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高見友幸氏の16段19筋摩訶大将棋は升置きで良い(長さん)

京都の条理図が将棋盤になっており、駒は路置きで
表題のように、筋は19だが、段は19ではなくて、
16段の摩訶大(大)将棋の説が、直近の高見友幸
研究室の摩訶大将棋のブログに出ている。交点置き
の証明として、諸将棋図式の文字による記載を、根
拠としているらしい。今回は、

京都の条理図を将棋盤にした19×16、192枚
制、摩訶大(大)将棋駒将棋は升目置きとしてよい

という内容を、以下に示す。根拠を答えから書いて、
仔細はその後で述べる。理由は、以下の通り。
 京都の条理図は東西が33路、南北が39路に設
計されていて、東西が17路、南北が今は20路等
には、高見友幸氏の言うように、設計されていない。
升目の方を採用すると、東西が16升目で、南北が
19升目になっておらず、東西が32升目、南北が
38升目になっているという意味である。つまり、
設計された、19×16型の摩訶大将棋または、
摩訶大大将棋で、4升目で将棋盤1升目分に、京都
の条理は、なっている。だから+印の小路の中央に、
駒を置けば、路を飛び飛びに1つ置きに書いて、
将棋盤にしたのだと考えれば、駒は路の交差点に
置かれているのだが、

路の、飛び飛び省略型将棋盤を通常は使用するので、
+型の路地が見え無くなり、表現上は升目置き

となる。そして京都の条理は、飛び飛び将棋盤とし
ては、南北が19升、東西が朱雀大路を挟んで、
対称であって16升だが、横倒しにすれば、
19×16升の192枚の摩訶大(大)将棋型に、
一応なっている。従って、

日本の六将棋が交点置きだった事を、そのために証
明する努力をする分、このゲームの説明に関しては、
ほぼ無駄だった

ように私には思える。”昔は何処かの路が無かった
という説がある”と聞いているが、それについては、
その代わりに、何か別の路が有ったが、昔の記録の
再現は、元々困難だから、

プラスマイナス0になるように、京都の東西路の
路数カウントで、路を別のところで落としているの
かもしれないと、一度疑ってみてはどうか

と私は思う。
 では、以下少し説明を補足する。
 京都の条理図は各種教科書、日本史辞典等に載っ
ており、内大離が、19×16置き摩訶大大将棋で
言うと、右辺に来る側で言って、端筋から5筋まで
の4路または5升、7段目から10段目までの4段
または3路を切り取っていて、升目で言うと、5×
4の駒置き場所不明の点を、作っている構造になっ
ていると認識する。また第15筋の6段目と11段
目に、”東西の市場”が有って、そこも一部、升目
の潰れた所があるようだ。
 その他は南北19升、東西16升の将棋盤の升目
を書いてから、

各筋のちょうど真ん中に、”口口小路”を1筋づつ、
細かく入れた形

になっているのではないのだろうか。(下図)

京都条理図.gif

つまり、高見研究室の摩訶大将棋では、実際の京都
条理図を実質、路の形

田の字1つで、1目と見ている

と、私は考える。
 そもそも、摩訶大将棋のブログを見る限り、大内
離や、東市、西市の、小路の無い所にも、将棋盤に
するために、

同じ間隔で、無い所には路を適宜補っている

ようにしか、私には高見システムが見えない。
 それなら、その将棋盤は、
 横筋38升、段32段の升目になるように、横に
39線、縦に33線引いてから、端枠を含めて、

1つ置きに、太線に変え、太線・細線と交互に並ぶ
ようにして、駒は”細線(小路)”の交点置きをルー
ルにしておいて、太線枠内の十字細線が田の字に入っ
た各升目についての、升目置きゲームにしたのと、
いっしょ

だ。
 そもそも、こんな事を私が言うのは、

京都の条理図で、南北中央大通りの朱雀大路が、平
行に2本書いてある京都条理図が、見当たらない

からだ。
段は16段だと聞いているので本当に交点置きなら、
朱雀大路は、互いに接する形で2本走って居なくて
は、横倒しにした時に、段が16段に例示される、
段数”偶数路の交点置き将棋”にはならない。
 朱雀大路は平安時代に、昇りと下りで2車線で、
更には真ん中に、他の将棋の升の構造との対応上、
中央に小路が、もう一本あったという話が有ると言
うのなら、私も上のように見るのを考え直すのだが。
 このままでは、京都の条理図を基に作った将棋は、
20×17路とか、19×17路であって、

段が例えば16という、偶数段の将棋のモデルには、
かなり、なりにくいのではないか

と私は疑う。
 つまり、考えてみると、1目分の升目がこのケー
スは”田”なので、最初から、あまり困っていなかっ
たのに、

交点置きという事にしたために、
横筋の数は、確かに18を19に増やして、合わせ
たらしいのだが、今度は段が、16から17へ、
1つ増えて狂ってしまい、何にもならなかった

と言う事に、なるのではないのか。
 結局そうすると、19×16区画の将棋のモデル
が京都条理図が元だったという事を、ここでは、そ
れについては疑わない事にすると、摩訶大将棋また
は、摩訶大大将棋の駒の置き型は、ゲーム上は升目
置きであり、中世の駒数多数将棋のうちの六将棋は、
全て升目置きで有って良い。そのため京都の条理の
家屋の中に、駒がある事になってしまうという、
条理モデル将棋に、いっけんすると発生しそうな矛
盾は、将棋盤を作るとき、小路を1つ置きに省略し
て、見やすくしたために、本来なら

駒が小路の交点に置かれているのに、そのようには
表現されないため、単にそう見えてしまっていると
いうだけ

という事に、なっているのではないか。以上のよう
に、高見友幸研究室の、交点駒置き将棋を主張する、
最近のページに関しては、本ブログでは評する。
 ようするに升目を数えると、段19の東西8づつ
に1ユニットが、田の字に区切れる京都の条理図を、
複数の文献で見るにつけて、私はだんだんと以上の
ように、”日本の将棋は本来、駒交点置きだった”
という説を、疑って掛かるように、なってしまって
いるという事である。(2019/03/21)

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