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川西奔横駒の消失。浄土真宗仏教語”竪超”出現が原因(長さん)

 前に述べたように、徳島県徳島市近郊の川西遺跡
出土の奔横駒(異説有り)が、西暦1360年まで
には消失していないと、本ブログの論とは整合性が
取りにくい。理由の候補として、”横”の訓読みの
中で”よこたわる”が強まったため、視線直角成分
以外が、弱まったのかもしれないとの仮説をチェッ
クしてみたが否定的結果に終わり判然としなかった。
 ここでは、日本語訓読み併用(”併用”について
は、本ブログの仮説)の仏教語として、

浄土真宗開祖の親鸞が、説法をするときに使った、
在来仏教の修業は”竪超”と書いて、訓で”たてこ
える”とも読める、現代の竪の訓読みが、
西暦1260年までには汎用化して、奔横の
横(よこしま)から、前後の動きを奪い、ルールと
ツジツマを合わせるために、奔王を発明する必要性
が生じた

という仮説を検証する。
 要旨は以上なので、以下説明に入る。
浄土真宗の開祖の親鸞は、草稿が西暦1228年迄
には出来上がり、その後他界するまで加筆を加えた
と伝わる、自書”教行信証”の中で、聖道門による
在来仏教の修業を、成仏のための”竪超(たてこえ
る(等))”、それに対して、浄土門の成仏方法を、
他力本願または、”横超(よここえる(等))”と
命名した等という。仔細はwebのページの複数に、
有るようである。また、横の音読み”わう”が、
元来仏教語であるという事に関しては、古語辞典、
”角川古語大辞典 第5巻”、1999等、複数の
古語辞典に載っている。
 なお、超が”こえる”で良いかどうか、私には良
く判らない。音読みで竪超を”しゅちょう”、横超
を”おうちょう”と、読むのが正しいらしいと、
大概の古語辞書には載っている。
 ただし色葉字類抄の二巻物によると、横の読みは、
前に述べたように”よこさま”だが、竪の読みの方
は、”たてさま”と”たつ(て)”が、元々両方有っ
たようだ。よって、親鸞の説法を満足するには、横
にも”よこさま”の他に、結局は”よこ”を作る必
要が、対の漢字にするためには必然なように見える。
なお繰り返すと、”併用”は本ブログの仮説である。
 何れにしてもここで重要な点は、浄土真宗開祖の

親鸞の出現で、横の字の中から、上下または前後、
つまり垂直の方向の包含が、許されなくなった

という事だとみられる。だから、それまでは、
奔横と書いて”ほんわう”と、読みだけ中国人の真
似をして読み、”前後左右斜め不規則に走る”の意
だったのだろうが、”親鸞以後”には、

”左右または斜めへ、比較的複雑なルールで走る”

と、日本語として解釈されるように、ルールを調整
しなければ、ならなかったという事である。そして、
たまたま、従前の奔横も、前後に走る、奔王動きが
ルールとして主流だったのだろう。このままでは、
変化してきた日本語の意味に、追随するためには、
奔横を、

奔王の動きから奔猪(中将棋)の動きに変えなけれ
ばならなかった

に違いない。しかし、そうすると将棋が変わって
しまうので、棋士の賛成は得られなかった。そこで、
やむなく、

より対応が簡単な、”ほんわう”同士で音が同じの、
奔横から奔王への名称変更が、概ね浄土真宗親鸞の
生存中、西暦1260年までに、将棋棋士の間で
行われたのではないかと、ここでは推定する

と言う事である。
 むろん、仏教が盛んと言っても、宗派は浄土真宗
だけではなくて、日蓮宗等複数あるから、奔横を変
える要因が、これ一つであると断定はできまい。が、

聖道門的な真っ直ぐな動き成分が、将棋駒の”奔横”
に含まれているのは、全般の日本語体系から見て、
言葉として変だ

という意味に取れる、浄土真宗門徒が大将棋の棋士
に対してしたとみられる主張は、それなりに、尤も
らしく受け取られた事も、確かだったのだろう。
 だから、横超や竪超が、仏教用語として現われた
時期が、奔横が駒名として、使えなくなった時期だ
と考えても、さほどおかしくないような気も、私に
はする。
 もしそうだとすれば、遺跡の遺物からは、遺物で
ある奔横の時期は、たとえば、西暦1200年~
1275年程度だとまでしか、絞り込めないとして
も、消失が、親鸞が出現し、教行信証等を著作して、
竪超などの言葉を、流行らせたのが原因とすると、

出土駒奔横の時期は、概ね西暦1200年~60年
となって、本ブログの見解で、問題になる、
西暦1260年~1275年程度の成分が消失する

のではないか。一応、以上のような論理を、私は
親鸞と教行信証に関する情報から、その後考えた訳
である。(2019/04/27)

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