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信貴山縁起絵巻に平安小小将棋状模様シートの乗った机(長さん)

奈良県の生駒山中に、国宝の絵巻物を持つ、信貴山朝護孫子寺
という寺がある。その寺の宝物の信貴山縁起絵巻の、3巻ある
うちの真ん中の巻である、延喜加持の巻の最後の方に、主人公
の命蓮という坊さんの、勉強机かとも思われる、台の上に、

6×6升目の遊戯盤の一方の側に、6個の五角形の駒を置いて
いるようにも見える、

半紙か、シート状のようなものが描かれた場面があるのに、最
近私は気がついた。

信貴山縁起.gif

場面は、小学館の信貴山縁起絵巻で京都国立博物館(当時)の
泉武夫氏の解説(2004)によると、主人公の命蓮が、醍醐
天皇の病を、祈祷で治したことに対して、従者が提案している
褒美を辞退する場面だと言う事である。
 上の写真のように、横線は不明確であり、升目になっている
のかどうかについては、やや疑問が残るが、

手紙にしては奇妙な、縦線の通し模様

が、多分紙に書いてあるのである。見ようによっては、

6×6升目12枚制の遊戯具が置かれている、勉強机

のようにも見える。ただし前に本ブログで提案した、1・2段

歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵歩兵
桂馬銀将玉将金将酔象香車

という配列の、平安小小将棋は24枚制だし、上下両方に、駒
列が無ければならないが、写真の向こう側の、こちら側と同じ
なら6枚あるはずの駒の表現は、不明確である。手前の物体は、

将棋駒ではなくて、文鎮なのかもしれないが、全体の形は変だ。

 盤全体に、この模様があるとすれば、ほぼ昔の囲碁盤型の遊
戯盤だが。左の方に下地が赤い部分が、2筋分程度ある事、
第3巻、”尼公の巻”の最後の方でも、デザインが少し違うが、
類似の台が出てきて、こちらの方は、手紙が乗っている。ので、

たぶん台自体は、遊戯盤ではなくて、勉強机には間違いない

ようには思える。
 なおこの絵が成立したのは、二中歴の成立より少し前の、
12世紀半ば過ぎの頃の事だという。
 本ブログによれば、酔象を温存するために、
平安小小将棋は、西暦1120年頃から、西暦1250年頃ま
での130年間存在しなければならないから、西暦1150年
から1180年位なら、その中に入る。
 ちなみに画題の中において、この机状文具の持ち主の命蓮は、
天台密教の僧とされ、

信貴山朝護孫子寺の戒律は、当時は厳しかったとされるため、
”囲棋”の類は禁止であったはず

だ。将棋ゲームをデザインしている最中に、醍醐天皇の従者が
訪れたという設定は、その点でチグハグだが。絵師がなぜ、
普通の手紙風の紙切れを、机の上に置かなかったのだろうかと
いう疑念は、この絵巻に関しては残ると思う。(2019/02/06)

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