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猛豹、悪狼、猫叉。最後に大将棋に加わったのは、どれか(長さん)

本ブログでは、二中歴の大将棋の記載から、いわゆる
後期大将棋の袖の動物小駒については、まず二中歴より、
1)盲虎、飛龍が最も早く平安末期。ただし、南北朝時代
までに、猛虎を盲虎へ変更。(今小路西鎌倉市福祉センター
遺跡中将棋木札が根拠。)
 ついで、普通唱導集の大将棋の唱導唄の内容から、
2)嗔猪が導入。
 そして、鬼門の信仰から来る配列を入れるためには、
3)猛牛が必要
との論、すなわち特に3)を、何回か指摘・主張してきた。
 つまり、残りの猛豹、悪狼、猫叉という3種類の駒は、
後期大将棋に有っても、上の駒より後の、鎌倉末期から、
南北朝時代にかけて成立した後期大将棋用小駒という意味
である。これら3者と、石将が3)の時点で、大将棋には
無かったと考えると、袖の無駄小駒は減少し、大駒の全体
の割合が増加するので、

普通唱導集大将棋は、後期大将棋より優れた将棋である

という、復権するのにはたいへん都合の良い事になる。
少なくとも嗔猪を更に、大大将棋の方行と取り替えると、
現行の獅子に関する特別な規則が強力な、中将棋並の、
バランスのとれた将棋になるはずだ。
 ところで、普通唱導集大将棋から中将棋への小型化は、
嗔猪、猛牛、飛龍、桂馬を取り去り、鉄将を猛豹に変えた
後、一旦横14升目化してから、角行列を角行を下げて無
くして12升目化し、獅子を最初から居るようにして、
飛車、堅行、横行を入れ替える等すると、中将棋の形に
なったとみられる。
 ただし、中将棋が成立したのちに、3の倍数の盤升目の
将棋が、3が小将棋、4が中将棋として成立していたので、
5の15升目の後期大将棋化、すなわち大型化が、

しばらくして実質平行して行われたと、本ブログでは独自

に見る。
 飛龍と、そのときまでには、対と考えられるように変化
した猛牛の列を、本ブログの言う普通唱導集大将棋に加え
て、5将に石将の第6将目を加えれば、15列化は出来た
が、走り駒の猛烈な消耗を防ぐために、現行の5段自陣型
ではなくて、それが、押しつぶされたような形の、

4段自陣配列型の中間的大将棋を作成したと考えている。

その際、そうするには、ここで論じている袖小駒が、飛龍
と猛牛を移動させた分

2種だけ足りなかった

と考えられる。ところで、現在残る後期大将棋は、
少なくとも本ブログの推定では、普通唱導集大将棋から、
後期大将棋への移行に於いて、押しつぶされた4段配列の、
普通唱導集大将棋から、後期大将棋へ向けての中間的進化
の時点では、2種だけの小駒の追加で充分であり、

3種類の小駒、すなわち表題の、猛豹、悪狼、猫叉が、
最終5段自陣化で加わった事は確かだが、中間では1種
ダブついている。

以前本ブログでは、一例として、悪狼が無い、15升目4
段中間大将棋を指摘した。普通唱導集大将棋からの移行を、
仲人、歩兵列は省略して下の方の中央から右辺だけ書くと、
以下のようになる。(右鳳凰、左麒麟は、以下では「麟鳳」
と略記する事にする。猛虎は進化初期に盲虎と名称と動き
が変更となる。)
スタート時点の普通唱導集大将棋(本ブログ型)
奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛車
酔象、麟鳳、猛虎、猛牛、嗔猪、飛龍、反車
玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、桂馬、香車

15升目へ移行させる、飛龍列作成による配置転換>
奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛龍、飛車
酔象、麟鳳、盲虎、口口、嗔猪、口口、猛牛、反車
玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、石将、桂馬、香車

悪狼を除く、猛豹と猫叉の導入
奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛龍、飛車
酔象、麟鳳、盲虎、猛豹、嗔猪、猫叉、猛牛、反車
玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、石将、桂馬、香車

ここから始めて5段自陣配列化が起こったと、少なくとも
本ブログでは考える。すなわち、5段化は、互い違いに空
の升目を入れ、盲虎だけ、中央に寄せ、ついで悪狼を入れ
ると形式的に完成する。

自陣5段配列への膨張
奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛龍、飛車
口口、麟鳳、口口、口口、嗔猪、口口、猛牛、反車
酔象、口口、盲虎、猛豹、口口、猫叉、口口、反車
玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、石将、桂馬、香車

盲虎を中央に寄せる
奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛龍、飛車
口口、麟鳳、口口、口口、嗔猪、口口、猛牛、反車
酔象、盲虎、口口、猛豹、口口、猫叉、口口、反車
玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、石将、桂馬、香車

 この段階から、更に中将棋に合わせて、後期大将棋でも
中央に、元から有る獅子を入れ、麒麟/鳳凰の隣に、悪狼
を加えると、後期大将棋の配列になるというわけである。

後期大将棋
奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛龍、飛車
獅子、麟鳳、悪狼、口口、嗔猪、口口、猛牛、反車
酔象、盲虎、口口、猛豹、口口、猫叉、口口、反車
玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、石将、桂馬、香車

ただし、今までは、表題のように猛豹、悪狼、猫叉のうち
で、最初の2種類が、猛豹、猫叉、最後が悪狼としたのは、
単にそうした例を示しただけで、

根拠は無かった

のである。
 今回は、神奈川県鎌倉市御成の、
今小路西鎌倉市福祉センター遺跡中将棋木札の存在という
新たな情報の発生を受けて、

猛豹、悪狼、猫叉のうちの、最後はどれなのかを推定して
みる。

回答はずばり、

猫叉が最後

とみられる。根拠は、この木札を読むと、

猛豹は存在するが、中将棋では初期位置を、鉄将の前升目
から、後ろに一歩引くと書いてあるが、盲虎は推定猫叉の
動きから、現中将棋の盲虎の動きに代えなければならない

との意が書いてあるとみられるからである。猛豹は少し前
から有って、位置変えが必要、猛虎は、これから猫叉の動
きは止めにして、その結果、猫叉が作られると、木札を読
むと、そう自然に解釈できるわけである。つまり、猛豹は、
悪党から悪狼が作成された結果、猛将から連想された結果、
作る事の出来た、木札より少し前の作だが、

猫叉は、もともと洒落で作った駒でなく、妖怪として悪狼
の類である事を利用して、後期大将棋が5段化するときに、
盲虎が、寄ると1種類、駒種類が足らないのを補充するた
めに、猛虎の斜め四升目歩みから、前を除く7方向歩みに
変える事によって作られ導入出来た旧猛虎と同じ動きの駒

とみなせるからである。ようするに、猛豹と悪狼は、
今小路西鎌倉市福祉センター遺跡中将棋木札が作成された
よりも10~20年前の発明だが、猫叉は、この木札が作
られた頃か、あるいは木札よりせいぜい、2~3年前の作
というレベルであると、言う意味である。
 ちなみにそうすると、盲虎が自陣5段目化してから中央
に寄ったときに、配列は、以下のようだったと見られる。

猫叉が無い状態で、盲虎を中央に寄せる
奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛龍、飛車
口口、麟鳳、口口、口口、悪狼、口口、猛牛、反車
酔象、盲虎、口口、猛豹、口口、嗔猪、口口、反車
玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、石将、桂馬、香車

実は、獅子が次に入るとして、だいぶん前に本ブログで
指摘したが、

悪狼から猫叉が連想で生まれると同時に、悪党という言葉
が、平安大将棋時代の、中央にあった横行と類似語である
事が利用されて、悪狼は中央に2歩寄るような移動をした
のではないか

と考えられる。つまり、次のようになったのだろう。

後期大将棋の一歩手前
奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛龍、飛車
獅子、麟鳳、悪狼、口口、猫叉、口口、猛牛、反車
酔象、盲虎、口口、猛豹、口口、嗔猪、口口、反車
玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、石将、桂馬、香車

なお後期大将棋で、猫叉と嗔猪は、獣の列位から言うと、
元々の妖怪の力としては同格だが、猫のイメージからより
下位とみなされ、袖に寄せられる要素が有った。そして、
これも、本ブログで既に指摘したが、

相手の右角行の筋が猛牛に当たるので、後期大将棋では、
猛虎動きの駒が、猛牛の斜め下に居る方が、縦横歩みの
嗔猪が居るより、都合が良かった。

 そこで最終段階で、

猫叉と嗔猪は、前に本ブログで述べたように、位置がひっ
くり返された

のであろう。

後期大将棋
奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛龍、飛車
獅子、麟鳳、悪狼、口口、嗔猪、口口、猛牛、反車
酔象、盲虎、口口、猛豹、口口、猫叉、口口、反車
玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、石将、桂馬、香車

このように考えると

猫叉が、後期大将棋の袖小駒の中では最も新しい駒

と考えて矛盾はない。以上のように結論できると、私は考
えるようになったのである。(2019/02/02)

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