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色葉字類抄2巻物尊経閣文庫”牧”は鎌倉時代以降著作(長さん)

前に本ブログに於いて、尊経閣善本影印集成19、
八木書店西暦2000年復刻、色葉字類抄ニ(二巻本)
前田育徳会尊経閣文庫編の上/下冊(2冊目)の末備、
西暦1423年写書者の後書と書誌書きの間に挟まっ
た、”牧(甲斐・武蔵・信濃・上野)”記載部分の
成立年に関し、将棋史とは離れるのではあるが、

西暦1423年成立との説を、独自に提示

した。それに対してその後最近、大阪電気通信大学の

高見友幸氏により、平安時代末の成立

との旨の対立説が出された。”

延喜式が西暦900年前後に成立し、記載内容がそれ”

だというのが、根拠と私は認識している。そこで今回
は、以下に更にその

反論を書く

事にする。
 結論としては、

内容を仔細に見ると、平安時代の成立の文書にしては
矛盾する所がある

という点、室町時代足利義持~持氏対立の時代程度に
成立と考えたほうが、むしろ、つじつまが合うという
内容を以下に書く。
 結論となる根拠から最初に書く。
延喜式巻48の左右馬寮式御牧の内容に加えて、
武蔵牧に関して、それぞれは実在はしたが
”⑤小野牧、⑥秩父牧”が末備に加わっているが、

両方同時に書くのは、不自然な書き方だから

である。つまり、勅旨牧に西暦930年代に後追加さ
れた2つの牧は、”⑤小野牧、⑥’阿久原牧”等と、
本来なら記載されるべきである。

だから平安時代の文書としてはニセであり、鎌倉時代
以降成立したコンテンツである

と、本ブログでは結論する。
 では、以下に説明を加える。
 そもそも色葉字類抄2/4冊奥書途中に於いて、
こんな、おかしい書き方をする動機が、

私にはミエミエのように感じる

ので、それからとっとと書いてしまおう。
 コンテンツの作者は、武蔵武士の横山党、猪俣党、
秩父氏、江戸氏の歴史に興味が有ったので、鎌倉時代
以降に、既存の御牧に、小野牧と秩父牧という名称で、
西暦933年前後に、追加された牧名を、

加筆

したとみられる。さて、もう少し詳しく述べる。
 この既存の武蔵国の、西暦900年前後に成立し記
載された、延喜式巻48の左右馬寮式御牧
(西暦905年頃)の4つの牧に、”小野牧、秩父牧”
という組合せで、それぞれは実在の牧を名称として
加えると、論理的に、何がおかしいのかと言えば、

小野牧にも秩父牧にも入る、埼玉県児玉郡の個別牧場
が生じてしまう

からである。秩父牧が古代、漠然と大きな領域に広が
る御牧を指す言葉だったために、埼玉県児玉郡の特定
の個別牧場が、

両方に入ってしまう。

だから、平安時代に成立した官製の文書である延喜式
巻48の左右馬寮式御牧に、2つを加筆するにしても、

元文書が、朝廷の官僚作の正式文書では無い

と、ほぼ断定できると考えられる。
 こんないいかげんで、あいまいな文書を、わざわざ
書かなくても、web上の適当なページに有るように、
西暦930年代に追加した、武蔵国の2つ牧は、秩父
牧という、実在する日本語であっても、範囲が曖昧な
言葉は使わず、牧場や牧場郡を、より正確に特定でき
る、固有地名名をつけた牧名を使えば良いと、考えら
れるからである。
 しかし御牧が、正確にどれとどれを指すのではなく
て、牧に起因する歴史に興味がある人物が、延喜式巻
48の左右馬寮式御牧のリストに、武蔵国の2つの、
”追加牧”を、”小野牧、秩父牧”として加えたとす
れば、

どうして、このような書き方をしてしまったのかは、
ほぼ自明

だと、少なくとも本ブログの管理人は思う。
 このコンテンツの作成は、武蔵武士が、鎌倉幕府を
成立させる上で、功績があったと言う史実が、著名に
なった

鎌倉時代以降

に武蔵武士の、横山党、猪俣党は、小野牧の牧場の
管理者として、中央から帰任した人物の子孫。
武蔵武士として中世を通じて著名で、江戸時代の江戸
の元になった、江戸氏、秩父氏は、秩父牧の牧場の管
理者として、中央から帰任した人物の子孫、
という事柄に関して、関心があった等の人物が、個人
で作成したものと、考えれば良いからである。
つまり”牧(甲斐・武蔵・信濃・上野)”記載部分で、
延喜式巻48の左右馬寮式御牧の記載(西暦905年
頃成立)に、小野牧、秩父牧を、この単語の組合せで
加えて、八木書店西暦2000年復刻、色葉字類抄ニ
(二巻本)前田育徳会尊経閣文庫編の上/下冊(2冊
目)の末備、西暦1423年写書者の後書と書誌書き
の間に挟まった、”牧”を完成させたのは、

鎌倉時代の、個人の特定歴史領域への興味が原因

と考えればよいという事である、すなわち、以上のよ
うに仮定すると、小野牧、秩父牧と追加の武蔵国御牧
2つを書いてしまうと、

どちらにもだぶって所属してしまう個別牧場があると
いう点でおかしな書き方だが、それを敢えてしている

訳が、簡単に説明できるという事だからである。
 よって、色葉字類抄ニ(二巻本)前田育徳会尊経閣
文庫編の上/下冊(2冊目)の末備、西暦1423年
写書者の後書と書誌書きの間に挟まった、”牧”は、

平安時代に成立したとは、私には考えられない。

西暦1423年の写書者が武蔵武士、横山党、猪俣党、
江戸氏、秩父氏に興味が有って、彼自身が作成したか、
鎌倉時代に、武蔵武士に興味があり、御牧のリストと
して元からある、延喜式巻48の左右馬寮式御牧(西
暦905年頃)に、自分が興味を持つ、小野と秩父と
いう単語に引きづられて、その2語を使って、

曖昧に、追加の武蔵の御牧、2つを表現してしまった

文書を、更に1423年に転写したかの、どちらかだ
と、私は思う。
 従って、
少なくとも本ブログの”牧(甲斐・武蔵・信濃・上野)”
記載部分の西暦1423年成立年説の批判として、

高見友幸氏の批判の根拠は、磐石な物とは言いがたい。

これだけは事実と、本ブログは考えるのである。
(2019/04/18)

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