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獣辺の狛は、平安時代中期以前の字(長さん)

経緯は不明であるが、日本将棋連盟関西本部の水無瀬の間
に”狛犬の駒”が飾ってあり、狛犬の狛が、獣辺になって
いるのは、最近のwebの、プロ棋士の藤井聡太氏の画像
等でなじみがある。ところで、
今小路西鎌倉市福祉センター遺跡中将棋木札には、狛犬を
指すと見られる”志ろいぬ”の文字が見え、獅子の獅の字
を師と変えて書く事に、対応付けた下世話言葉と考えられ
ている。従って、この木札が作成された時点で、

狛犬の狛は、獣辺ではなくて犬辺が使われる事が多かった

はずである。

日本将棋連盟関西本部の水無瀬の間の狛犬の字は、将棋が
伝来して居なかった、10世紀以前の字を、取り越し苦労
で使ってしまったもの

とも予想される。ただし、そう考える事ができるのは、

犬辺の狛犬の狛の字が、かなり前から使われていたとの
証拠がある場合だけ

だ。一応これまでの本ブログの認識では、旧字体の旧は、
将棋史の感覚から見ると、飛鳥時代頃のより古い時代の事
を指すのではないかと、疑われると言うわけであった。
そこで今回は、証拠の一例として、12世紀に成立した、
色葉字類抄の2巻物バージョンで、狛犬の狛の字の字体を
念のためチェックしてみた。
 国会図書館の電子書籍に、色葉字類抄の2巻物バージョ
ンがあるので、web上でチェックができ、以下のような
字が”こ”の”動物”類の字の所で見つかった。

色葉字類狛.gif

 確かに、平安時代末までには、狛犬の狛は獣辺は使われ
なくなり、犬辺の現在の字体に近いものも、使われるよう
になっていた

ようだ。今小路西鎌倉市福祉センター遺跡中将棋木札が、
少なくとも、14世紀の鎌倉時代末以降のものであれば、
駒名の狛犬が、将棋のゲーマーの間で、通称で”志ろいぬ”
と呼ばれるようになっていても、一応矛盾は、無さそうだっ
た。(2019/02/25)

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