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色葉字類抄は聖徳太子も読んだのか(長さん)

尊経閣文庫蔵二巻物色葉字類抄(西暦1565年雪竹老人
編)の第1冊/4冊末尾近くの、雪竹老人による後書きに
よれば、”色葉字類抄の書形式は、6世紀の聖徳太子の
サトシに源(みなもと)を、発するものであり、

聖徳太子の読み物である”

と言う。所で色葉字類抄の尊経閣文庫蔵二巻物色葉字類抄
には、

”き”の所と”と”の所を合わせると中将棋の記載がある。

従って、通説の色葉字類抄の成立年、西暦1144年~
1164年が

間違い

であって、6世紀に有り、色葉字類抄は、聖徳太子の読み
物だったとしたら、

中将棋の成立は、6世紀

という事になる。
 今回は、この”奇説”は、どのように否定されるのかを、
論題とする。
 答えを最初に書く。
雪竹老人は尊経閣文庫蔵二巻物色葉字類抄(西暦1565
年雪竹老人編)の第1冊/4冊末尾近くの、雪竹老人によ
る後書きの直ぐ後で、それより、多少小さい字では、ある
ものの、

橘先生が色葉字類抄を作成したのは、西暦1144年から
西暦1164年頃の事であると、自分で書いている。

では、以上について以下補足する。
 今回の論題は、頭の体操的なものである。webの情報
だけ頭に入れて進むと、それを否定するような論者が出て
きた時に、

はてなと、なってしまう

例の一つだと思う。そこで、web等に記載された、論壇
が論じている内容は、根拠を常に考えながら読む癖をつけ
たいものだという、これは教訓の一例とみられる。
雪竹老人は、なぜか前書きではなくて、しかも書の途中の、
第1分冊/4冊の後の方の、自分が書いた、”後書き”
だけで述べているのだが、ようするに書の宣伝のため、

聖徳太子も色葉字類抄は読んだんだぞ!

と、大きく出ているようだ。この後書きは写書者、推薦人
計4名の、後書き・推薦書き記載の中では、最も面白い。

書の末備ではなくて、目立たない途中なのが残念だ。

 しかしこの本では、実際には、尊経閣文庫蔵二巻物
色葉字類抄(西暦1565年雪竹老人編)の、第1分冊/
4冊の雪竹老人の後書きの、次のページに、

成立経過が、雪竹老人自身の手によって、A氏、B氏、
雪竹老人と写書された年号を示す事によって、詳しく述べ
られている、おおいに親切な本

である。
 しかも、相互の相対的経過年数を、西暦のない時代は、
計算が、さぞめんどうだったのではないかと私は思うが、
雪竹老人は、それも書いている。よほど暦の、好きだった
方なのであろう。
 そのおかげで、

中将棋が聖徳太子の時代に有ったという、奇説が有っても、
概ね否定できる状況になっている。

 ちなみに尊経閣文庫蔵二巻物色葉字類抄(西暦1565
年雪竹老人編)の本文中で、恐らく雪竹老人自体の作だろ
うと、本ブログでは独自に見るが、銀将の方は只の”金”
と書いた上で、

香車に金今の”今”を付けてくれたおかげで西暦1500
年以降の加筆。銅将の裏横行で、”裏”と書いてくれたお
かげで、作成者が、大将基馬名と小将碁馬名と同一である
事が判る

という、とても親切な書き方に、

奇跡的に

なっていると、私には感じられる。
 以上の事から、戦国時代の寺院に関係し、公家出身の方
だと疑われる、尊経閣文庫蔵二巻物色葉字類抄の編者の

雪竹老人とは、ずいぶん歴史研究者にとってフレンドリー
な方である

との心象を、私は個人的には持つのである。(2019/04/08)

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