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鯨鯢の意味は日葡辞書成立の時代にも”一頭のくじら”(長さん)

前に述べたように、鯨鯢は、室町時代~戦国期に、鯨に、
雄鯨の意味が、後付加された可能性が強い。今回は、し
かしながら、日葡辞書の”鯨鯢”の項目を見る限り、①
”一頭のくじら”の意味が、安土桃山時代末までは残っ
ていたと見られる事を、示した上で、ここでは以下のよ
うに結論を導く予定である。すなわち、

②伊呂波字類抄、塵袋、日葡辞書等の中世の字典は、
日本将棋の歴史の研究者と異なり、注目熟語の数の多い、
日本の駒数多数将棋の歴史の研究者、愛好家にとり、
どれも大切な史料である

との旨を結論する。
 まず、日葡辞書(江戸時代草創期成立)について項目
鯨鯢には、要約すると次の旨が書いてある。

Qeiguei(鯨鯢)は鯨。
”鯨鯢の鰓(あじと、意味:エラ)に縣く”という諺で
有名。鯨に喰われる事。(”舞本;腰越”等で使用。)

 以上の内容から、鯨鯢に複数の鯨を意味するニュアン
スは、記載されているとは解釈できない。

①安土桃山時代の末頃でも、鯨鯢は”一頭のくじら”を
意味する場合が残っていた

と解釈できると思う。
 次に、辞書を変えて、モンゴル帝国来襲時に著作され
たとされる、塵袋の”獣虫”の麒麟の項目を見てみる。
たとえば塵袋を、今では、平凡社、東洋文庫、塵袋Ⅰ
(西暦2004年)で、見る事ができる。
麒麟は、雄が麟で雌が麒であると、和名類聚抄に書いて
あると、平安時代の和名類聚抄を引用している。だから、

①’鯨になったり、麒麟になったりはするのだが、熟語
を雄雌に分解するという発想は鎌倉時代初期までに成立

していた事が判る。
 なお、たまたまだが、今度は安土桃山時代最末期から
江戸時代草創期の日葡語字書には、”麋鹿”という項目
がある。私の持論の仮説と思っているが、猛将の洒落の
猛豹、悪党の洒落の悪狼と同じく、麋鹿(びろく)が元
で、飛鹿になったように、日葡字典を見てからは思えて
ならない。ただし飛鹿は、当然日葡字典には無いので、
証明はできない。
 こう考えるときには、まず飛鹿が考え出されてから、

実在感が薄いという意味で更に妙な、飛牛が後で発明

されたと、言う事になるだろう。そして、次のような事
になるのではないか。すなわち、
飛鹿の元が麋鹿で、大鹿と同じなのに、雌鯨という、お
かしな駒名が、中将棋に有った。そこで、雄雌に分解す
るという発想が、西暦1565年成立ではなくて、鯨鯢
が駒名として発生してから、さほど経たない、室町時代
前期の西暦1400年頃でも、考え出せたのかもしれな
いという事。
 だから漢詩として、日本の禅寺で、鯨雄説が出たのが、
西暦1400年と諸橋徹次の大漢和辞典から推定すると。
 若き日の雪竹老人(二十歳そこそこ)が、鯨を”雄”
と説いて、中将棋棋士仲間から、喝采を浴びたのが西暦
1500年。色葉字類抄1565年写書で、手直しした
のが、西暦1565年、雪竹老人が八十余歳の時という
パターンも、有り得るのなのかもしれない。あるいは、
”鯨が雄”を考え出したのは、雪竹老人ではなく、又聞
きしただけ。しかし色葉字類抄ニ巻物では、雪竹老人は
”鯨は雄”を、さも既成の日本語と言わんばかりに、
西暦1565年にたまたま入れただけ、なのかもしれな
い。元々西暦1400年程度で、鯨は雄が成立していそ
うな事が、諸橋徹次の大漢和辞典で示唆されてはいるの
で、個別には、いろいろな可能性が有り得そうだ。
 そこで次に、鯨でなくて別の話題に移る。戻って今度
は、モンゴル帝国来襲時に著作されたとされる、先にも
引用した中世の辞書”塵袋”の、分類”人倫”の項目名
”龍象”53を、たとえば平凡社、東洋文庫、塵袋Ⅰ
(西暦2004年)で、見てみる。
 そこには、提婆、馬鳴(めみょう。アシュヴァゴーシ
ャ。西暦80年頃~150年頃)という、2人の人名が

”並んで”現われる。

”高僧と龍・象が似合いの字で有るのは、どうしてか。”
という旨の、答えとして、塵袋では存在する項目である。

これは、摩訶大大将棋の、提婆と無明が、対で有るとい
うのに、近い表現

だ。なお、中世の辞書”塵袋”の、分類”人倫”の項目
名、”龍象”は、項目名からして、そうだが、日本の駒
数多数将棋の立場では、よい僧侶、象、龍という将棋の
駒名を思わせる言葉が説明文中に並ぶので、この辞書中
では、最も注意が必要な項目だと私は思う。

 馬鳴は、提婆と異なりコワモテの無い、直ぐに改心し
た良い僧侶だったので、摩訶大大将棋に入れるときに、
むみょう(無明)と、語句を取り替えたのではないか。

つまり無明も元々は、猛豹、悪狼、飛鹿の洒落の類なの
ではないか。そのようにも疑われるという事である。
 前後して申し訳ないが、龍象の項目は、その時代の
大将棋の中央部に、太子(高僧)、酔象、龍王、龍馬、
特に後三者が、既に初期配列で既に入っていたという、
本ブログの仮説(西暦1260年モデル)と良く合って
いると私は思う。”良い僧は、力が大きく、勢いが盛ん
なので、その様を龍象に例えた”との旨、本文末備に、
説明が有るようだが、いかにも鎌倉時代らしい発想だ。
 以上のように、伊呂波字類抄、塵袋、日葡辞書等の
日本の中世を挟む時代の字典類は、平安末期の色葉字類
抄に限定されずに、

②中世の字典類は全部、中世将棋史の研究にとって大切。

以上のように見なせるように、私には思えるのである。
(2019/04/23)

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