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囲碁盤の聖目。現在と同じ9星で古い史料(長さん)

前に、将棋を18×18升目で、囲碁盤を兼用して行わな
かった理由として、聖目のパターンが自陣3段の場合しか、
使えないという点を指摘した。その際、平安末期から、今
の囲碁盤の9星の聖目(星)パターンになったのだろうと
述べたが、今回は裏づけとなる史料を挙げる事にする。

源氏物語絵巻に出てくる囲碁盤は今の聖目パターンである

可能性が強い。それ以前については、証拠を挙げるのは、
けっこうしんどいと思われる。
 では、以上の結論について、以下に説明を加える。
 囲碁盤の古いものとしては、正倉院の宝持の囲碁盤が
有名だが、

聖目が今のパータンと違い、17目有る。

周囲の9星の間に、それぞれ一つずつ星が有って、四方で
8星増えて、17星になるのである。ただし、その場合も、

将棋盤として使うと、18升目制の自陣3段将棋に適する

事には変わりがないので、一応議論に影響はない。
 囲碁盤の星が9つではないかと思われる史料で、比較的
古いのは、12Cの前半に成立したと言われる、

徳川美術館所蔵の源氏物語絵巻に出てくる逆L脚の囲碁盤

である。

源氏物語.gif

上の図で、黒番右袖下の星が元来あるはずの部分には、既
に石が置いて有るように見え、隠れているが、その手前方
の中央列の、赤い矢印で示した、黒丸は、石よりも大きさ
が小さいので、私には聖目が書いてあるように見える。
 この絵では、
その他の聖目は、人物の体や袖などで、隠れているはずだ。
だから、

12Cに成立した、源氏物語絵巻の碁盤の聖目パターンは
現在とたぶん、同じだろう

と、私には思える。
 ちなみに、絵画では、聖目や碁石は、省略されるものも
多いので、判定は厳密には難しいだろう。
 例えば下の例は、16世紀後半の、厩図と同じか少し後
の、狩野派の画家による襖絵である。聚光院方丈壁画と呼
ばれ、その絵の中に囲碁盤がある。この囲碁盤には、前に
紹介した厩図の囲碁盤と同じで、碁石・聖目は正しく書か
れて居無いようである。

聚光院方丈壁画.gif

 なお縦横の線についても言うと、路の数は、列が19で
正しいが、恐らく体裁を整えるため、

厩図と聚光院方丈壁画の囲碁盤は、段が24~5路程度
で、実物より、ほぼ同じパターンで線が多い。

厩図と聚光院方丈壁画とで、どちらが早いのか、正確には
私は知らないが、

狩野派同士で、囲碁盤の筋のフォームを合わせているのは
明らかだ。

 なお、聚光院方丈壁画は中国人が囲碁を打っている絵。
厩図は、日本人が囲碁を打っている絵である。そのため、

聚光院方丈壁画の囲碁盤には足が無く、欄干の間から見え
るように、別の大きな床脚の有る台座に、碁盤が乗ってい
る形になっているようである。

 恐らく、少なくとも狩野派の絵師には戦国時代、碁盤の
足のパターンが、中国と日本とで違うと共通認識

されていたのであろう。
 聚光院方丈壁画の囲碁盤と厩図の囲碁盤とを比較すると、

蓮座形の木の囲碁盤脚が、どうやら国内起源であるらしい

という事も、少し見えてくるようだ。(2019/03/05)

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