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囲碁盤兼用の18×18升目の将棋。なぜ作られなかった(長さん)

本ブログで再三述べたが、摩訶大大将棋は少なくとも通説
では、囲碁の路数とおなじ数の、盤升目19×19、
361升目を使用する将棋である。361という数字が、
囲碁の場合も、一年の日数と関連が有ると、少なくとも日
本の中世には考えられており、将棋も、それに習ったもの
である事は、虎関師錬の異制庭訓往来や、水無瀬兼成の、
将棋纂図部類抄から明らかである。これは

ようするに、囲碁盤と、将棋を関連づけたものとみられる。
が、361にこだわらず、18×18=324で我慢して、
升目と見立てて、その中に特注小ぶり将棋駒を並べ、物を
大切にするはずの昔の人が、囲碁の道具を将棋に兼用しな
かったのは何故

なのか。以上を、今回の論題にする。
 回答を最初に書いて、後で説明を加える。

囲碁盤の9つの聖目に、昔の人は大いにこだわっていた。
聖目の下の段に、歩兵列を作り、自陣がそこまでになると
いう発想に固執した。そのため、18升目で自陣が3段の
将棋を、作るわけにも行かなかったから、18升目の将棋
は、ほとんど作った痕跡が残らなかった

と考えられる。
 では、以下に説明を加える。
 そもそも、18×18升目の将棋が作れるのかと言えば、

作れる。

19×19升目の摩訶大大将棋と、17×17升目の、
プロト摩訶大大将棋については、本ブログで紹介済みであ
る。
 奇数升目から、偶数升目への拡張を、中将棋を参考にす
るとして、前に紹介した17×17升目の、
プロト摩訶大大将棋から18×18升目の将棋を作ると、
一例では、奮迅、夜叉、羅刹を1枚ずつ敵味方に加えて、
168枚制を174枚制にするとすれば、以下のようにな
るだろう。
 2分割したのでやや見辛いが、下の配列で、前半が先手
から見て、左袖から中央の列、後半が、中央列から右袖を
示している。コピーして、エクセルで読み込み、左右を
繋げれば判るだろう。なお、偶数升目将棋なため、下図で、
上と下のパーツは、同じ数の駒が並ぶ。

香車,土将,石将,瓦将,鉄将,銅将,銀将,金将,酔象
反車,猫叉,口口,古猿,口口,猛豹,口口,盲虎,鳳凰
驢馬,口口,嗔猪,口口,臥龍,口口,悪狼,口口,金剛
口口,桂馬,口口,猛牛,口口,飛龍,口口,夜叉,狛犬
飛車,右車,横行,横飛,堅行,角行,龍馬,龍王,奔王
歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵
口口,口口,口口,口口,口口,仲人,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,仲人,口口,口口,口口
歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵
飛車,左車,横行,横飛,堅行,角行,龍馬,龍王,奮迅
口口,桂馬,口口,猛牛,口口,飛龍,口口,羅刹,獅子
驢馬,口口,嗔猪,口口,蟠蛇,口口,悪狼,口口,力士
反車,猫叉,口口,淮鶏,口口,猛豹,口口,盲虎,麒麟
香車,土将,石将,瓦将,鉄将,銅将,銀将,金将,玉将

玉将,金将,銀将,銅将,鉄将,瓦将,石将,土将,香車
麒麟,盲虎,口口,猛豹,口口,淮鶏,口口,猫叉,反車
力士,口口,悪狼,口口,蟠蛇,口口,嗔猪,口口,驢馬
獅子,羅刹,口口,飛龍,口口,猛牛,口口,桂馬,口口
奮迅,龍王,龍馬,角行,堅行,横飛,横行,左車,飛車
歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵
口口,口口,口口,仲人,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口,口口
口口,口口,口口,仲人,口口,口口,口口,口口,口口
歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵,歩兵
奔王,龍王,龍馬,角行,堅行,横飛,横行,右車,飛車
狛犬,夜叉,口口,飛龍,口口,猛牛,口口,桂馬,口口
金剛,口口,悪狼,口口,臥龍,口口,嗔猪,口口,驢馬
鳳凰,盲虎,口口,猛豹,口口,古猿,口口,猫叉,反車
酔象,金将,銀将,銅将,鉄将,瓦将,石将,土将,香車

では、なぜ駒木地を小さく調整して、囲碁盤で上の将棋を
やらなかったのかと言えば、聖目が3段目と4段目の間に
有って、歩兵列と仲人列の間の所には来ないからだ。

将棋盤で、相手の側の聖目を跨ぐと、相手陣だ

という観念が、今と同様、昔の人にも有ったと想像される。

そう考えないと、18×18升目の将棋が、日本で作られ
た形跡が、ほぼ無いのが全く説明でない。

古いので単に記録が残らない可能性が、無いとは断言はで
きないが。
 高槻城三の丸遺跡から、江戸時代のものと見られる、

囲碁盤用に、将棋駒の大きさを調整したのではないかと
疑われる中将棋の駒が、多数出土しているので、”記録は
失われただけであり、痕跡が無くてもおかしくはない”
という考えは、若干分が悪い

ように、私には思える。
 前に述べたが、高槻城三の丸遺跡中将棋駒は、

周辺の3段3列を使わず、外側の聖目内を、中将棋の12×
12升目盤と見なして、囲碁盤で中将棋を指した

のだと、本ブログでは解釈している。
 18升目の将棋も、作ればよさそうな物だが、作らなかっ
たのは、

聖目が、陣の内外と紛らわしく、そこが大いに問題と、中世・
近世の将棋指しには考えられ、逆にそれまでして、囲碁盤に
こだわるほど、将棋盤には困っていなかったため、結局、
18升目将棋ゲーム、そのものが作られなかった

のだろうと、私は思う。
 材木は、もともと大振りなので、

将棋盤は将棋駒より作りやすい。

 将棋の道具は、小から大ではなくて、大から小であろう。
だから、将棋駒を多数作る方が、19升目の特注将棋盤を用
意するよりは、よっぽど骨が折れるのであり、聖目がズレて
いるのを我慢してまで、囲碁盤を活用しようとは、物が貴重
だった昔でも、しなかったのであろう。
 逆に言えば、

囲碁盤の現行の9星の聖目の位置は、平安末期も同様だった

という証拠の一つになると思う。
 また、将棋史にとっては、

”大大将棋と摩訶大大将棋に、敵陣、味方陣が無い”と言う
のは、江戸時代からの習慣であって、たとえば室町時代まで
は、摩訶大大将棋にも、”自陣”という概念が、かつては有っ
たらしい

という事を、薄く示唆している点で、ゲーム・ルール史を
解明する上で、重要なように思える。
 高槻城三の丸遺跡から、小ぶりの中将棋駒が、過去発掘さ
れた事は、小ぶりと言う点が、これまで大きく取り上げられ
たような気配が、私には感じられないが、

それ自身の中に重要な知見を含んだものだった

と結論できると思う。中世考古学は、文書学に隠れて、他の
歴史分野では注目度が、昔は低かったと聞いている。が、今
では、少なくとも将棋史では、史料としては明らかに花形だ。
今後更に、遺物がたくさん出土するよう、本ブログとしても、
心より祈りたいものである。(2019/03/02)

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