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大将棋。”麒麟が左で鳳凰が右は獅子の座の為”と別解発見(長さん)

前に述べたが、中将棋や大将棋では、中段中央、一筋袖寄り
で麒麟が左、鳳凰が右に配列される。本ブログでは、理由を
西暦1275年前後で、普通唱導集時代少し前の、
当時13升目自陣4段104枚制の大将棋の時代に、酔象と
両猛虎の間に、左に成りが獅子の麒麟、右に成りが奔王の
鳳凰を入れ込んだ習慣が、後期大将棋と中将棋では、継続
して生かされた為とみる。ただし大大将棋では、鳳凰に
ちなんだ宗教施設関連のゲームデザイナーの作だったためか、
本当の理由は良く判らないが、日本ではより階層が上位とさ
れる左側上手に、鳳凰が、逆に下手右に麒麟が入ったようだ。
 つまり、左側が上手だったためで、

獅子の座という言葉が、隣に配置された、釈迦が主体となる
モデルとみられる、太子に成る酔象の、添え駒として相応し
いと考えられたための、麒麟の左置き

だったという説明を、前にした。
 最近、理由がもう一つ考えられる事に、私が気がついたの
で、それも本ブログ独自の説として紹介しよう。

答えから書く。

鳳凰の居る右辺はそこからその袖に向って、猛虎、猛牛、
嗔猪、飛龍と配列され、円環していると見て、飛龍を最初に
移動すると、

飛龍、猛虎、猛牛、嗔猪、となり、左回りの方位であるから
天球の方位を示すと見て、空を飛ぶ鳥の類である鳳凰を配置

し、左辺はそれに対して、今度は袖から麒麟駒に向かって、
同じく飛龍、嗔猪、猛牛、猛虎と配列され、やはり円環して
いると見て、今度は飛龍を最後に移動すると、

嗔猪、猛牛、猛虎、飛龍、となり、右回りの方位であるから
地上の方位を示すと見て、語源は馬の仲間である麒麟を配置

した。
 以上の理由による。つまり、右辺は、地面にひっくり返っ
て、空を眺めたときの、北東中心に方位の十二支として、鼠
と兎を跳ばして、鬼門の北東の牛虎を中心に、4つの動物駒
が並んでいるので、空に因んで、空を飛ぶ鳥を持ってきてい
るのであり、それに対して左辺は、普通の立って、北東を
中心に眺めた時の方位なので、馬の仲間と見られた、地上を
走る麒麟を持ってきているという意味である。
 では以下に、だからどうなのかを中心に、解説する。
 今回述べた理由付けの、前より良い点は、成りが無くても
有っても関係ない事、および、

奔王の王より、獅子の座の方の獅子が、常に格上である事を
証明しなくても良い

事である。また、

猛虎の内側に、酔象とは別に、12神に因んだ文物を、その
配置で、左右に持って来る事の、動機が自然に説明できる。

特に後者が大切

であろう。つまり、偉人としての釈迦を表す、太子成りの
酔象が入っているから、麒麟と鳳凰を入れる動機付けは
元々有るのだが、それだけなら、左右は、どちらでも良い
はずである。だから更に、

麒麟が左で、鳳凰が右でなければならない事

が、十二支駒の配置の左向き、右向きで天・地となるために
自然に説明が出来るという点が無ければ、

陰陽道の信仰の厚い、当時の将棋棋士には、”左麒麟、
右鳳凰”は、自明な配列とは受け取られなかった

という事である。
 駒数が108枚ともなれば、そもそも将棋種に

亜流が出来る要素が、幾らでも発生

するはずである。しかし、その中で主流として生き残るため
には、日本の中世の場合には、

陰陽道と、完全に同化している事が、ほぼ絶対に必要

だったのだろう。
 逆に言うと、その将棋種が滅びるとき、元々の原因は
定跡が出来てしまうという、ゲーム性の問題
だったのかもしれない。が、その改善を困難にするような、
改善しようと、配置をいじる事による

陰陽五行説との乖離という、阻害要因が無ければ、

本当の所は、
中将棋よりも、成りが少なく、獅子に関する特別な規則の
無かった、総合的に見ると中将棋よりも、ルールのより単純
な普通唱導集大将棋については、実は”大将棋は中将棋より
も、常に複雑”という名前のイメージだけから来ると見られ
る通説は、間違いであって、

実際には絶滅は、起こらなかった事だった

のではないか。
結局、

今述べた、大将棋に関する”本ブログの絶滅原因論”。これ
が、極めて大切であるという事。

以上のことが示されているように、私には思われたのである。
(2019/02/10)

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