限定
されるという意味である。
 特に、5の倍数でしか踊れないので、盤升目を変えたり、

初期配列の夜叉・鳩槃の位置を変えると、摩訶大大将棋では
最奥の段に到達できるが、大大将棋ではできないといった
問題

が出て来る。
 小型の将棋なら、玉位置は中盤の初期から移動できるが、
摩訶大大将棋のように、玉回りに守り駒の多い将棋では、
中盤も終わりに差し掛からないと、玉将の移動は、あまり
起こらないのが普通とみられる。
 踊り駒が、中抜き型だと、筋違いの升目に移動した場合の
玉に、相手のこれらの踊り駒が当たる確率がゼロになる
ので、玉位置の少しの違いで、トン死筋が出来たり出来な
くなったり、

ゲームの攻守バランスが、微細なルール変動に対して
不安定性を示す

ようになってしまうのである。それが問題になった他の例は、
中国シャンチーから、朝鮮チャンギに転換したときだと、
私は予想する。

象駒を、朝鮮チャンギで1升目行ってから、2升目限定走り
止まりにしたのは、相手陣へ象駒が入れるようにしたら、
漢・楚の位置で、象に当たったり、当たらなかったりして、
ゲームの調子が狂ってしまったから

だと思われるのである。
 また摩訶大大将棋のような大型将棋が、厳密に復刻できる
のであれば問題がないのかもしれないが。以上の問題は、

誰がどうあがいても、残って居無い記録は復元しようがない

というときに、摩訶大大将棋が、僅かな駒の配置のルールの
間違いで、攻守バランスが不安定化する原因になってしまう
だろう。
 既存の知られたルールの範囲内の史料で、かろうじてバラ
ンスを保っていた、復刻将棋が、ルールに間違いありと見ら
れて更新された結果、

踊り駒の筋違い問題で、相手玉に対する、該踊り駒を攻め込
んだ時の当たりが変わって、バランスが大きく崩れ、復刻に
失敗したのでは、もともこもない

ように見るというのが、このルールの最も懸念される点だ。
 そもそも、踊りは現行のように”5目踊る。そのうち1~
4目は踊らず”にしたとしても、”5目踊る。そのうち1~
4目も狛犬のごとくに踊るなり”にしたとしても、他の駒の
ルールを調整するなどして、バランスを取り直せばよいだけ
なのであり、どちらでも、本来出来る作業のはずである。

後者の方が、これからじょじょに、該大型将棋を流行らそう
というのなら、出来るのならばその方が良い

ように私は思う。
 そもそも、この将棋纂図部類抄記載の中抜き踊りは、駒の
個別強弱調整を目的にしたものなのではあろうが。この将棋
を指す、充分に差し込んだゲーマーが提案したものだとは、
上記のように、筋違い問題が大きく、私には思えない。
 狛犬との差にこだわったと言うのなら、成りを金将ではな
く大象にして、更に大象の駒の動かし方ルールを、きちんと
強くして、金剛や力士と、差を付ければよかっただけのはず
だ。そもそも、この踊る数が限定されて、1からその下の数
の、踊りの出来ないルールは、

サイコロで出た目きっちりに駒を動かす、盤双六が好きな
ご隠居さん型タイプの、ボードゲームに、広く浅い博学知識
を持つ人間の指示で始まったルール

のようにも思える。しかし、将棋は盤双六と違い、

あるサイコロ目で、着手の評価関数が大きく動くルールでは
なくて、王手が出来るかどうかで、評価関数が大きく動く
ゲームである事を、前記ご隠居さんは、うっかり忘れていた

のだろう。そのため筋違い動きの問題に、大きな関心が、た
ぶん行かなかったのだろう。しかし、それを継承する者とし
ては、問題点をそのままに残すと、ゲームが完全壊滅・滅亡
する、直接原因にも、なりかねないように思う。
 従って、このケースに限っては、

復刻版の将棋では、中抜き踊りにしておくが、ゲームが自立
して進化、継続する”若い世代の物”になってきたという時
点で、少なくともルールをどうするかは、若い世代自身に任
すという姿勢が大切

なように、私は考えるのである。恐らく若い世代は、私より
も更に、ゲームのゲーム性能にこだわって、するかどうかを
選択するはずだと、私は予想するからだ。(2019/02/22)

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将棋史はモンゴル帝国の来襲時の史実を解明するのに役立つ(長さん)

通俗書で比較的昔の物だけだが、鎌倉時代にモンゴル帝国が
日本の九州に来襲したとき、

見たこともない鉄砲という兵器に日本の守備隊は翻弄された

といった事が記載されている。なお鉄砲の実体については、
火薬を使った火砲の一種で、包みが紙から鉄に改良されもの
である点は、前に本ブログでも述べた。
 実の所、この記載は

間違いである

と、私は考えている。
日本人は、朝鮮半島にモンゴル軍が攻めてきた頃から、

砲を使う事自体は知っていた

と見る。

鉄包みに改善され、機動力も増しているのに驚いただけ

であろうと見ると言う事である。答えを先に書いてしまうと、

普通唱導集の大将棋の唱導唄を、将棋史流で解析しているの
で、シャンチーとチャンギの砲は、日本の将棋士が蒙古来襲
の恐らくその少し前に知っていた

と考えられるからである。
 では、以下に説明しよう。西暦1300年頃成立したこの
史料に、仲人と嗔猪が腹を合わせて、桂馬を上げると陣は支
えられると記載されているのであるから、相手陣には角行が
有るのであり、よって竪行も有るから、横行は端筋方面に、
平安大将棋から移動していなければならない。つまり、龍王、
龍馬が有る可能性が高く、少なくとも釈迦の太子に成る酔象
が、普通唱導集時代の大将棋の中央に、入っているのは確実
だ。つまり象駒を、中国か朝鮮半島の、包や砲の有る外国の
ゲームを見て、大将棋に入れたと結論されるのである。
 またそもそも、仲人と嗔猪が腹を合わせるという戦法は、
朝鮮チャンギの卒同士の守りの手として良く出てくるし、桂
馬を上げて、仲人に紐をつけるのは、中国シャンチーで、卒
に馬の紐をつけるのと、類似の戦法である。つまり、普通唱
導集時代の大将棋の棋士は、しばしば戦法を、外国のゲーム
の戦法から、借りてきているという事で、それも、外国のゲー
ムを知っていないと出来ない。よって、モンゴル来襲時の頃
に、少なくとも大将棋のゲームデザイナーや、棋士は、シャ
ンチーかチャンギか、恐らく両方とも知っていると見られる。
だから、モンゴル帝国の来襲の頃に、

日本人が、火砲自体を全く知らないという論は成り立たない。

 なお、大将棋に砲を入れなかったのは、調整しても、攻撃
側過多になって、ゲームが作れない事が判ったからのはずで
ある。この点については、だいぶん前に本ブログで、
天竺大将棋に跳越え将駒が有り、砲駒を日本人が使いこなせ
ないわけがないので、鎌倉時代の大将棋に、砲が無いのは、
砲が日本人には異形で、理解出来ないと言うのが、原因では
無い旨を述べた記憶が有る。
 恐らく、中国古代・中世の戦法を、全く知らなかったら、
日本は来襲のときに、モンゴル帝国に勝てていたかどうか謎
だと私は思う。大掛かりな架台に、火薬の入った紙の塊を
セットして、城砦等に投げ込むトレビュシェットを使う中国
の戦法位は、北条時宗等も知っていたはずだ。
 通常の歴史の本は、通俗書ばかりで、専門書や、論文を読
んだ事が私には余り無いのではっきりしないが。”てつはう”
に関して、どの程度の事前知識が、日本の将クラスの人間に
有ったのか、論じたものは簡単には見つからない。史料が無
いと考えられている疑いが、あると思う。
 しかし、本ブログに言わせると、合戦と関連の大きい将棋
ゲームに、その情報が隠れて居無いわけが無いと思う。

普通唱導集の大将棋の唱導唄は、少なくともヒントなのでは
ないか。

 以上の事から判るように、単なる遊びの歴史の研究に留ま
らず、遊戯史の研究は、他の歴史分野の研究と、いろいろな
所で、繋がっていると知るべきなのであろう。(2019/02/21)

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室町時代末16C初厩馬図。囲碁盤・双六盤有って囲碁は蓮座(長さん)

以前に本ブログでも、狩野派初期、室町時代から戦国
時代にかけての、西暦1500年頃の作である、表題
の厩(馬)図の将棋盤について、言及した事があった。
将棋史では、将棋駒が書いておらずゲームのバージュ
ンがはっきりしないが9×9升目である事が、将棋盤
の升目の形が鮮明であって、良く判る。その他、増川
宏一氏が、対局している僧侶の手つきから、駒を持っ
ているのではないかと推定し、西暦1500年頃に、
持ち駒ルール発生かと述べたとか、将棋盤の足の形に
ついて、言及した事がある。幾つかの成書に絵画が図
版で載っていて、将棋盤の足は、逆L字型である事は、
自明であるように、本ブログでは見ている。
 最近まで知らなかったが、厩図には双六盤が将棋盤
の左の横の方に、囲碁盤が、右側の屏風に書いてある
という事実を、遅ればせながら私も知った。こんかい
は、その結果、

囲碁盤については、線の数が正確では無い事と、足は
驚いたことに、この絵でも蓮座型になっていて、将棋
とは違う事が判った

と言う説明を以下する。
 さっそくだが、囲碁盤は、以下のようなものである。

厩図の囲碁盤.gif

まず、盤上の路の数が、こちらも鮮明だ。列が19路
である事は直ぐ判るが、段数の方は左側の人物の、袖
に隠れてはっきりしない。しかし、数えてみると、

段が22段程度ありそう

だ。隠れている部分も入れると、25路程度になり、
絵師が、将棋盤と異なり、囲碁の路数は正確に書かな
かったと推定される。体裁から、段を多めに書いたの
であろう。なお奥の方に、碁石が書いてあるようにも
私には見えるが、はっきり断定できない。
 次に、足の形が重要だが、将棋盤の逆L型と違い、

明らかに蓮座型に近いように見える。

囲碁・将棋盤には、少なくとも戦国時代には、蓮座型
のものが有った事を示すのであろう。
 将棋盤と異なる理由であるが、

将棋の伝来が中国、特に華北部の当時の都に在住する
商人からの取得物であるという記憶が、その500年
後のだいたい西暦1500年時点で、薄く残っている
事を示唆している

ようにも見えた。華南の、禅宗寺から近い地域の人間
が、持ってきたものではないので、その時点の囲碁よ
りも、中国の禅宗仏教からは遠いという情報が、将棋
盤には含まれているように、淡くだが、見え無くも無
いという事かもしれない。
 ちなみに、厩図にも盤双六の盤も描いてあった。こ
ちらは、箱型の普通の盤で、升目が20升目程度描か
れていて、こちらも指している人物の左腕に隠れてい
て、4~5升目程度、向こう側に有る感じの絵である。
双六盤の絵は囲碁盤と異なり、将棋盤程度にリアルだ。
 従って結論としては、少なくとも足に関しては、

厩図の将棋盤と囲碁盤とでは、形が合っていなかった

という事になる。
 遊戯史では、増川宏一氏の尽力で、厩図の将棋盤は、
厩図の囲碁盤や双六盤よりも、著名なように思う。し
かし、今回述べた状況が、どうやら客観的には、正し
いらしい。すなわち、厩図には囲碁盤の絵も有り、

厩図の囲碁盤とされるものには、蓮座型の足がある。

そして、はっきりとした理由は、私には今の所、結局
の所は良く判らない。
 何故なら同時代で、逆L型足の囲碁盤の絵も有ると、
個人的には、認識しているからである。(2019/02/20)

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27升目1年の日数駒数型将棋のチェック結果(長さん)

 前に述べた、27升目366枚制の1年の日数駒数
将棋を、1局テスト指しして、ゲーム性能をチェック
してみた。
 結果を先に書くと、
この将棋が、攻撃力過多だというのは、取り越し苦労
だった。木将の成りを、中将にするアイディアと、
玉将の成りを考える、

追加のアイディアだけ、不要で無駄

だった。
 玉将や太子は成らなくても良く、普通の大局将棋の
ように、木将は大局将棋の白象に成るルールを選択す
るだけで充分だった。

 後で小細工した、私的な工夫を抜くと、問題のない
良いゲームになっている

と見られた。
 では、以上の結論について、説明を加える。
 この将棋は、木将が成るまでは、調子よく進んだ、
以下に、木将が中将に成ってしまった局面を示す。

摩訶摩訶大大中将.gif

本来なら、じわじわ両方の陣が崩されつつある状態で、
よい感じで進んだのだが、

横への大跳び越え駒を、大将のほかにもう一種類作っ
て調整したつもりが、これがマズかった。

いっきに、後手の陣が崩れて、次の図のように、瞬く
間に先手により後手玉、太子を寄せる局面になり、簡
単に終わってしまった。

摩訶摩訶大大終.gif

 なお、寄せの時点で、後手の玉将や太子が、先手の
攻め駒を取る余裕は無かった。
従って、”玉将が成ると城玉に成る”というルールは、

作ってもこの将棋では、ほぼ無駄

だとみられた。
 普通に基本は摩訶大大将棋、足りない部分を大局
将棋という駒の動かし方ルールで、27升目化すると、
全体としては、この将棋に入れた366枚の駒の、構
成で、攻守のバランスは取れていたようであった。
 踊り駒で4踊りを1種、残りを全部3踊り以下にし
たし、制限無く跳び越える大鷲や大鷹、自在王につい
て、跳び越えた時には、空き升目にしか行けないので、
守られた相手駒を、なかなか取れないようにしたので、

極端な攻撃力の増加は、防げた

ようだ。
 だから、この将棋は成りについては、以下の、大局
将棋までで、普通に出てくるパターンで充分だったよ
うだ。

27×27升目将棋成り配列(中央より右側。11段目以降
”口”のみ。)
口口口口口口口口口口奔人口口口口口口口口口口口口口口口口
金将金将金将金将金将金将金将金将金将金将金将金将金将金将
奔鷲大旗鳩槃不成不成金将強車金将金将金将車兵水牛天王金将
不成不成不成不成口口不成口口不成口口不成口口不成口口鉄車
不成不成不成口口大鷲口口大鷹口口飛鷲口口角鷹口口金将不成
大象不成口口四天口口四天口口四天口口四天口口象王口口不成
獅鷹獅奔奔狼口口龍王口口飛牛口口飛鹿口口奔猪口口蝙蝠砲車
太子奔虎奔豹奔龍口口山母口口奔蛇口口仙鶴口口奔猫口口前牛
不成前旗教法口口方行口口奔鬼口口奔王口口鳩盤口口鳩盤金将
不成右軍奔金奔銀奔銅奔鉄奔瓦奔石奔土大将白象副将金将金将

大将、副将型の制限のない踊りだけが、飛びぬけて破
壊力が強かったのであり、特に大将の、”縦横跳越え
全て取り、空いた升目で着地”のルールの駒を、倍の
数に増やすのは、そこだけが、特にマズかったようだっ
た。(2019/02/19)

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27升目駒数1年の日数型将棋で覚えやすいタイプを作成(長さん)

本ブログによると、水無瀬兼成は泰将棋を作成したが、
豊臣秀次が余りにせっつくため、出来の良いものは作れ
なかったという事になっている。そもそも盤は3の倍数
で作るのが、超摩訶大大将棋を作るとしたら、常識だっ
たはずだ。9の3倍である27升目タイプは、最も大き
な数ある”9”が2回出てくるので、最適だと私は思う。
 つまり3×3×3で27と言うのは、中世ならウケた
はずだし、白道28宿とか27宿といった、陰陽道の占
いの月の位置に因んだ星座の数とも合っているので、
25升目にするなら、この方がずっと”中世らしかった”
という事である。ところで、前に、以下のような将棋を
私は作成したが、風邪引きで、体調が悪いときの作だっ
たので、こちらも余り出来が良くなかった。

以前>
口口口口口口口口口口仲人口口口口口口口口口口口口口口口口
歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵
奔王鉤摩飛鷲角鷹龍王龍馬角行堅行横行方行堅兵横兵車兵飛車
自在四天教王孔雀口口朱雀口口白虎口口玄武口口青龍口口右車
奔鷲獅鷹法性口口奮迅口口金翅口口大象口口大師口口鵬師砲車
狛犬夜叉口口鳩槃口口羅刹口口金剛口口力士口口白象口口強車
獅子麟鳳悪狼口口飛龍口口猛牛口口盲熊口口嗔猪口口老鼠走車
酔象盲虎猛豹臥龍口口古猿口口蟠蛇口口淮鶏口口猫叉口口奔車
太子近王提婆口口無明口口行鳥口口馬麟口口変狸口口驢馬反車
玉将右将金将銀将銅将鉄将瓦将石将土将火将木将水将桂馬香車

この程度の将棋ならば、

本来、簡単に配列が覚えられて当然のような、規則性の
有る作りをしていなければならなかった

と思う。しかも、動きの対称性の悪い駒が多くて、ゲー
ムは、いっけんして、しにくい。

特に朱雀、白虎、玄武、青龍は、ゲームしていて神経を
使う非対称駒なので、入れやすくても、入れてはいけな
かった。
 また、駒の配列の規則性が充分でなく、覚えるのに苦
労を感じるものであった。
 そこで最近、空覚えで並べられ、ルールも規則性が高
くて、わかりやすいように、上記のゲームを直してみた。

水無瀬兼成は本来、延年大将棋はこう作るべきだったと
ありありと見えるような形を、私なりに目指してみた

のである。
 結果は下記のようである。
改善後>
27×27升目将棋初期配列(中央より右側。11段目以降
”口”のみ。)
口口口口口口口口口口仲人口口口口口口口口口口口口口口口口
歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵
奔王前旗大鳩龍王龍馬角行方行堅行横行鉤行堅兵横兵車兵飛車
自在天王大鷲大鷹口口奔鷲口口教王口口大象口口大獏口口右車
法性獅鷹奮迅口口飛鷲口口角鷹口口右鷲口口山鷹口口摩羯砲車
狛犬鳩槃口口夜叉口口羅刹口口金剛口口力士口口白象口口強車
獅子麟鳳悪狼口口飛龍口口猛牛口口盲熊口口嗔猪口口老鼠走車
酔象盲虎猛豹臥龍口口古猿口口蟠蛇口口淮鶏口口猫叉口口牛車
太子近王提無口口踊鹿口口行鳥口口馬麟口口変狸口口驢馬反車
玉将右将金将銀将銅将鉄将瓦将石将土将火将木将水将桂馬香車

これなら、
一段目は将と桂馬。
二段目は大大将棋真ん中列と成り小駒、泰将棋の上段端。
三段目は摩訶大大将棋の中央と、非対称小駒と猫叉。
四段目は後期大将棋の3段目に摩訶大大将棋の袖小駒の上段。
五段目は摩訶大大将棋の4段目、仏教駒の並びと白象。ただし
大局将棋の強い、鳩槃をより中央に置く。
六段目は不正行度踊り駒と、居喰い駒の並び、最後角行2回の
摩羯。ただし、鷲鷹は隣接8方居喰い可能に、変えて統一。
七段目は制限なし跳び越え駒4つに、走りかつ踊り駒並び。
八段目は摩訶大大将棋や後期大将棋の歩兵下段並びで、奔王の
次に3踊り走り駒を入れ、行駒に鉤行を追加、兵駒を加える。
端列は香、反、牛、走、強、砲、左右、飛車の、判り易い車駒
の下からの並び。
その上は、摩訶大大将棋と同じパターンの歩兵と仲人列。
 以上で、記憶できそうだ。
 特に、風邪をひい時に作った、元の配列は、6段目と
7段目の作りが、覚え辛いし、動きのわかり易い駒が集
まっていないし、なっていなかったように思う。ちなみ
に、部分的に間違った所を直して、成りも次のようにな
った。

27×27升目将棋成り配列(中央より右側。11段目以降
”口”のみ。)
口口口口口口口口口口奔人口口口口口口口口口口口口口口口口
金将金将金将金将金将金将金将金将金将金将金将金将金将金将
奔鷲大旗鳩槃不成不成金将強車金将金将金将車兵水牛天王金将
不成不成不成不成口口不成口口不成口口不成口口不成口口鉄車
不成不成不成口口大鷲口口大鷹口口飛鷲口口角鷹口口金将不成
大象不成口口四天口口四天口口四天口口四天口口象王口口不成
獅鷹獅奔奔狼口口龍王口口飛牛口口飛鹿口口奔猪口口蝙蝠砲車
太子奔虎奔豹奔龍口口山母口口奔蛇口口仙鶴口口奔猫口口前牛
玉将前旗教法口口方行口口奔鬼口口奔王口口鳩盤口口鳩盤金将
城玉右軍奔金奔銀奔銅奔鉄奔瓦奔石奔土大将中将副将金将金将

これも、基礎を摩訶大大将棋とし、加えた部分は、なる
べく、大局将棋に合わせているので、規則的だろう。
 今回は、攻守バランスも考えて、バランスが取れるこ
ともめざした。
 全体として、

普通では、この将棋はやや、攻撃力過多

のはずである。

踊り駒がたくさんあるためだ。

そこで、3つ跳び越え駒を、狛犬動きに弱体化させたり、
自在王を、空いた升目は何処にでも跳ぶが、相手駒を取
るときには、奔王のルールで取れるだけにするという風
に弱くした。ただし、自在、天王、大鷲、大鷹も8方喰
いができるとした。
 更に、類似の動きの駒が増えることもあり、提婆、無
明、教王、法性を取ったら、入れ替われるルールは止め
た。
 その上で更に成りも、全ての駒について、自陣または
相手陣の中にある、相手の駒を取ったときに強制的に成
る。敵陣に入るだけでは成らない。中間段では、相手駒
を取っても成らないという、

比較的、弱い成り

を考えて見た。
 また、従来の駒種には全く存在しないが次のルールの

成りの玉将、”城玉”

を、上の将棋では新たに考えた。この将棋で新しいのは

ほぼこの点だけ

である。
 ちなみに、木将の成りは奔木や白象ではなくて、大局
将棋の副将の斜めを縦横に変えた動きの、仮称、中将と
してみた。
玉将については成ると、相手の駒は直射では王手が掛か
るが、踊りでは取れず、跳び越えも出来ないという、
駒の格が、成ると発生するという調整方法を思いついた。
なお、玉将は、駒を取った時だけでなくて、酔象が太子
に成ったときか、太子が駒を取ったときにも、成れると
する。(太子、玉将は、常に片方に1枚以下。)
この場合、踊り駒が味方の駒に隠れた玉将に、王手が掛
けられなくなるだけでなく、四天王等の跳び越えも、
成った玉将については、出来なくなるとした。 ただし、
獅子のような、不性行度駒は複雑なので、例外なく跳び
越えられるとすべき、また桂馬は跳び越えられるとすべ
きとみられる。
 駒の格が無い、普通の玉将は玉将で、成って相手の駒
の動きに関して、駒の格が発生する方を、入城した玉将
の意味で、城玉としてみたわけである。
 もともとこの将棋は、踊り駒があるので、攻撃側が強
すぎると見たのである。だから踊りで、玉駒の一方の
玉将が成ったら取れなくなる程度で、もしかすると、
バランスは、ほぼ良いゲームになるのではないかと、
現時点では考えられた。
 なお、この程度まで配列が規則的になれば、泰将棋よ
り、初期配列を覚えるのは、はるかに簡単であり、2~
3回良く見れば、そのあと何も見ないで、駒が初期配列
に並べられそうだ。
 そのうち実際に、模型を作って、チェックしてみよう
と思う。(2019/02/18)

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鎌倉期の大日本史料駒落ち標準平安小将棋。段位の判定は不能(長さん)

前に述べたように、隠岐に配流になった後鳥羽上皇の家来
で、もうそのときには僧侶であった清寂の言から、西暦
1221年よりも少し前に、清寂の段位の認定の基準になっ
た、今小路の御所で指した将棋は、8升目タイプの取り捨
ての原始的な平安小将棋だったとみられる。それに対して、
後鳥羽上皇の御前で、彼が仲間の将棋の強豪の家来との対
局結果を予想した上で、やはり後鳥羽上皇の家来の西蓮に
負けた、駒落し型の将棋は、9升目タイプの標準的な取り
捨て平安小将棋だったとみられる。
 後者は、旦代の難点を回避するために、5筋の歩兵を1
枚か、または、2一の位置の囲い方の桂馬を一枚落して
指す事が、後鳥羽上皇の御前での清寂の言の内容であると、
本ブログでは推定している。
 以前、そう推定する根拠として、話の中で、

1)今小路の御所の将棋に関して、駒落しの言及が無い点

を、根拠として挙げた。
 しかし、言及が無いという理由付けは、言わなかっただ
けとも取れるので、根拠としてさほど強いものではないと
の印象も、あるかもしれないとも思われた。
 そこで今回は、今述べた大日本史料の西暦1221年
7月13日の条の話の中に、
今小路の御所で清寂が指して、調子が良いとき”1マチ下”
だという、彼の段位認定の根拠になった将棋に関して、
9升目の標準型の平安小将棋では無い
と考えられる、別の更なる根拠が無いのかどうかを論題と
する。
 最初に回答を書き、次いで説明を加える。

根拠は有る。

9升目の標準型の平安小将棋を使うやり方では、測定者に
はせいぜい”清寂が、3マチのへぼ将棋指しでは無い”
程度しか、判定の”分解能”が無い

とみられるからである。
 では、以下に説明を加える。
 9升目型の平安小将棋では、最も棋力が接近した相手同
士用に、用意された駒落し将棋は、

上手が5筋の歩兵を落して、先手で指すバージョン

だったとみられる。しかしながら、それで、

2マチ(2段)差の棋士同士が対局しても、下手が常に、
勝つだけだった

と予想される。

5筋の歩兵で、位を保つ事だけ考えれば良い程度の、工夫

の将棋なためである。そこで清寂言う所の今小路の御所で、

相手が2マチの下より下でないと、1マチ上とみられる
”コンパニオン棋士(先生棋士)”でも、上手では”標準
型9升目平安小将棋、駒落し”では勝てなかった

と、予想されるのである。
 具体的に、将棋の棋譜の例で示してみよう。
 下の写真は、下手がマネをしながら、5筋の相手には
無い歩兵で、位を維持する事だけに、注意しながら指した
9升目の標準平安小将棋の途中図の例である。

後鳥羽将棋歩兵落.gif

この例は、後手が△4七玉と、上手の桂馬筋を外した所で
あり、

下側が後手の、下手である。

この局面では、下手の5筋の赤丸の、歩兵の存在が強力で、
既に、かなり下手有利だ。すなわち、一例では、この後、
上手が桂馬交換の攻撃に出るが、結局、玉回りの守り駒を
使い果たしてしまうことになる。すなわち、一例で
▼6五桂△5五歩▼7七桂成△同金▼6五金△5六金
▼同金△同玉▼3五歩△同歩▼同金△7六金▼同銀
△同銀▼2六金△6五玉と16手、

取捨ての将棋が進んで、

以下の局面になると、いう事である。

後鳥羽将棋16後.gif

この局面で、上手の玉がほぼ、詰んでしまう状態である。
つまり上に述べたような要領で、下手が指せるようにな
るには、

標準平安小将棋の、初心者の域を脱しさえすれば充分

だったとみられる。だから、
この将棋を指せば、1マチ上と2マチ下以内の、棋力差の
者同士が指せば、いつも、下手の勝ち、上手の負けだった
と考えられる。
 実際、大日本史料中に書かれた、清寂対西蓮の一局は、
清寂が、おだてられて、5筋歩兵落しで指した、標準型の
平安小将棋であっただろうと言うのが、本ブログの見かた
だ。
 従って、清寂が今小路の御所の、娯楽用遊戯センターと
みられる場所で、コンパニオン棋士の1マチ上格の先生
から、

1マチ下であったり、2マチ上であったり、識別分解能の
1/4程度の判定が、9升目標準平安小将棋駒落し型で
出来たとは考えられない

という事になるのである。つまり、
平手で普通に指せる別のバージョンの小将棋で、今小路に
於ける、後鳥羽上皇家来の清寂の、将棋の棋力の判定は、
行われたに違いない、という事である。
 よって、今小路の御所では、

その時代には、いろいろなバージョンの将棋で指す事が、
当たり前と認識され、将棋の会話も、その常識に従って
今とは違って、普通に行われ、それに誰もが慣れていた

と考えられる。やはり以上のように、

後鳥羽上皇が隠岐に配流になった時代には、平安小将棋に
少なくとも2つの別バージョンのゲームが有った

と結論せざるを得ない。以上のように、私には考えられるの
である。(2019/02/17)

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今小路西鎌倉市福祉センター遺跡中将棋木札盤目示唆しない訳(長さん)

現在の所、問題の神奈川県鎌倉市御成町の発掘遺跡の木札
には、将棋駒の種類は書いてあるが、将棋盤に関する情報
は無いとみられる。二中歴の大将棋で、初っ端に、”また
十三間の将棋があって”と書いてあるのとは対照的である。
 本ブログで、これが中将棋類だとするのは、獅子である
か狛犬か、猛豹の位置と総駒数、盲虎のルールの3項目の
記載とみられるものは、中将棋のゲーム性能を決める、概
ね、主要部分であると見ている点からの、推理にすぎない。
 では、木札に将棋盤の升目情報を書いて、15升目盤、
13升目盤、12升目盤のどれを、将棋の道具を運搬する、
ゲームセンター店側の使用人のウエイター・ウエイトレス
が、ゲームセンターの来客の所に持って行くのかを、木札
で、なぜ指示しなかったのであろうか。
 以上を今回は論題にしよう。
 最初に回答を書く。

木札が将棋盤とセットで使うものであり、客の前に置いた
状態で、将棋盤が中将棋の盤であるか、そうでないかは、
将棋盤自体を見れば、札を運んだ本人にも判るような木札

だったからだと、本ブログでは推定する。
 では、以下に説明を加える。
 今にして思えばだが、もしこの木札が、中将棋大会での
各将棋盤卓に、共通のルールが書いてあるとしたら、

”中将棋大会”とか”本大会規定”とか、木札の最初に、
書いてあるのが普通

だったように私は思う。
 しかし、各将棋盤卓に、個別にゲームバージョンを表示
するために使う、

駒数多数将棋の乱立時代、ならではの物品だった

としたら、中将棋の盤が置いてあれば、ゲーム種類の

大分類が中将棋である事は、ギャラリーにとってさえ自明

だ。逆に言うと、

この木札が作られた時点で恐らく既に、13升目型の平安
大将棋系ゲームは、鎌倉の今小路西御成小学校遺跡ゲーム
センターでは、盤の用意がないほど、廃れていた

と推定される。

12升目盤を読み間違えるとしたら、13升目盤くらい

しか無いからだ。このゲームセンターには、恐らく、将棋
用の将棋盤として、8×8升目、9×9升目、12×12
升目、15×15升目の4種類の将棋盤の用意があったの
だろう。今小路西御成小学校遺跡ゲームセンターに出入り
する程度のレベルの客にとって、西暦1290年タイプの

13升目の普通唱導集大将棋には、自明定跡があって、ゲー
ム性に問題があり、対局を希望しても、誰にも相手にされ
ない

のは、少なくとも西暦1360~80年頃には、常識だっ
たとみられる。
 12升目盤が、仮に今小路西鎌倉市福祉センター遺跡で
出土した木札(当時は2片)といっしょに置いてあったら、
中将棋という大分類のゲームのうち、”92枚制へ陣弱体
化の改善した狛犬中将棋を、守り方盲虎強化型で指す”と
いうのは、

そこに居合わせた、マニア連中の誰にでも判ったこと

だっただろうという意味である。
 だから逆に言うと、盤升に関する情報が無く、かつ小型
で邪魔にならない大きさであるという事から、

問題の木札が、将棋盤とセットで、将棋場の雰囲気をかも
し出す、どの将棋種が指されているのかを示すアイテム

と見るのが自然であると、河野真知郎氏に知恵をつけても
らったからこそ、私には出来たことだったが、私には、今
ではそう思える。
 この木札は、今では将棋種が、完全に日本将棋の1種類
に固まってしまったので、たとえば20世紀には、全く
類似品に、お目にかかれなかった代物ではあった。が本ブ
ログのように、”大将棋の時代”の存在を強く意識すると
ともに、中将棋は、鎌倉時代末期以降の、ある決まった時
点で始めて発生したと、きちんとイメージしさえすれば、

鎌倉市の遺跡から出る物品が使われた時代は、中将棋の
初期の乱立時代に違いないと判るので、出てきて当たり前

の物と理解する事が、始めて可能になったというわけなの
であった。(2018/02/16)

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今小路西鎌倉市福祉センター遺跡中将棋木札割れて出土した訳(長さん)

よみがえる中世(3)武士の都鎌倉「文字のある生活」
(220ページ~221)等の執筆者、
河野真知郎(かわのしんじろう)氏からの直接情報によ
れば、表題の、神奈川県鎌倉市御成町にある、
今小路西鎌倉市福祉センター遺跡より出土の、墨書木札
は、出土時2つに割れていたとの事だった。
 本ブログ独自の解釈だが、

木札は鎌倉時代または南北朝時代に、元々2枚に分かれ
ていたものを、1枚目の下部を少し削って、南北朝時代
の接着剤(襖のノリか?)で、接合したもの

である。だから、

接着剤が劣化して接着力が無くなったので、元の2つの
状態になり、出土してから鎌倉考古学研究所で、現代の
接着剤で再結合した現物が、前世紀には実際に存在した

とみている。
 では、
1)なぜ元々2枚だったのか。
2)南北朝時代等に、(推定)今小路御成小学校遺跡ゲー
ムセンターにて、わざわざ少し削ってから当時の接着剤
で、結合してなぜ1つにしたのか。

以上を、今回の論題とする。
 本ブログの見解回答を先に書き、ついで説明を加える。

1)について。
後半の記載に関して、”斜めへ行くが、十字わゆけぬ”
という旨の記載の木札が、該鎌倉時代末期または、
南北朝時代のゲームセンターに別に有ったため。
2)について。
 盲虎の駒の動かし方ルールが7方歩みに、10年位で
収斂したので、平安大将棋型の後半バージョン木札は、
その時点で不要になり、バラバラだと管理が難しいので、
接合された。その際、保管場所に旨く収まるように、
多少切れていても意味の通る、1枚目の下部が、劣化と、
接合部分を揃える目的で切除された。
 以上と、本ブログでは考える。
 では、以下に説明を加える。
 以上の1)と2)の結論は、さしあたり一案であり、

仮に”2枚を合併の原因A”とでも、しておこう

と考える。
 では説明しよう。
 ポイントは、当時の中将棋には、バージョンがいろい
ろあり、1種類づつ作っていたのでは、木札が多種類に
なって、遊戯具運搬係り(以下、ウエイトレスと記す)
が、間違えてしまう状態だったと言う事だと考える。

志ろいぬ、猛将のような猛豹。盲虎は
近くへ行くが、上はゆけぬ。

という木札と、

志ろいぬ、猛将のような猛豹。盲虎は
斜めへ行くが、十字はゆけぬ。

という木札は、ウエイトレス役の人間が、忙しさにかま
けてうっかり前半だけ読んで、

札を間違えて配ってしまうと、後で、将棋の着手の合否
で大きなトラブルになる恐れが有った

とみられる。
 だから、ウエイトレスの注意が、このケースは、

盲虎の動きに関する、後半へも行き届くように、2枚に
分けた

と私は考える。つまり、実際に出土したのは、
(盲虎は)近くへ行くが、上はゆけぬ。の木札であった
が、(盲虎は)斜めへ行くが、十字はゆけぬ。の木札も
別にその時代には有ったのではないかと、疑われるとい
う事である。
 前半はいつも一緒の木札だが後半は、バージョンによっ
て、どちらかを持って行く事に、なっていたに違いない。
 しかし、客から見ると、将棋盤にルール木札がごちゃ
ごちゃと並ぶよりは、1枚にまとまっていた方が、あり
がたかったに違いない。そのため、
10年程度後と見られる一例では西暦1380年頃にな
り、盲虎は現在の中将棋の、七方歩みの盲虎が主流にな
り、猫叉も出現して、斜め動きのバージョンが消えると、

出土物の1枚目の”ぬ”の下部1/3程度と、”ひゃう”
の”ゃ”の1/2程度は、見えないのを承知で切り落と
されて、後半の”斤くへ行く・・”木札片と前半とが
上下に、南北朝時代の接着剤で結合されたと、私は見る

のである。接着のときに、1枚目の下部を削ったのは、

基本的に、保管スペースに無理やり入れるため

であったと見る。理由は、
”志ろいぬ”の”ぬ”が”め”に見えても、ゲーマーは
狛犬だと判るし、”もしひゃう”のゃが、ゅかどうか判
らなくても、”う”が見えなくても、慣れた客なら猛豹
と判るだろうし、文句が来たら、きちんと書き直したの
を手渡し直せばそれで良いと、ゲームセンターの店主が
見たからだと、私は思う。
 そもそも、接合部分が線引きと、カッターナイフで
削ったように真一文字なため、

出土木札が、自然状態できれいに割れるとは考えられな
いという点で、1枚目下部の手直しがないという説は、
かなり不自然

だし、

1枚目の下部に欠損が有るのは”志ろいぬ”のぬの字の
下部の1/3とみられる部分が、接合部分の下の方の木
札片と疑われる物に、墨跡がハミダして無い事から自明

のように、本ブログでは見る。
 最後に書いた事は、もしこの木札の実物が発見されれ
ば、簡単かつ厳密に、当否が判断できるに違いない。

現物が早くみつかってほしい

ものだと思う。(2019/02/15)

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今小路西鎌倉市福祉センター遺跡中将棋木札が小型だった理由(長さん)

前に述べたように、よみがえる中世(3)武士の都鎌倉
「文字のある生活」(220ページ~221)の執筆者、
河野真知郎(かわのしんじろう)氏によれば、表題の、
神奈川県鎌倉市御成町にある、福祉センターの地下より
出土した、墨書木札は”百人一首札程度の小物”との事
だった。
 従って、この物品の内容を棋士が一度に複数人で、や
や遠方の”将棋盤”の所から眺め、内容を把握する事は、

出来なかった

と、一応考えられる。つまり、将棋大会規定を書いた木
札では、どうやら無さそうだ。
 では、いったいなぜ、木札の作成者が、一部の人間だ
けが、記載されたルールに従えば良く、

皆に徹底する事を目的にしなかった

としか考えられないような物品を作成したのかを、今回
の論題とする。
 以下、小型の理由の回答例(A)としたいと考える。
すばり

(A)この時代は、将棋盤によって、別のルールの将棋
が、ばらばらに指されていたから

だと、先ずは考えてみる。
 では以下に、そう考えられる根拠や、経緯の説明等を
する。
 そもそもこの問題を考える上で、今の所唯一の史料は、

大日本史料、西暦1221年7月13日の”隠岐に配流
された後鳥羽上皇の所に、将棋士を名乗る僧侶の清寂が
訪れたとの旨”の段

しか、関連するものがない。本ブログでも”今小路殿の
御所”は、京都に有るのではないかと疑っているが、
今小路という、鎌倉の遺跡の発掘現場と、類似の名が出
てくる、将棋の史料はこれだけだ。
 以下も、本ブログの”勝手読み”と言われれば、それ
までだが、以前述べたように、本ブログでは、

清寂が話題にしている将棋の種類は、”今小路の御所”
で指されていたのが、8升目の平安小将棋(初期型)、
後鳥羽上皇の御前で指すのが、旦代の難点を回避するた
めに、駒落しで指す、9升目の平安小将棋(標準型)

と、使い分けていると疑っていたのである。
 これはようするに、

今小路の御所では、将棋指しのマニアが集まる所なので、
形式ではなくてゲーム性の良し悪しが、指される将棋種
の、バージョンを決めていた

という、本ブログ独自の推定に基づいている。
 そこで、この事を更に推し進めると、次のような事が、
遊戯センターとしての、”今小路”では、実際には起こっ
ていたとも考えらる。すなわち、

お客さんの段位(1マチ、2マチ、3マチ・・)を判定
計測する、店が用意した接待用のコンパニオン将棋棋士
は、客の求めに応じて、指す将棋種のバージョンを、
そのつど変えていた。

 ようするに大日本史料、1221年7月13日の条は、
今小路の御所が、現代の日本将棋連盟の将棋会館のよう
に、専門棋士同士で、棋力を切磋琢磨するために、順位
戦をやっているような場所なのではなくて、ゲームセン
ターのゲーム機に、最後に客の綜合スコアを表示して、
お客の、そのゲーム種に対する上達の

自己満足を満たすことを目的としたのと類似の娯楽施設

だったのではないかと、見ているのである。
 もしそうだとすれば、一マチの下というのも、かなり
甘い判定であるのが当然である。清寂の棋力を判定して
そう言ったのは、清寂の求めに応じて、特定の将棋種、
8升目型初期(原始)平安小将棋を指す相手をしたあと、
”過ぎたる手を指した”と、清寂を大いに持ち上げて、
個人の判断だけで評した、今小路西御成小学校遺跡娯楽
遊戯センターの店が予め用意した店側の、コンパニオン
将棋棋士の”先生”の言だったのではないかと、疑われ
るという事である。

つまり、指す将棋種のバージョンは、個別にお客さんが
選べ、店のコンパニオン棋士は、有る程度、どの将棋バー
ジョンでも指せて、どれもそれなりに強い人間だった

という事ではないかと言う事である。
 そして、もしそうであるならば、
客によって、希望の将棋種メニューが違うので、レスト
ランのメニュー表のように、いろいろなルールの将棋が
一覧表で、別途記載された紙の表があって、それが運ば
れ客がそれを見て、指す将棋バージョンを客が選ぶと、

客が指したいルールバージョンの、出土したのと同類の
木札の仲間で合致する物が、将棋具とともに店から運ば
れてきて、将棋盤の上に置かれ、

”これで良いですか”と客に確認してから、コンパニオ
ン棋士対客の、将棋の一局が始まったのではなかろうか。
 つまり、

各将棋盤に関して、将棋盤によって、同時に指している
将棋の種類は、それぞれの客の希望するものであって、
ゲームセンターの店の中でバラバラ

だったのではないか。
 そして後鳥羽上皇を訪問した、鎌倉時代の将棋”道場”
マニアの清寂は、

何度も”今小路”に通っているうちに、コンパニオンの
マネまで出来る、”通”にまでなっていた

のではないか。そう考えると、清寂が大日本史料に残る
彼の発言の中で、

指す将棋のバージョンの話を、コロコロすり替えて面白
く語れる理由

が私には、良く判るような気もするのである。
 以上のように考えると、将棋の指し始めの少し前に、

店が、客によって指定された、指す将棋のゲームバージョ
ンを判別するための木札

が、実際出土した、今小路西鎌倉市福祉センター遺跡の
墨書史料の、当時の使い方だっだと言う事にな。そうだと
すれば、論題の、
今小路西鎌倉市福祉センター遺跡出土中将棋木札は、
それが、あまり邪魔にならない程度の小型のものであっ
た事が、有る程度説明できるのではないか。
 以上のように、ここではA案として、出土品の姿が小
さい事を、一応説明してみた。

現物がもし有ったら、何か別の情報も有った

のかもしれない。現物が紛失して無いのが、返す返すも
悔やまれるところだ。(2019/02/14)

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平安・鎌倉期。スペア金将がなぜ作られたのか(長さん)

天童の将棋駒と全国遺跡出土駒には、将棋の出土駒の大き
さに関する、測定情報が載っている。平安時代最末期の、
岩手県西磐井郡平泉町の中尊寺境内遺跡出土駒を見ると、
この時代には、駒の種類により大きさや形の差を、積極的
には付けなかった事等が判る。ただし、体裁からだろうか。

歩兵駒の大きさが、他の駒種に比べて、わずかだが小さい。

駒木地のうち、小さくロットブレしたものを、寄せ集めて
歩兵を作ったとも想像される程度の、大きさの差がある。
 ところが、統計を取ろうとすると、前記成書、
”天童の将棋駒と全国遺跡出土駒”の中尊寺境内遺跡出土
駒の番号で、歩兵駒のうちで、

137番が大きく、歩兵を小さく作ったという仮説を棄却

させてしまう。
 この駒は、前に述べた神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮境内
遺跡出土駒の、”5番”と恐らくは同じく、
中尊寺境内遺跡出土歩兵駒の中で唯一の、

二文字”金将”に成る歩兵

である。
 前に、本ブログでは、この種の二文字金将成り歩兵駒を、
歩兵駒の紛失による、予備の金将駒からの作り変えと解釈
する説を述べた。今回は、それの続きになるのだが、

ではなぜ、現代のように”と金成り歩兵”駒を、余分に作
らずに、平安・鎌倉期等には不成りの金将駒を、多少余分
に作って、駒が紛失したときの予備に無理やりしたのか

を論題とする。
 結論をいつものように先に書く。

大理国から伝来した立体駒では、歩兵と”と金”が、物体
として、別々だったという記憶が、まだ残っている時代の
アイディアの伝承だった

からだとみられる。
 では、以下に説明を加える。
 本ブログの仮説によれば、日本の将棋は、ほぼたった
1セットの

金・銀・ネフライト玉、肉桂の彫り物、桂の木の将棋盤、
成り金の駒20個程度をセットする、輝く小さな”控え選
手の棚”等で構成される、後一条天皇所有の立体駒将棋具
の宝玉

だったと見ている。それが、経帙牌に金将、銀将、玉将、
馬、車、立体駒材質は未知の、兵と書く事に置き換えられ
たが、兵等の駒と、成りの金将と同じ立体駒の”と金”等
とが、元々は、敵陣三段目に達したときに、兵の立体駒と、
黄金製の成り表現専用金将像とを取り替える手法で、ゲー
ムが進むのを、経帙牌の裏表に、元駒”兵”と成り駒”と
金(当時は”金也”)”の名前を書き、駒をひっくり返す
事で置き換えるという手法で、ゲームの着手表現が、置き
換えられたと考えられる。この記憶は、五角形の書き駒が、
将棋駒の主流になると省みられなくなった。しかしながら、

この置き換えの記憶は、少なくとも、不成り金将駒が、統
計的に有意に多く出土する奈良県の興福寺遺跡出土駒の時
代や、岩手県平泉町の中尊寺境内遺跡の将棋駒の作成の
時代には、まだ薄く、記憶として残っていたのではないか

と疑われる。
 そして、実際には平安小将棋を黄金将棋具で指す際に、
成り金の金将像立体駒は、全部、置き場棚から出されて、
使われるほどには、平安小将棋では、成り金将が、ゲーム
の最中に発生しない場合が多かった。ので、

予備駒のイメージで語られる事が多かった

のであろう。その記憶から、

不成り金将駒を、成りとして2文字で楷書だと不便なはず

なのに、それを敢えて無理押しして

予備駒(スペア駒)として使う習慣が、ひょっとしたら

自然に出てきた

のではあるまいか。
 だから、少なくとも鎌倉市の鶴岡八幡宮境内遺跡の時代、
すなわち鎌倉時代の中~末頃までは、持ち駒ルールはさほ
ど普及していなかったために、金将駒を他の駒に作り変え
る事が可能という条件の元で、無地駒を駒箱に予備に置い
ておくのではなくて、

現在の、余分に1~2個入った歩兵駒の代わりを、1~2
個余分に入った、裏無地”金将”駒が、果たしていた

のではないのか。
 もしそうだとすれば、
なんでもないような、使いづらい、成り二文字金将歩兵駒
だが、伝来した将棋駒具が、書き駒ではなくて、成りが自
明には表せない、立体駒だったという、

重大な情報

を、金将駒を、小将棋駒セットの、部分紛失時の予備に、
相当昔は使ったという習慣の記録は、

淡くだが、隠しているのかもしれない

と、私には疑われるという事になるのである。(2019/02/13)

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鶴岡八幡宮出土駒。本ブログ見解”歩兵3枚の成りが違う”訳(長さん)

あくまで本ブログの見解では、鶴岡八幡宮境内遺跡から
1980年前後に発掘された5枚の将棋駒は、
1)成り楷書奔王鳳凰(左上)
2)成り”(真性)と”金の歩兵(中央)
3)不成り香(車)(右下)
4)1)と同色の不成り歩兵(左下)
5)成り二文字金(+一字不明)歩(兵)(右上)
となっている。なお番号は天童の将棋駒と全国遺跡出土駒
の番号、()内の位置は”よみがえる中世(3)武士の都
鎌倉”の、巻頭カラー図版の位置である。
 先行研究としては、鎌倉考古学研究所の見解とは、5)
だけが異なり、
”5・鎌倉考古学研究所)成り(普通の飛の書体に似た)
飛(車)金将”とされる。
 次に、大阪電気通信大学の高見友幸氏による見解があり、
”5・高見友幸)成り奔(+一字不明)何らかの(将)”
とされる。つまり5)の駒が何なのかについては、諸説有
るわけである。なお、たいがいの成書では、
鎌倉考古学研究所の見解が、成りの飛車について(?)マー
ク付きで紹介され、現行普及していると私は認識している。
 蛇足だが、天童の将棋駒と全国遺跡出土駒の、5)のス
ケッチ図は、オモテとウラの図がアベコベだ。
 このページの表題では、これらの解釈の中で本ブログの、

最もありきたりで、面白みの無い見解

に基づき、

鶴岡八幡宮境内遺跡(神奈川県)からは、歩兵駒が3枚出
ていると仮定

して、以下論を進める。すなわち、
歩兵の成りが、2)はきれいな”と”、4)が不成り、
5)が二文字金将というように、

3枚とも、バラバラなのは何故なのか

を、今回の論題とする。
 最初に回答を書き、ついで説明を加える。

5)の駒が、スペヤの金将を歩兵駒に改造して、小将棋の
駒として使ったため、ばらばらになった

と考える。
 なお4)の、1)と同色の不成り歩兵は、前に述べたよ
うに、1)の楷書奔王成り鳳凰駒、3)の不成り香車駒と
共に、時代は下るが安土桃山時代末期の、水無瀬兼成の
将棋纂図部類抄に記録の有る

後期大将棋系の駒であるため、はっきりしないが、不成り

なのかもしれないと、本ブログでは見る。
 では、以下に説明を加える。
 本来なら、4)の歩兵だけが不成、5)が2)のと金成
り歩兵と、ほぼ同じ姿で出土する確率が、最も高かったは
ずである。しかしたまたま、鶴岡八幡宮境内で鎌倉末期に

小将棋を指すとき、歩兵を無くして足りなくなった。

そこで前に本ブログで、岩手県平泉町の中尊寺境内遺跡の、
”大きめな金将成り歩兵駒の出土”を説明するために導入
した、”昔は多めに作った、予備用の金将駒のウラに、
歩兵と新たに書いて代用するやり方”を、たまたま鎌倉市
の鶴岡八幡宮境内遺跡でも行い、そのために、2文字金将
に成る歩兵駒が、汚れた形ではあるが、出土したと考えた。
 そう考えなければならないのは、以下が重要だが、

5)の成り面の金の位置が、比較的駒の前の方に偏り、
将の字も存在する事を、このケースはかなり示唆している

という点である。つまり、本ブログのように考えてしまう
と5)が、一文字金成り歩兵である可能性が、余り無いと
いう点には、注意すべきである。
 鶴岡八幡宮境内遺跡の将棋駒の年代が鎌倉時代末期なら、
同じ場所で、大将棋と小将棋が両方指されたというのは、
厳密に言うと、大将棋は大将棋類だと表現すれば、

ありきたりだ

と言える。
 だから、歩兵は結局普通なら、2種類のはずなのだが。
3種類有るという事は、成りが金将だとすれば、どんな将
棋種であるにしても、初期配列に並べるとき、注意しない
と正しく並べられ無いと言う点で、使いにくい駒を、無理
やり使っているという事になる訳だろう。だから、
 金将成り歩兵が、存在すると見なせるというケースだか
ら、平泉と鎌倉は同じで、

予備(スペヤー)金将を、歩兵に改造して使った駒が、
たまたま一枚混じっていた

と説明するしか、本ブログのように解釈する場合には無い
ように思える。
 よって、冒頭述べた結論に、本ブログのように考えた場
合には、到達するという訳である。(2019/02/12)

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今小路西鎌倉市福祉センター遺跡中将棋木札は小さい(長さん)

さいきん、本ブログで繰り返し話題にした、表題の
今小路西鎌倉市福祉センター遺跡中将棋木札について、

新たな事実が判明した。

 表題のように、本ブログで今までは想定したように、
この木札はある程度の大きさが有り、はがきの大きさ、
以上であろうとしてきた。が、

1)実際には、それよりかなり小さく、百人一首の札
の大きさの程度

である事が判明した。情報の出所は、
今小路西鎌倉市福祉センター遺跡を発掘した、

上智大学名誉教授の河野真知郎氏

である。
 この結果、本ブログの主張のうち、

木札が、少なくとも一度に多数の人間が見えるように
するというタイプの、”掲示物”である可能性は、
ほぼ無くなった。

 神奈川県鎌倉市の上智大学名誉教授で、鎌倉市の遺
跡発掘で功労のあった河野真知郎氏によれば、当時

2)文字の内容の鑑定は、専門家が行い、”「漢字カ
ナ混じり文の一種」とされたが、解読不能”との結果

だったという事だ。また

3)真ん中の筋は、出土状態で割れていたが、元々一
つであると判る状態だったので、発掘後、近年に接続

したとの事。
 墨書を読んだ鑑定者の見解では、”繋がったもので
はないかと、された”との事で、私の”もともとは、
上下で繋がっていない”との説には、

河野氏としては、にわかには信じられず賛成できない

との事だった。
 更に次の質問にも、回答があった。すなわち、

4)さいしょの字が、”志”かどうかについて質問し、
No.との答えだったが、正解は、聞き漏らした。

 ちなみに、以下にその部分の拡大写真を示す。
私には何回見ても”志”の草書だ。この書籍を読んだ
事の有る、他の読者の方に、判断してもらうしか無い
と思う。

志.gif

どうやら”この木札は、誰にも読めるはずがない”と
の、かなりの確信が、いろいろ調査に手を回した事の
ある、河野真知郎氏には有りそうだった。  
なお、
5)この写真は普通のモノクロで赤外線写真では無い
そうだ。
 何れにしても、大きさは、

残念ながら、想定したものの大きさ未満で、
私の解釈には未だ、チグハグなところが有る

事だけは判った。

料理メニューのように将棋盤ごとに1セットづつ配った

のだろうか。何だか良く判らなくなってしまった。解釈
は、少ししてから考えてみようと思う。
 何れにしても”よみがえる中世3、武士の都鎌倉”の、
「文字のある生活」の執筆者、河野真知郎氏が幸い、
現在も元気なようすで、ありがたかった。その結果連絡
が来て情報が更に増え、私としてはたいへん助かった。
 なお現物は、やはり紛失したようで、紛失の経緯は、
河野氏も知っているようであった。
 最後に木札とは離れるが”鶴岡八幡宮境内遺跡出土駒
については、将棋史研究者の増川宏一氏も、当時鑑定に
立ち会った”と、河野氏は話されていた。(2019/02/11)

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大将棋。”麒麟が左で鳳凰が右は獅子の座の為”と別解発見(長さん)

前に述べたが、中将棋や大将棋では、中段中央、一筋袖寄り
で麒麟が左、鳳凰が右に配列される。本ブログでは、理由を
西暦1275年前後で、普通唱導集時代少し前の、
当時13升目自陣4段104枚制の大将棋の時代に、酔象と
両猛虎の間に、左に成りが獅子の麒麟、右に成りが奔王の
鳳凰を入れ込んだ習慣が、後期大将棋と中将棋では、継続
して生かされた為とみる。ただし大大将棋では、鳳凰に
ちなんだ宗教施設関連のゲームデザイナーの作だったためか、
本当の理由は良く判らないが、日本ではより階層が上位とさ
れる左側上手に、鳳凰が、逆に下手右に麒麟が入ったようだ。
 つまり、左側が上手だったためで、

獅子の座という言葉が、隣に配置された、釈迦が主体となる
モデルとみられる、太子に成る酔象の、添え駒として相応し
いと考えられたための、麒麟の左置き

だったという説明を、前にした。
 最近、理由がもう一つ考えられる事に、私が気がついたの
で、それも本ブログ独自の説として紹介しよう。

答えから書く。

鳳凰の居る右辺はそこからその袖に向って、猛虎、猛牛、
嗔猪、飛龍と配列され、円環していると見て、飛龍を最初に
移動すると、

飛龍、猛虎、猛牛、嗔猪、となり、左回りの方位であるから
天球の方位を示すと見て、空を飛ぶ鳥の類である鳳凰を配置

し、左辺はそれに対して、今度は袖から麒麟駒に向かって、
同じく飛龍、嗔猪、猛牛、猛虎と配列され、やはり円環して
いると見て、今度は飛龍を最後に移動すると、

嗔猪、猛牛、猛虎、飛龍、となり、右回りの方位であるから
地上の方位を示すと見て、語源は馬の仲間である麒麟を配置

した。
 以上の理由による。つまり、右辺は、地面にひっくり返っ
て、空を眺めたときの、北東中心に方位の十二支として、鼠
と兎を跳ばして、鬼門の北東の牛虎を中心に、4つの動物駒
が並んでいるので、空に因んで、空を飛ぶ鳥を持ってきてい
るのであり、それに対して左辺は、普通の立って、北東を
中心に眺めた時の方位なので、馬の仲間と見られた、地上を
走る麒麟を持ってきているという意味である。
 では以下に、だからどうなのかを中心に、解説する。
 今回述べた理由付けの、前より良い点は、成りが無くても
有っても関係ない事、および、

奔王の王より、獅子の座の方の獅子が、常に格上である事を
証明しなくても良い

事である。また、

猛虎の内側に、酔象とは別に、12神に因んだ文物を、その
配置で、左右に持って来る事の、動機が自然に説明できる。

特に後者が大切

であろう。つまり、偉人としての釈迦を表す、太子成りの
酔象が入っているから、麒麟と鳳凰を入れる動機付けは
元々有るのだが、それだけなら、左右は、どちらでも良い
はずである。だから更に、

麒麟が左で、鳳凰が右でなければならない事

が、十二支駒の配置の左向き、右向きで天・地となるために
自然に説明が出来るという点が無ければ、

陰陽道の信仰の厚い、当時の将棋棋士には、”左麒麟、
右鳳凰”は、自明な配列とは受け取られなかった

という事である。
 駒数が108枚ともなれば、そもそも将棋種に

亜流が出来る要素が、幾らでも発生

するはずである。しかし、その中で主流として生き残るため
には、日本の中世の場合には、

陰陽道と、完全に同化している事が、ほぼ絶対に必要

だったのだろう。
 逆に言うと、その将棋種が滅びるとき、元々の原因は
定跡が出来てしまうという、ゲーム性の問題
だったのかもしれない。が、その改善を困難にするような、
改善しようと、配置をいじる事による

陰陽五行説との乖離という、阻害要因が無ければ、

本当の所は、
中将棋よりも、成りが少なく、獅子に関する特別な規則の
無かった、総合的に見ると中将棋よりも、ルールのより単純
な普通唱導集大将棋については、実は”大将棋は中将棋より
も、常に複雑”という名前のイメージだけから来ると見られ
る通説は、間違いであって、

実際には絶滅は、起こらなかった事だった

のではないか。
結局、

今述べた、大将棋に関する”本ブログの絶滅原因論”。これ
が、極めて大切であるという事。

以上のことが示されているように、私には思われたのである。
(2019/02/10)

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国会図書館デジタルコレクション色葉字類抄に象戯が無い?(長さん)

12世紀の中旬に成立したとされる、表題の色葉字類抄には、
”象戯の字が記載されている”とされる。国会図書館には、
最も古い、二巻物(12世紀中旬成立)が収められて、デジ
タルコレクションとして、netで閲覧できるので、さいき
ん私も、「象戯」の字を確認しようとしてみた。

が、みつからない。

 紹介されている成書の中で例としてあげると、松岡信行氏
著書の「解明:将棋伝来の『謎』」に写真が載っている。
ので、念のため、その写真と比べながら、3回探してみた。
”シ”の人事の所、下巻の76ページ前後が、本来なら
”象戯”記載の場所の、ようなのだが。

「試楽」から「シリハ子?」「偲」の字に飛んでいるようだ。

ひょっとして、西暦1200年程度に成立した色葉字類抄の
増補版、伊呂波字類抄の”十巻物”にしか、「象戯」は載って
居無いのではないか。
 実体を知らないのは将棋史愛好家では、私だけなのかもし
れないのだが。この件、正確な話については、もっと調べる
必要が有りそうだ。(2019/02/09)

(追記)
やはり、西暦1199年頃成立した、伊呂波字類抄の、
十巻物(増補版)の方には少なくとも、下記のような書体で、
”象戯”の文字が有りました。

伊呂波字類抄.gif

松岡信行氏著書の「解明:将棋伝来の『謎』」の写真も、
内容を比べてみると、十巻物の方の写真のようでした。
(2019/02/10)

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嗔猪の後退動きは、いつ消失または変化したのか(長さん)

 本ブログでは、西暦1290年の普通唱導集で大将棋が
唄われる直前に、

嗔猪は縦横四方歩みだった

考えている。根拠は本ブログモデルの13升目普通唱導集
大将棋の第2段目に、前後非対称の駒動きルールの駒が、
見当たらないためである。
 他方、現代の後期大将棋のルールは、将棋天国社の世界
の将棋に基づく、wikipediaの情報が普及し、
上記と同じルールと見る傾向が強い。が、嗔猪は、

安土桃山時代成立の水無瀬兼成の将棋纂図部類抄では、
後退する動きを除いた、3方向歩みルールを取る事で有名

だ。事実近年でも、大阪電気通信大学では、3方向歩みの
嗔猪が、最新は違うが、かつては摩訶大将棋のルールとし
て推薦されていたと聞く。
 ここでは、安土桃山時代から現代までの、嗔猪ルールの
変化は、松浦大六氏所蔵の象戯図式の著者等が江戸時代に、
西暦1290年頃の嗔猪ルールを、たまたま、何らかの事
情で、記憶していたためだと推定し、深く議論し無い事に
する。
 すなわち、西暦1290年から西暦1590年までの、

約300年の間で、4方歩みから、後退を除く3方歩みに
どこでどう、切り替わったのか

を今回の論題とする。 
 最初に結論を書いて、ついで説明を加える。今回の結論
は、多少複雑だ。

1)1310年頃に、4方向歩みから3方向歩みに切替え。
2)1360年頃に、3方向歩みから4方向歩みに戻り。
3)1400年過に、4方向歩みから3方向歩みに再切替。

以上のようだと考えられる。
 では、次に内容を説明する。
 嗔猪の後退ルールの件については、中将棋連盟の発行し
た冊子に、水無瀬兼成の将棋纂図部類抄の嗔猪が、後退し
ないルールであると、今世紀初め頃に問題提起されたのが、
研究の黎明期だったと、私は認識する。
 当時、その指摘に対する反応が、有ったとは聞かない。

だから、大将棋は復元するのは難しい

という議論に留まった。先行研究で、私が知るのは以上な
ので、以下には本ブログの見解説明を始める。
まず、1)1320年頃に、4方向歩みから3方向歩みに
切替えの根拠だが、これについては、以前述べた。

普通唱導集の大将棋の唱導唄自体が、チャンギの戦法に、
嗔猪の部分が類似しており、嗔猪をチャンギの卒とみなし
て、後退動きが、唱導集成立の10年程度後に消滅した

というものである。
つまり、
西暦1290年:大将棋は普通唱導集大将棋嗔猪は4方歩。
西暦1320年:大将棋は普通唱導集大将棋嗔猪は3方歩。

と結論される。
ところで、普通唱導集大将棋で、仲人と嗔猪が腹を合わせ
られるのは、以下のような配列になっており、

嗔猪が竪行の列に居るから

である。
普通唱導集大将棋の右辺(麟鳳は左麒麟と右鳳凰)
5段目:口口、口口、口口、仲人、口口、口口、口口
4段目:歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
3段目:奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛車
2段目:酔象、麟鳳、猛虎、猛牛、嗔猪、飛龍、反車
1段目:玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、桂馬、香車

 ところがその前後から、普通唱導集大将棋は定跡の行過
ぎた明確化のため衰退し、しばらくして、中将棋が発生し
て、それに取って代わると共に、15升目の大将棋へ、
進化が始まったと、本ブログでは考えている。今の所、
江戸時代後期の将棋書、中将棋絹篩の中将棋の由緒説明や、
新安沖沈没船出土、15升目将棋盤(?)の史料等は、こ
の本ブログの推定と、矛盾していない。ようするに、
普通唱導集大将棋の猛虎、猛牛、嗔猪、飛龍配列は、中国
南部の闘獣棋を生んだ文化、すなわち”36禽の獣の列位
を象り”との、虎関師錬の、異制庭訓往来の思想に従って、
鬼門警護型から、獣の列位順に、15升目化に伴い入れ替
えられたとみられる。その結果、以下の15升目4段自陣
型の、中間大将棋が成立したと、本ブログは推定する。

自陣4段中間大将棋の中央から右辺(西暦1360年頃か?)
5段目:口口、口口、口口、仲人、口口、口口、口口、口口
4段目:歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
3段目:奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛龍、飛車
2段目:酔象、麟鳳、盲虎、猛豹、悪狼、嗔猪、猛牛、反車
1段目:玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、石将、桂馬、香車

 ここで重要なのは、

獣の列位型にしたために、嗔猪が、竪行列から袖に1列移
動して、横行列に変化したと考えられる

と言う事だ。その結果、

後退する動きを削除する理由がはっきりしなくなり、縦横
4方向歩みに一旦戻るようにルール変化する原因が出来た

という点である。

実際、そのような事が起こった

のではないかとの予想から、嗔猪の3方向動きは普通唱導
集大将棋が、実質的に消滅した西暦1350年の10年後、
西暦1360年頃に、キャンセルされたのではないかと思
われる。

西暦1290年:大将棋は普通唱導集大将棋嗔猪は4方歩。
西暦1320年:大将棋は普通唱導集大将棋嗔猪は3方歩。
西暦1360年:大将棋は4段陣中間大将棋嗔猪は4方歩。

もう一度書くと、
自陣4段中間大将棋の中央から右辺(西暦1360年頃か?)
5段目:口口、口口、口口、仲人、口口、口口、口口、口口
4段目:歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
3段目:奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛龍、飛車
2段目:酔象、麟鳳、盲虎、猛豹、悪狼、嗔猪、猛牛、反車
1段目:玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、石将、桂馬、香車
となり、

そもそも、上記の配列で悪狼の5方向歩み、猛牛の4方向
踊りに挟まれた嗔猪に、3方向歩みに、しなければならな
い理由が無い。4方向歩みの記憶が蘇り、動きの対称性が
増しただろうと考えるのが、むしろ自然なように思える。
 ちなみにこの状態で、自陣5段配列に膨らんだとみる。
獅子があり、獅子に関する特別な規則もある中将棋は、15
升目化が始まる時点で既に有り、大将棋に獅子が加わったの
は、5段目と同時に、当然の如くにと私は見る。
 このとき嗔猪はまだ、竪行ではなくて、横行の列に居た
はずで、状況変化は無い。4方向歩みの中興時代は、しば
らく続いたはずだ。

自陣5段中間大将棋の中央から右辺(西暦1380年頃か?)
6段目:口口、口口、口口、仲人、口口、口口、口口、口口
5段目:歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
4段目:奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛龍、飛車
3段目:獅子、麟鳳、口口、口口、悪狼、口口、猛牛、口口
2段目:酔象、盲虎、口口、猛豹、口口、嗔猪、口口、反車
1段目:玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、石将、桂馬、香車

”盲虎波、斤くへ行くが、上わゆけぬ”と、紛失して今は
無い、神奈川県鎌倉市御成町の今小路西鎌倉市福祉センター
遺跡中将棋木札で記載されたのは、はっきりしないがこの
少し前の頃、遊学往来の成立とほぼ同じ、

西暦1370年前後の事、かもしれないと考える。

 この後、悪狼が2升目内側に寄り、猫叉が悪狼位置に、
一旦入りついで猫叉と嗔猪が場所チェンジして後期大将棋
になったと、本ブログでは考えた。

後期大将棋の中央から右辺(西暦1400年頃か?)
6段目:口口、口口、口口、仲人、口口、口口、口口、口口
5段目:歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
4段目:奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛龍、飛車
3段目:獅子、麟鳳、悪狼、口口、嗔猪、口口、猛牛、口口
2段目:酔象、盲虎、口口、猛豹、口口、猫叉、口口、反車
1段目:玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、石将、桂馬、香車

この時点で、嗔猪が竪行の筋配列が元々だから、やはり、
3方向歩みであるという、記憶の方が、こんどは蘇った
のではなかろうか。すなわち、

西暦1290年:大将棋は普通唱導集大将棋嗔猪は4方歩。
西暦1320年:大将棋は普通唱導集大将棋嗔猪は3方歩。
西暦1360年:大将棋は4段陣中間大将棋嗔猪は4方歩。
西暦1380年:大将棋は5段陣中間大将棋嗔猪は4方歩。
西暦1400年:大将棋は後期大将棋。嗔猪は3方歩。

となって、これが曼殊院の将棋図に残ったので水無瀬兼成
は、それを写して、将棋纂図部類抄の嗔猪は3方歩になっ
たのではないか。
 以上は、史料がほとんど無く、仮説提出の初期段階の話
ではある。
 一般に、仮説は、

オッカムのかみそりの原理に従い、知られた事実が少ない
ときには、できるだけ単純な物を、先ずは仮定すべき

だと言われてはいる。その理屈から考えると、行きつ戻り
つの本ブログの独自論は、かなり邪道と取られるかもしれ
ない。そうかもしれないが、

嗔猪が竪行の列に有る時代に、3升目歩みへ移行する作用
を受ける

という点で統一性があり、

見通しの悪い仮説とは特に言えない

のではないかと、私は思う。むろん後期大将棋の嗔猪は、
後退できない悪狼との、横升目のつながりで、後退の動き
が、無くなったという可能性も、否定できないとみるが。
 なお、冒頭の摩訶大将棋のケースは、将棋種が違うが、
根本原理は同じで、嗔猪は相手右角筋に対して、後期大将
棋、普通唱導集大将棋(本ブログ13升目108枚制)の、
横行格の駒、横飛列に居るので、現行は4方向歩み復活で
ある。
 よって暫定的に、本ブログとしては、以上の見解を取る。

2017年型の普通唱導集大将棋の後継では、問題なけれ
ば西暦1290年ルールに準拠する

という理由で、
西暦1260年:大将棋はプレ普通唱導集大将棋嗔猪発生。
西暦1290年:大将棋は普通唱導集大将棋嗔猪は4方歩。
西暦1320年:大将棋は普通唱導集大将棋嗔猪は3方歩。
西暦1360年:大将棋は4段陣中間大将棋嗔猪は4方歩。
西暦1380年:大将棋は5段陣中間大将棋嗔猪は4方歩。
西暦1400年:大将棋は後期大将棋。嗔猪は3方歩。
西暦1590年:大将棋は後期大将棋。嗔猪は3方歩。
江戸時代:大将棋は中将棋成り後期大将棋。嗔猪は4方歩。
西暦2017年:大将棋は改善普通唱導集大将棋型が良い。

嗔猪は無い。が将来、何らかの事情で作ったとして4方歩。

但し、
13升改善普通唱導集大将棋の右辺(麟鳳は左麒麟右鳳凰)
5段目:口口、口口、口口、仲人、口口、口口、口口
4段目:歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
3段目:奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、飛龍、飛車
2段目:酔象、麟鳳、猛虎、横行、方行、猛牛、反車
1段目:玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、桂馬、香車
同成りの右辺(獅奔は、左獅子と右奔王):
5段目:口口、口口、口口、金将、口口、口口、口口
4段目:金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将
3段目:不成、不成、不成、不成、不成、不成、不成
2段目:太子、獅奔、不成、不成、不成、不成、金将
1段目:玉将、不成、金将、金将、金将、金将、金将
(仲人、歩兵は金将成り。1段目玉将、金将以外金将へ成。)
となっているを、本ブログでは提案したい。(2019/02/08)

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将棋六種之図式と大将棋絹篩とは、なぜ内容が同じか(長さん)

古事類苑30の遊戯部の”将棊”を読んでいて、常々私は、
表題の件が疑問に思えていた。古事類苑では、大将棋絹篩
で、内容が転載されているのだが、書いてある事が、国会
図書館所蔵の電子化図書、雑芸叢書の中の将棋六種之図式
と、まるでいっしょなのである。最近まで、

大将棋絹篩は、将棋六種之図式のコピー

ではないかと思っていたが、

それは間違いだった。

”大局将棋を指しましょう まとめWIKI研究資料一覧”
というwebサイトによると”国会図書館の蔵書目録では、

雑芸叢書の将棋六種之図式を、雑芸叢書の大将棋絹篩

と表現している”という間違いがあるとの事。古事類苑の
第30巻と、国会図書館の蔵書目録とは、同じ間違いを
しているという点で、一ククリの存在と取れる。すなわち、
どうやら、

古事類苑30の引用は、表現が間違いらしく、大将棋絹篩
と書いてあるのは、大将棋絹篩の内容では実際には無くて、
将棋六種之図式に書いてある内容

のようだ。ちなみに国会図書館の、電子書籍の雑芸叢書の
序文には、”将棋六種之図式は、天保年間まで存命だった、
鷄峰戊申が著者で、鷄峰には他に幾つも著作が有るが、他
将棋史では中将棋絹篩や、大将棋絹篩の著作でも知られる。”
との旨書いてあるのに、ようやく私も最近気がついた。
 逆に”ここで載せたように”という一句が、雑芸叢書の
序文に、注意書きとしては、特に記載が無い。だから、
国会図書館の蔵書目録の話も、古事類苑30の引用内容も、
雑芸叢書の序文の内容との間に、確かにつじつまが合わな
いところがある。大将棋絹篩の実体は私には目下不明だが、

古事類苑30には、大将棋絹篩の内容は、記載して無い

と見なすしか、今の所無さそうだ。

国会図書館の電子図書の将棋六種之図式の記載だけ、議論
の元史料として使うしか無い

と言う意味である。
 たぶんだが、大将棋絹篩は、正確には同じ著者の書で、
将棋六種之図式と類似の内容の記載も、部分的に有るには
有るのだろうとは想像される。今でも大将棋絹篩自体は、
古書として、幾らかは残っているらしい。webには、入
手した、中将棋の研究家の書き込みが見受けられる。結局

両者は古事類苑30では混同されているが、別なのだろう。

 この件、知っている人には当たり前だったのだろうが。
雑芸叢書の序文をちゃんと読んでから、人に話すパターン
になって、恥をかく事にならずに済んで良かったと思った。
(2019/02/07)

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信貴山縁起絵巻に平安小小将棋状模様シートの乗った机(長さん)

奈良県の生駒山中に、国宝の絵巻物を持つ、信貴山朝護孫子寺
という寺がある。その寺の宝物の信貴山縁起絵巻の、3巻ある
うちの真ん中の巻である、延喜加持の巻の最後の方に、主人公
の命蓮という坊さんの、勉強机かとも思われる、台の上に、

6×6升目の遊戯盤の一方の側に、6個の五角形の駒を置いて
いるようにも見える、

半紙か、シート状のようなものが描かれた場面があるのに、最
近私は気がついた。

信貴山縁起.gif

場面は、小学館の信貴山縁起絵巻で京都国立博物館(当時)の
泉武夫氏の解説(2004)によると、主人公の命蓮が、醍醐
天皇の病を、祈祷で治したことに対して、従者が提案している
褒美を辞退する場面だと言う事である。
 上の写真のように、横線は不明確であり、升目になっている
のかどうかについては、やや疑問が残るが、

手紙にしては奇妙な、縦線の通し模様

が、多分紙に書いてあるのである。見ようによっては、

6×6升目12枚制の遊戯具が置かれている、勉強机

のようにも見える。ただし前に本ブログで提案した、1・2段

歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵
桂馬銀将玉将金将酔象香車

という配列の、平安小小将棋は24枚制だし、上下両方に、駒
列が無ければならないが、写真の向こう側の、こちら側と同じ
なら6枚あるはずの駒の表現は、不明確である。手前の物体は、

将棋駒ではなくて、文鎮なのかもしれないが、全体の形は変だ。

 盤全体に、この模様があるとすれば、ほぼ昔の囲碁盤型の遊
戯盤だが。左の方に下地が赤い部分が、2筋分程度ある事、
第3巻、”尼公の巻”の最後の方でも、デザインが少し違うが、
類似の台が出てきて、こちらの方は、手紙が乗っている。ので、

たぶん台自体は、遊戯盤ではなくて、勉強机には間違いない

ようには思える。
 なおこの絵が成立したのは、二中歴の成立より少し前の、
12世紀半ば過ぎの頃の事だという。
 本ブログによれば、酔象を温存するために、
平安小小将棋は、西暦1120年頃から、西暦1250年頃ま
での130年間存在しなければならないから、西暦1150年
から1180年位なら、その中に入る。
 ちなみに画題の中において、この机状文具の持ち主の命蓮は、
天台密教の僧とされ、

信貴山朝護孫子寺の戒律は、当時は厳しかったとされるため、
”囲棋”の類は禁止であったはず

だ。将棋ゲームをデザインしている最中に、醍醐天皇の従者が
訪れたという設定は、その点でチグハグだが。絵師がなぜ、
普通の手紙風の紙切れを、机の上に置かなかったのだろうかと
いう疑念は、この絵巻に関しては残ると思う。(2019/02/06)

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六博は盤双六系ゲームとの説に基づく、ゲームのチェック(長さん)

今回は、表題のように六博は盤双六系ゲームとの通説に基
づいて、具体的にゲーム内容を推定し、そのチェックをし
てみた。ゲームが”約2000年前の、原始的なものだ”
との印象に合うと言う意味をも含めて、

結果から見ると、やはり通説が正しい

ように、私も思える。さてさっそく、それでは本題に入る。
 web上で、六博のルールは”今ではさっぱり判らない”
との旨の書き込みが多いと認識される。しかし、遊戯史研
究者が、”この程度の悪条件で過去、ゲーム内容の暗号解
読を諦めた”と、私には到底考えられない。今の所、ゲー
ム・ルールの解明に関する、論文情報を個人的には所持し
ないので、仔細は私には判らないのだが。
 そもそも遊戯史家が、”六博は盤双六のようなものであ
ろうと推定”したからには当然だが、解読しようとした結
果、カテゴリーとしては、その類との見解に落ち着いたか
らに違いない。

”ゲームのルール詳細に付いては、手がかりとなる古記録
が、今では全く残って居無い”と表現した方が、”ゲーム
のルールに付いては、今ではさっぱり判らない”と、広報

するよりは、適切だろうと私は思う。
 ところでこのゲームのルールに関する先行研究としては、
”盤の線と線の隙間の部分に、駒の置き場とも想定できる、
名前が付いた古文書が残っている”
という話が著名だ。しかし、そう考えてしまうと、

隙間同士が、かなりの場合に連結していて、置き場と置き
場の境目が、厳密には、はっきりしない

という事実が、全く説明できない。従来遊戯史家は六博を
解析するとき、しばしば”盤の、所どころにある名称を、

六博盤の駒を置く場所と決め付ける説”に惑わされていた

とは考えられないだろうか。つまりこれらの文字は、将棋
の盤の、外側にしばしば書かれる、123456789と、
一ニ三四五六七八九の数字・漢字と、ほぼ同じ働きをして
いる、棋譜表現のためのものなのではないかと、疑われる
と言う事である。
 そこで本ブログでは、前回の冒頭に述べたように、駒は、

”駒を置く名前の付いた場所”に置くのではなくて、線模
様で、一つの線分とみなせる部分2本に、長方形の元々細
長い駒を、必ず線分の数は、2つに限定して跨らせておき、
そうなっていれば、いわゆる”駒の置き場”の文字の場所
と、完全合致しなくても良い

と見てみた。名前は、着手を表現するのに使ったものだと、
考えたのである。そして、”隣の地点に移動する”とは、
”接している線分の、かならず一方は同じにして、他方を
隣接する別の線分に変えるように、長方形駒を中心をやや
ズラしながら、回転させる事”と、解釈した。
 なお、盤双六とは違い、同じ状態、すなわち盤双六で言
えば同じ升目に、複数の駒は、六博盤では置けない。一状
態1つの駒限定の、パウリの排他律型のゲームと見られる。
 そうすると、長方形駒の六博盤の模様上の位置と移動は、

囲碁の碁石のような円形の駒と、隣への移動を、隣接盤上
地点同士を、囲碁盤のように目と目同士を線で結んだ形と
して表した、ゲーム盤と等価に表される

事になった。この変換で見通しは、とても良くなり、双六
の駒型を12個、円変換して想定すると共に、前記の、
等価囲碁状盤(数学的に言うと、グラフを書いた盤)を
用いる事で、ゲーム内容を割り出そうとした訳である。
 そこで以下の議論は、あくまで以上の”TLV盤を解析
するためにした変換仮説”が正しいとしたときに、限定は
される。
 これも前に示したが、次に、四隅の二辺だけ見えるV型
正方形模様と、本当の盤では存在する、中央の四角形領域
と、連結しようとしているが、途中で切れている”線分”
とで作る、2線分に乗った形に初期配列で駒が有ると仮定
すると、四隅V字形1つについて2個、合計で8個の駒が
置ける。また、TLV盤のL部分には、長方形駒が、Lが
2つの線分からなっているので1個づつ初期配列で置けて、
合計4個置ける。

 六博の名から、敵味方で合計12個の駒があるはずだか
ら、初期配列は、以上の2種類の場所に駒を置けば足りる。

 そうすると、もしこれが盤双六ゲームだとすれば、

中央の四角領域が、上がりを表現すると見るのはほぼ自明

だ。そこで、前述べた文言を繰り返すと”そもそも、この
盤が、普通にサイコロを使う、盤双六盤だという象棋関連
説とは別の、学会では定説と、私が認識する見方で見ると、

二重丸の所に、双六の駒を置いて、中央近くの黒い目を目
指し、黒の目から1か4のサイコロの目が出たときに、
個別の駒が上がれる。が、この黒い目では必ず止まるよう
に、出目時の駒の移動を調整してから、次の自分の番か、
1回以上止まってから、上がらなければならない。また途
中路で駒を動かすときに、同じ線は1回しか通過できない。

以上のルールで指す、6升目しか無い、簡易的な双六ゲー
ムと、等価に近いゲームと、ほぼ自明に推定できるように、
本ブログの、独自の見方としてはする”という事になるの
である。なおこの場合は、他の駒を途中で、飛び越せない
とする。また黒い王手の目は、元の六博盤で表現すると、
中央の方形の、角の一つを小さな三角形に切る形に、
長方形駒を置いた状態の、その長方形駒の状況に、対応す
る事になる。
 そこで、これで、はたしてゲームとして成立するのかど
うか、最近実際に、テストしてみたので、以下にゲーム上、
難点は生じないのかと、サイコロをどの程度振るゲームに
なるのかを、紹介しよう。
結論から述べる。

ゲームとして、成立している。ただし、スチールメイトの
補助ルールが必要。

難点は逆転の確率が低い事。

サイコロは十数回互いに振る程度で、短時間で勝負がつく。

以上のようになった。
 次に簡単にだが、補足説明しよう。
 実際のゲームでは、道具として”普通のサイコロ1個”
が、双六駒12個の他に要る。ただし中国漢代に、現在の
サイコロ駒か、それと等価で1~6の目の有る、サイコロ
の機能を持つ遊戯具が、あったのかどうかは、まだ精査
していない。少なくとも、私の作成した、六博等価囲碁型
盤(数学的グラフ盤)では、サイコロに7以上の目は出な
い方が、手が指せない事が多くなりすぎるため、好ましい。
出土品の14面体とか18面体の、中国古代のサイコロは、
後期の六博用のバージョン用か、6まで出る目が2面とか
3面づつ有ったと仮定しての、以下話となる。大きな目数
の敢えて必要なゲームが、実在するのかと言う点で、単純
にその面数までの、数の目が、中国古代サイコロに有ると
いう仮定は、むしろ不自然だろう。
 つまり、サイコロの目だけどれかの駒を、等価囲碁路で
動かし、同じ路は2回以上繰り返せないで、6目までなら
特に、ルール上問題になるケースは、余り無さそうである。
ただし、そうであっても、

動かせる手の無い、スチールメイトは、喫した方の負け

との、補助的ルールは必要なようだ。ゲームの進行上、
注意点は、その程度だ。
 このゲームは、上がり直前の目に、初期配列から、3~
6が出ただけで、いっきに到達できる。そして相手の駒を、
袋小路上のエリアの中に、閉じ込めてしまえば有利なので、

上がり直前の点を占拠するという、戦術以上の戦法は無い。

しかも、袋小路に閉じ込められてしまうと、相手の残り
の5つの駒が上がってしまうまで、

相手は戦略上、閉じ込めた駒の牢屋番的な駒は温存

すれば有利なため、1か4の目が出ても上がらず、他の駒
を動かすという方法で、固定してしまう事が多い。その為、

不利な方から見て、上がれない残り駒が、こちら側が2個
で、相手が1個になるケースが、かなりの確率で高い。

しかも、この状態で不利な側が勝てるのは、

相手が1か4の目が出ないために、しかたなくよそに、
牢屋の駒番を移動させた隙に、味方が2枚共、上がれるケー
スだけであり、逆転の可能性は、よって比較的低いゲーム

である。従って、

終盤の発散が、取り捨て将棋と持ち駒将棋の比較といっ
しょで、前者のように少なく、漢の時代には残っても、
三国鼎立の時代になると、飽きられて消滅したという説
は、至極尤もらしい。

なお史料として残っている、串焼きの串のような物体と、
6面体ではないサイコロ。さらには小さな30個の方形
の駒等は、流行の末期に、ゲーム・ルールを複雑化して、
基本型のゲームの、性能上の難点を克服しようとして、
結局は失敗した遺物であろうと見て、間違いないように
私には思える。
 最後に、サイコロの1度振りで、”王手”の点まで到達
できる程度の、盤構造のゲームと見られるため、トータル
の手数は、どうがんばっても、50手にはならない。
 比較した双六盤の升目数、駒の数等から予想されるよう
に、サイコロは1個であって、2個では無いものの、
盤双六の1/4位の総手数で終わる。比較してより劣位と
記録した古文書があると聞くが、

囲碁に比べて、全く簡便なゲームかつ、運がほぼ決める
ゲーム

である。なお、先手が有利と言う事は、特には無さそうだ。

つまり玄怪録の”小人の戦争”の、宝応”将棋”の局後評

に近い。むろん、TLV盤に関する、本ブログの解析が正
しいとしてという、条件つきの結論だが。もしかすると、
玄怪録の、”小人の戦争”の作者の(伝)牛僧儒は、宝応
将棋のルールは知っているものの、それを自分では熱心に、
のめり込んで、指すほどには興味がやはり無く、物語り中
で、”金象将軍を、岑順が褒める場面のセリフ”は単に、

将棋のレベルは六博といっしょとの仮定に基づいて、彼も
知っていた一般的な六博の一局のゲーム内容の評で、将棋
の場合を代用

しただけのかもしれないと私には想像された。(2019/02/05)

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六博盤を象棋盤状に変換しルール解析後象棋化不能を証明(長さん)

六博が中国象棋等、チャトランガ類の先祖で無い事は自明
だと私は思ってきたが、現時点でwebのサイトを眺めて
みると、そう考えられては居無いとの印象だ。”六博が進
化して象棋・将棋になった”とか、”六博は盤双六と将棋
の両方の性質がある”等を指摘するサイトが、結構目に付
く。そこで今回は、

六博のゲーム・ルールを、より正確に把握する事により、
それらのサイトの間違いを指摘する

事にしよう。
 結論から書くと、

どう似せても六博ゲームには、直進して相手陣に到達する
兵駒が作れないので、象棋に連続的には進化できない

という事になる。
 では例によって次に、詳しく説明しよう。
 まずは、いわゆる六博のTLV盤(VはYが正しい)を、
中国シャンチーの象棋盤流になおして、

長方形駒を、円形駒に置き換えても、等価なゲームになる

ようにした。
 考え方とやり方は、次の通りである。
 まず、長方形六博の駒が、何ゆえに長方形なのかについ
て、次のように本ブログでは解釈する。

TLV盤の線分2本の少なくとも一部に、必ず同時に接触
させて、六博の駒は置くルールだから

である。ここで、”TLV盤の線分”は、通常の数学的な
線分とは異なり、

分岐点をも端点とみなし、分岐点が1つある線分模様は、
2本の線分を、角度180°で繋げたものと考える

という事である。なお各六博駒は、別の六博駒とは、必ず
跨ぐ線分の、どちらか一方を別の線分にしなければ、なら
ない、量子論の、パウリの排他率のようなルールとする。

これは、シャンチーの1交点には1つの駒しか置けないの
と、かっこつけて言わなければ、いっしょという事である。

 そして、象棋盤にある”線”は、駒の跨いでいる、一方
の盤線分を、他の線分に変えるように動かしたときに、到
達する、駒状態形に対応する交点を、隣と定義し、結びつ
けた、いわゆる数学的グラフとする。
 すると、六博のTLV盤は、駒を置く交点に小さな○を
つけて、より判りやすくすると、中国シャンチー流の象棋
盤流に表現して、以下のような模様の盤と等価になる。

囲碁式六博盤.gif

 次に、中国シャンチーに六博ゲームができるだけ似るよ
うに、出土史料を、

好意的に解釈

するとしよう。すなわち、

1)サイコロと、棒のような30本の物品は、使用しない
ゲームバージョンも有ると仮定する。象棋・将棋系ゲーム
では使用しないが、サイコロは、6面体の簡易型と使い方
が等価で単純なものも、かつては有ったのだろう。
2)六博の駒の、駒の名前は元々有ったが、たまたま名無
しの道具が出土してしまった。

 シャンチーでは、まず盤に敵味方の領域区別がある。
 上の写真では、斜めになってしまったが、右下が味方の
領域、左上が相手の領域というふうに、

尤もらしい、象棋の初期配列が作りやすいように、最大限
好意的に仮定

した。
 次に六博の六は、駒の数から来るとみられるが、もっと
もらしいのは、図の二重丸の所に、駒を置いた場合である。
ただし、これではシャンチーへは進化しにくい。
駒の数が、この場合は68目になるとみられる、盤升目数
に比べて

少なすぎる

のである。これでは中国チャンチーの先祖にしては、最初
から終盤の駒枯れ状態だ。
 そこで恐らく、出土品の小さい駒30枚のうち、20枚
を追加で使う、ゲームバージョンも有ったと、

更に好意的に解釈する。

並べる位置は、竪横のそれぞれの袋小路陣の、漢字の”日”
の形の中段と下の段部分に、計8個で兵駒相当、斜めの各
4つの袋小路部分のそれぞれに、既に大きな駒の置いた、
後ろの目に、帥/将相当と士/仕相当の副官駒を並べると
いうパターンの初期配列が、例示できる。
なお大駒は、適宜、象、馬、車を2枚ずつ割り当てれば、
駒数と、盤升目数のバランスは、駒総数32枚なので、

64升目が68なら僅差であるから、インドの
二人制チャトランガ類とほぼ同じ

だ。
 ただし、問題は、

個別の駒の動かし方のルールの割り当て時に発生

する。理由は、

単純には、普通のチャトランガ系ゲームのように、六博盤
を上記のように、象棋升目盤に変換した時に、縦横の規則
正しい盤升目になっていない

からである。象と馬の

斜めの動きは、表現不可能

だ。そこで、象・馬・車は、暫定的に次の動かし方で動く
と、象棋類には、なるべくなるように仮定してみよう。

象:やり方に制限無く2目動く。ただし途中の他駒を飛び
越せない。
馬:やり方に制限無く3目動く。途中の他駒を飛び越せる。
車:やり方に制限無く1~4目動く。ただし途中の他駒を
飛び越せない。
 ただし、象・馬・車共に、同じ線を一回の動きで、複数
回通過してはならないとする。

 車駒が、車と命名されるのかどうか謎だが、これなら、
多少は象棋らしいであろう。
しかし、六博盤には、次の象棋盤には無い、深刻な問題が、
TLV模様に起因して発生する。すなわち、

け高い山脈状の”方”と名づけられた領域が中央にあり、
相手陣へは、左右の端列からしか突入できない

のである。そのため、
前段前列に整列していて、指し始め以降、相手陣に向かっ
て歩んでゆく兵駒という駒自体を、駒数で言って、仲人の
2枚程度以上は作れないという、チャトランガ・シャンチー・
チェス・将棋類の仲間に入れるにしては、

致命的な問題

が発生するのである。ようするに、このケースには、

”互いに戦争などしないで、険しい山脈の両側に別れて、
それぞれ平和に暮らしなさい”と言わんばかりの、地形の
ゲーム盤で、わざわざ戦争ゲームをするという、不可解さ

が有るという意味だ。ようするに六博のゲームの盤の
デザインが、

”こんなゲームの無い国の方が、象棋ゲームが、むしろ発
生し易いのでは無いか”と、懸念されるほどの性質である

と言う事である。
 そのため具体的には、

六博盤では、兵駒と帥/将駒、士/仕駒との動きに区別は
付けられず、中央上段に置かれた兵駒には、後退できる
ルールがないと、敵陣間近の大山脈の行き止まりで、立ち
往生となる恐れも発生する

のである。
 だから、本ブログの管理人に言わせると、
最初にチャス・象棋・将棋型ゲームを発明したゲームデザ
イナーが、六博を指せた可能性は否定できないが、
六博から、チャス・象棋・将棋型ゲームが出来た可能性は、
兵駒を発明すると共に、そう考えるのが当たり前だが、
直交座標のような囲碁型の盤へ、六博の気高い中央山脈の
ある路構造に変換される遊戯盤は、取り替えないと駄目だ
と気がつかないと、発明できない。だから、六博から象棋
への移行が、仮に有ったとしても、

別種のゲームへの移行と、明らかに見なせる

と、結論できるように考えるのである。
 そもそも、この盤が、普通にサイコロを使う、盤双六盤
だという別の、学会では定説と私が認識する見方で見ると、
二重丸の所に、双六の駒を置いて、中央近くの黒い目を目
指し、黒丸の目から1か4のサイコロの目が出たときに、
個別の駒が上がれる。が、この黒い目では必ず止まるよう
に、出目時の駒の移動を調整してから、次の自分の番か、
1回以上止まってから、上がらなければならない。また途
中路で駒を動かすときに、同じ線は1回しか通過できない。
以上のルールで指す、6升目しか無い、簡易的な双六ゲー
ムと、等価に近いゲームと、ほぼ自明に推定できるように、
本ブログの、独自の見方としてはする。なお双六ゲームと
しての内容の議論は、ごちゃごゃになるのを避けるために、
このページでは、この位にしておこう。
 以上のように、”六博→囲碁等価盤”を作成して、象棋
ゲームとして、考察した結果、

やはり六博は、中央部に行き止まりのある形式の盤である
がために、使用駒種類が、象棋に比べて異形かつ作れる種
類が限られ、従って、そのような発明を飛び越して、自然
に連続的に、象棋に進化したものではない

と考えられた。
 以上の考察以降”六博は象棋の先祖”だとか、”六博に
は象棋の要素が有る”と主張する、webサイトには、
遊戯史の研究者によるものとみなせる、文献研究の出典が
示されて居無いケースでは特に、その主張内容の真実性に
関して、充分に疑って掛かる必要があると、私は個人的に
は考えるようになったのである。(2019/02/04)

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赤旗”中国文物の権威は大将棋進化を遅延”説は大理説に合う(長さん)

昨年の後半の事だったが、

増川宏一氏が、政党新聞の赤旗の金曜特集に、大将棋の進化と、
将棋の伝来元を結びつける、平安時代の記憶が中世に残存

という視点での、最新の彼の説を発表している旨、本ブログで
も取り上げた。”マルクスもレーニンも、将棋を指す”という、うわ
さ話を書いた短歌が有るらしいが、中国人では無いので、この
説は、外国の共産主義思想とは、関係が無い。中国共産党よりも
日本共産党の方がレベルが上(私は論の実在と真偽未確認)と
いう風説(?)とは、一応つながるらしいが。
ようするに、この政党新聞の、この記事のこの部分の狙いは、

将棋伝来元が、中国中原ではなくて、東南アジアであるとの
増川宏一氏の持論や、大内延介氏の説等を、補強するのが狙い

とみられた。
 表題のように、平安小将棋の伝来バージョンが仮に、中国中
原の物であるとすれば、平安時代の日本の知識人には権威があ
り、改変を阻害して

平安大将棋の発生や、その変化を遅らせるはずのため、
中国中原起源ではなくて、東南アジアとみるのが妥当との主旨

であった。今の所、本ブログで前に述べたように

陰陽五行説を、日本の伝来将棋の権威に、更に優先させたと考
えれば、大将棋の変化挙動は、平安時代の伝来元の記憶を残す
とは、必ずしも言えない

という点は間違いないと、私は個人的にみる。そのため、

他説を完全否定できるわけではないが、将棋伝来元の中国中原、
東南アジア、そして本ブログの言う”大理国(雲南)起源”と
3つ並べて、順位をつければ、”大理国(雲南)起源”が一位
で、他2説が2位になるという、相対的な程度に関する差位は、
実は付くのではないか

という予測について、以下述べる。

 理由を結論的に最初に述べる。
中国中原についての推論は、増川氏の思考に一理ある。が、
東南アジアの文物だとすれば、陰陽五行説という中国の文化と
の整合性は、最初から、日本の中世のゲーム・デザイナーには
中国に対して、整合無理な圏外文化圏の物と認識されてしまい、

初めから諦められてしまうので、改善そのものが、なされない

のではないか。その為に実際に行われた、大将棋の陰陽五行説
とのマッチング進化が、東南アジア起源としていまうと、むし
ろ、やや起こりにくくなるのではないか、とも考えられるから
である。
 では、以下に説明を加える。
 赤旗の昨年の”将棋の歩み”に関する、増川氏の中世の大将
棋の発生進化に関する、以上の論を読んだ時点で、私には、

彼の東南アジア説を補強するための、”勝負手”を繰り出した

ように見えた。中国伝来説への攻撃材料としては、筋が細いと、
平安小将棋と五行との不完全な対応から、そのように思えたか
らである。平安小将棋の最下段の駒名が、5宝という考えは、
本ブログも指摘したように、根拠となる文献が、伝来時期と大
きく違う等、不可解な点がある。そもそも、馬や車の仲間が、
どうして将の類と横並びなのか。
 つまり、伝来最初の将棋は、陰陽五行説物としてはイビツな構
造なため、正しい陰陽五行説に沿う、平安大将棋を作成して、

より、中国文物としての権威を、日本で新たに持たせるという
プロセスは、どこから将棋が伝来したにしても、自明に近いほ
ど自然

と、私には感じられたからである。
 東南アジア説からの、中国起源説への攻撃アイテムとして、
さほどの力が出るとは、昨年の時点では、少なくとも本ブログ
には感じられなかった。
 しかしながら、今にして思うと、

中国の物だから、難が有っても手直ししないで置こうという動
きや、作用が、完全にゼロと言うわけでもなかった

と、私も考えるようになった。

そう考えた文化人も、鎌倉時代に皆無と証明はできない

だろう。つまり、大将棋の進化にとって、伝来将棋が中国起源
であるという事は、余りプラスにならない事は、増川氏の言う
ように確かだ。
 他方今度は、日本の将棋の伝来元が、東南アジアだとしよう。
そうしたときに、大将棋類の進化にとって、増川氏のイメージ
したように、プラスなのかと言うと、

増川氏の言うようには、東南アジア伝来元説にとっても有利に
はならない要素も有る

と、私には思えてきた。結論に述べたように、
鎌倉時代の将棋のデザイナーは、中国とは全く無関係な文化圏
から、日本の将棋が伝来したとすると、中国文化への同化は、

最初から中国文化に近くする事は諦め、”これはこれで、元々
そういう物だ”という感覚で、処理してしまう

恐れがあるのではないかと、私には思えてきたからである。
 無論、それでも当時中国文化圏の一部であった日本の将棋な
らば、”日月星辰の動きに則り、陰陽五行の理に適った、ゲー
ムで無ければならない”と考えるゲームデザイナーが、全く無
いとまでは、私も言わない。しかし、

最初からの諦めムードは、有る程度予想されるだけに、中国
文化圏から来た文物に比べて、実際起こった大将棋の変化挙動
を、より説明し辛くなる事は確か

なのではないか。
 だから、結論で述べたように、中国でも東南アジアでもなく、

中国文化圏の隣接地帯から、日本の将棋がやって来たとした場
合が、実際の大将棋の変化を説明する際には、どちらかと言え
ば一番有利

になるのではないかと、私は最近考えるようになったのである。
 なお、近年の説では、日本の将棋の伝来元については、イン
ド以東については、日本自体も含めて種々あるが、時期につい
ては、北宋時代との説が、いまでは基準点になった。そこで、
その時点で

中国人にとっては異民族の、元王朝は除く、中国の王朝が適宜
最大版図であったときに、時に領土内に含まれていた周辺地域

が、中国では無いが、中国文化圏である周辺地域であると見な
すのが、判りやすく妥当だろう。
 具体的には、余り強くなかった北宋王朝時代を、基準にする
ならば、

遼、西夏、大理、李朝ベトナムの4箇所のどれかという、
表現で、陰陽五行が支配する、中国文化の周辺地域と見て良い

のではないか。なお、朝鮮半島は中国伝来説に重なるし、チャ
ンギが固定化してから、日本の将棋になると言うのは、前世紀
の将棋Ⅰの増川推論から、大いに無理である。
 そこでこの中で、今も銀将駒の銀を連想させる、銀細工師が
居るという点が観光地として著名である。また11世紀の伝来
なら、航海術に長けた中国の交易商人による、大鏡流の表現で、
”藤原貴族の喜ぶ、誰も知らないような”異文化文物の長距離
伝来も可能と考えられる。そうであるならば、途中地域が跳ん
でも矛盾がないと、少なくとも本ブログは独自の視点で見るた
め、大理国を、日本の将棋の伝来元の候補の一つに挙げると言
うのは、ほぼ自明であろうと、私には考えられるという結論に、
やはりなったという訳なのである。(2019/02/03)

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猛豹、悪狼、猫叉。最後に大将棋に加わったのは、どれか(長さん)

本ブログでは、二中歴の大将棋の記載から、いわゆる
後期大将棋の袖の動物小駒については、まず二中歴より、
1)盲虎、飛龍が最も早く平安末期。ただし、南北朝時代
までに、猛虎を盲虎へ変更。(今小路西鎌倉市福祉センター
遺跡中将棋木札が根拠。)
 ついで、普通唱導集の大将棋の唱導唄の内容から、
2)嗔猪が導入。
 そして、鬼門の信仰から来る配列を入れるためには、
3)猛牛が必要
との論、すなわち特に3)を、何回か指摘・主張してきた。
 つまり、残りの猛豹、悪狼、猫叉という3種類の駒は、
後期大将棋に有っても、上の駒より後の、鎌倉末期から、
南北朝時代にかけて成立した後期大将棋用小駒という意味
である。これら3者と、石将が3)の時点で、大将棋には
無かったと考えると、袖の無駄小駒は減少し、大駒の全体
の割合が増加するので、

普通唱導集大将棋は、後期大将棋より優れた将棋である

という、復権するのにはたいへん都合の良い事になる。
少なくとも嗔猪を更に、大大将棋の方行と取り替えると、
現行の獅子に関する特別な規則が強力な、中将棋並の、
バランスのとれた将棋になるはずだ。
 ところで、普通唱導集大将棋から中将棋への小型化は、
嗔猪、猛牛、飛龍、桂馬を取り去り、鉄将を猛豹に変えた
後、一旦横14升目化してから、角行列を角行を下げて無
くして12升目化し、獅子を最初から居るようにして、
飛車、堅行、横行を入れ替える等すると、中将棋の形に
なったとみられる。
 ただし、中将棋が成立したのちに、3の倍数の盤升目の
将棋が、3が小将棋、4が中将棋として成立していたので、
5の15升目の後期大将棋化、すなわち大型化が、

しばらくして実質平行して行われたと、本ブログでは独自

に見る。
 飛龍と、そのときまでには、対と考えられるように変化
した猛牛の列を、本ブログの言う普通唱導集大将棋に加え
て、5将に石将の第6将目を加えれば、15列化は出来た
が、走り駒の猛烈な消耗を防ぐために、現行の5段自陣型
ではなくて、それが、押しつぶされたような形の、

4段自陣配列型の中間的大将棋を作成したと考えている。

その際、そうするには、ここで論じている袖小駒が、飛龍
と猛牛を移動させた分

2種だけ足りなかった

と考えられる。ところで、現在残る後期大将棋は、
少なくとも本ブログの推定では、普通唱導集大将棋から、
後期大将棋への移行に於いて、押しつぶされた4段配列の、
普通唱導集大将棋から、後期大将棋へ向けての中間的進化
の時点では、2種だけの小駒の追加で充分であり、

3種類の小駒、すなわち表題の、猛豹、悪狼、猫叉が、
最終5段自陣化で加わった事は確かだが、中間では1種
ダブついている。

以前本ブログでは、一例として、悪狼が無い、15升目4
段中間大将棋を指摘した。普通唱導集大将棋からの移行を、
仲人、歩兵列は省略して下の方の中央から右辺だけ書くと、
以下のようになる。(右鳳凰、左麒麟は、以下では「麟鳳」
と略記する事にする。猛虎は進化初期に盲虎と名称と動き
が変更となる。)
スタート時点の普通唱導集大将棋(本ブログ型)
奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛車
酔象、麟鳳、猛虎、猛牛、嗔猪、飛龍、反車
玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、桂馬、香車

15升目へ移行させる、飛龍列作成による配置転換>
奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛龍、飛車
酔象、麟鳳、盲虎、口口、嗔猪、口口、猛牛、反車
玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、石将、桂馬、香車

悪狼を除く、猛豹と猫叉の導入
奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛龍、飛車
酔象、麟鳳、盲虎、猛豹、嗔猪、猫叉、猛牛、反車
玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、石将、桂馬、香車

ここから始めて5段自陣配列化が起こったと、少なくとも
本ブログでは考える。すなわち、5段化は、互い違いに空
の升目を入れ、盲虎だけ、中央に寄せ、ついで悪狼を入れ
ると形式的に完成する。

自陣5段配列への膨張
奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛龍、飛車
口口、麟鳳、口口、口口、嗔猪、口口、猛牛、反車
酔象、口口、盲虎、猛豹、口口、猫叉、口口、反車
玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、石将、桂馬、香車

盲虎を中央に寄せる
奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛龍、飛車
口口、麟鳳、口口、口口、嗔猪、口口、猛牛、反車
酔象、盲虎、口口、猛豹、口口、猫叉、口口、反車
玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、石将、桂馬、香車

 この段階から、更に中将棋に合わせて、後期大将棋でも
中央に、元から有る獅子を入れ、麒麟/鳳凰の隣に、悪狼
を加えると、後期大将棋の配列になるというわけである。

後期大将棋
奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛龍、飛車
獅子、麟鳳、悪狼、口口、嗔猪、口口、猛牛、反車
酔象、盲虎、口口、猛豹、口口、猫叉、口口、反車
玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、石将、桂馬、香車

ただし、今までは、表題のように猛豹、悪狼、猫叉のうち
で、最初の2種類が、猛豹、猫叉、最後が悪狼としたのは、
単にそうした例を示しただけで、

根拠は無かった

のである。
 今回は、神奈川県鎌倉市御成の、
今小路西鎌倉市福祉センター遺跡中将棋木札の存在という
新たな情報の発生を受けて、

猛豹、悪狼、猫叉のうちの、最後はどれなのかを推定して
みる。

回答はずばり、

猫叉が最後

とみられる。根拠は、この木札を読むと、

猛豹は存在するが、中将棋では初期位置を、鉄将の前升目
から、後ろに一歩引くと書いてあるが、盲虎は推定猫叉の
動きから、現中将棋の盲虎の動きに代えなければならない

との意が書いてあるとみられるからである。猛豹は少し前
から有って、位置変えが必要、猛虎は、これから猫叉の動
きは止めにして、その結果、猫叉が作られると、木札を読
むと、そう自然に解釈できるわけである。つまり、猛豹は、
悪党から悪狼が作成された結果、猛将から連想された結果、
作る事の出来た、木札より少し前の作だが、

猫叉は、もともと洒落で作った駒でなく、妖怪として悪狼
の類である事を利用して、後期大将棋が5段化するときに、
盲虎が、寄ると1種類、駒種類が足らないのを補充するた
めに、猛虎の斜め四升目歩みから、前を除く7方向歩みに
変える事によって作られ導入出来た旧猛虎と同じ動きの駒

とみなせるからである。ようするに、猛豹と悪狼は、
今小路西鎌倉市福祉センター遺跡中将棋木札が作成された
よりも10~20年前の発明だが、猫叉は、この木札が作
られた頃か、あるいは木札よりせいぜい、2~3年前の作
というレベルであると、言う意味である。
 ちなみにそうすると、盲虎が自陣5段目化してから中央
に寄ったときに、配列は、以下のようだったと見られる。

猫叉が無い状態で、盲虎を中央に寄せる
奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛龍、飛車
口口、麟鳳、口口、口口、悪狼、口口、猛牛、反車
酔象、盲虎、口口、猛豹、口口、嗔猪、口口、反車
玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、石将、桂馬、香車

実は、獅子が次に入るとして、だいぶん前に本ブログで
指摘したが、

悪狼から猫叉が連想で生まれると同時に、悪党という言葉
が、平安大将棋時代の、中央にあった横行と類似語である
事が利用されて、悪狼は中央に2歩寄るような移動をした
のではないか

と考えられる。つまり、次のようになったのだろう。

後期大将棋の一歩手前
奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛龍、飛車
獅子、麟鳳、悪狼、口口、猫叉、口口、猛牛、反車
酔象、盲虎、口口、猛豹、口口、嗔猪、口口、反車
玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、石将、桂馬、香車

なお後期大将棋で、猫叉と嗔猪は、獣の列位から言うと、
元々の妖怪の力としては同格だが、猫のイメージからより
下位とみなされ、袖に寄せられる要素が有った。そして、
これも、本ブログで既に指摘したが、

相手の右角行の筋が猛牛に当たるので、後期大将棋では、
猛虎動きの駒が、猛牛の斜め下に居る方が、縦横歩みの
嗔猪が居るより、都合が良かった。

 そこで最終段階で、

猫叉と嗔猪は、前に本ブログで述べたように、位置がひっ
くり返された

のであろう。

後期大将棋
奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛龍、飛車
獅子、麟鳳、悪狼、口口、嗔猪、口口、猛牛、反車
酔象、盲虎、口口、猛豹、口口、猫叉、口口、反車
玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、石将、桂馬、香車

このように考えると

猫叉が、後期大将棋の袖小駒の中では最も新しい駒

と考えて矛盾はない。以上のように結論できると、私は考
えるようになったのである。(2019/02/02)

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猫叉が普通唱導集の大将棋には無いと見られる理由のまとめ(長さん)

本ブログでは、悪狼は鎌倉末期の悪党の洒落で1300年頃
成立の普通唱導集の大将棋の駒には無く、猫叉は明月記の
記載から、同類妖怪として鎌倉末に発生した駒と見ている。
 結論から書いてしまうと、
1)猫叉は明月記の記載から、悪狼の狼と同類妖怪。つまり
犬の大きさで、夜間暗くて人間の視力が落ちるのを利用して、
人を襲う送り狼か山犬類似の妖怪として鎌倉末に発生したた
め、普通唱導集の大将棋に含まれているとは考えられない。
以上の点の他、
2)神奈川県鎌倉市御成町の今小路西鎌倉市福祉センター
遺跡出土の、中将棋木札(よみがえる中世3 武士の都鎌倉
221ページ下写真としてのみ、現存。実物紛失)に、
”まう虎は近くへ行くが、上わゆけぬ”との旨書いてある所
から見て、鎌倉末期の直前まで、盲虎が、二中歴の大将棋の
猛虎の、斜め隣接升目動きだったため、

動きが重複してしまう猫叉は、
西暦1300年の普通唱導集の成立時には無かったと
推定される

という2番目の指摘を、これまでの所本ブログでは、書き落
としていると考えられた。
 以上が、結論としてのまとめであるが、それでは以下に、
詳しく説明を加える。
 今小路西鎌倉市福祉センター遺跡出土の、中将棋木札を作
成したと推定される、
神奈川県鎌倉市御成町の今小路西御成小学校遺跡に、
鎌倉時代末期または、南北朝時代に存在したと見られ、碁石
や、”いかさまサイコロ”の出土でも知られたゲームセンター
の管理人は今小路西鎌倉市福祉センター遺跡出土中将棋木札
を作成する時点で、

それまでの猛虎の動きは、二中歴の猛虎の斜め隣接升目歩み

と認識されていたと見るのが、最も自然である。
 つまり、普通唱導集大将棋が仮に、後期大将棋と同じもの
であるとすると、後期大将棋の2段目の初期配列は、

反車口口猫叉口口猛豹口口盲虎酔象盲虎口口猛豹口口猫叉口口反車

であるから、盲虎または猛虎が、駒の動かし方ルールに於い
て、猫叉と重複してしまう。
 だから、
”まう虎は近くへ行くが、上わゆけぬ”と書いたときに、そ
れまでの”まう虎”が、二中歴の猛虎の動きと認識されてい
たとすると、

猫叉が入った後期大将棋を、西暦1300年の良季編書の
普通唱導集の大将棋として唄うのは、そもそもおかしい。

それに加えて後期大将棋の盲虎が、中将棋の盲虎以外の動き
だったという証拠も、少なくとも現時点では見つかって無い。
つまり、神奈川県鎌倉市御成町の今小路西御成小学校遺跡で、
鎌倉時代末期または、南北朝時代に存在したと見られる、
ゲームセンターで、中将棋木簡が書かれた時点より、少し前
に、盲虎の動きが、それまでとは違っていたという指摘は、

後期大将棋から中将棋が進化したとしたら出て起ようが無い

という事だとみられると、いう訳である。
 しかし、獅子の意味の師子の替わりに、狛犬の意味とみら
れる、白犬(志ろいぬ)を導入する、中将棋の仲間の、仲間
うちでしか通用しにくい専門用語(隠語)を使うルール記載
をした、今小路西鎌倉市福祉センター遺跡出土中将棋木札に
関して、

奔車飛龍口口口口猛虎口口横行口口猛虎口口口口飛龍奔車

と、第2段目が初期配列される、平安大将棋ないし、その系
列の大将棋が、中将棋の先代型だとすれば、

この木簡の記載と本ブログの普通唱導集大将棋とは話が合う

と言う事である。たとえば、本ブログの普通唱導集大将棋は、
二中歴記載の、平安大将棋の第2段目に概ね駒を詰め込んで、

反車飛龍嗔猪猛牛猛虎麒麟酔象鳳凰猛虎猛牛嗔猪飛龍反車

にした、平安大将棋系の将棋だから、猫叉は無く、

これなら、話が合う

のである。当然上の本ブログの普通唱導集大将棋のルールは、
二中歴の上位互換で、猛虎は、斜め升目歩みと仮定されてい
る。
 ただし神奈川県鎌倉市御成町の今小路西鎌倉市福祉センター
遺跡出土の中将棋木札には、”近くへ行くが、上わゆけぬ”
”まう虎”の、進化に関して前段階の、猛虎または盲虎が、
どのような駒の動かし方ルールであったのかまでは、明らか
にされて居無い。
 もしかすると、斜め升目歩みではなくて、和将棋の登猿や
大大将棋または、大局将棋の盲猿、大阪電気通信大学ルール
の盲熊の類の、別の動きだった可能性も、これだけでは完全
に否定は出来ない。
 今の所今小路西御成小学校遺跡ゲームセンターで鎌倉末期
または、南北朝時代にゲームを楽しんだ、駒数多数将棋の
棋士にとり、今日まで残る二中歴よりも、そのルールが正し
いと信じ込ませるような、社会に普及して、残る印象の強い
盲虎・猛虎のルールが、二中歴大将棋の記載とは別に、木札の
中将棋以前に有ったとは、一応信じられ無いと言う理由で、

”近くへ行くが、上わゆけぬ”まう虎の前は、
”四隅一目行き”のまう虎だったと、一応仮定しただけ

の話とは言える。そうだとすれば、後期大将棋が中将棋の親
では無いばかりでなく、
中将棋の親となる普通唱導集時代の大将棋には、”四隅一目
行き”としてしまうと、猛虎とルールが重複してしまう、

猫叉が無かった

と、木札の記載からも、推定できる事になると言う訳である。
 以上のような議論を結論から見ると、鎌倉市の市役所が
紛失した史料は、著しく大切な将棋ルールの木札であった。
本ブログに於いては、神奈川県鎌倉市の鎌倉市役所に、この、
今小路西鎌倉市福祉センター遺跡中将棋木札の現物が一日も
早く戻るよう、重ねて祈りたいと考える。(2019/02/01)

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