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将棋纂図部類抄并序に将棋ルールの情報は無いのか(長さん)

ここでは、水無瀬兼成の将棋纂図部類抄の序文に
関して、何か駒数多数の日本の将棋のルールに関
する情報が書かれているのかどうかを問題にする。
なお先行研究としては、大阪府三島郡島本町の、
島本町教育委員会により”象戯は日月星辰、即ち
天文をかたどったものであり、壮大な思想を引用
して、将棋は素晴らしいものであると述べている」
部分であるとの旨の研究がある。それでは本ブロ
グの回答を先に書く。

有る。

世(=私は)籍(=ふみて)(レ)茲(=これに)、
肇(レ)従(二)縦横三々之秤目(一)
泊(=およぶにて)(二)于摩訶大々之陣面(一)

は”摩訶大大将棋より下位の将棋類には、3升目
動き駒は無い”と、水無瀬兼成は認識していた事
を示している。なお、最初の”世”は、異字体で書
いてある。
 では、以下に説明を加える。
 将棋纂図部類抄への序と解釈される、巻物の出
だしの文に関しては、今の所上記の島本教育委員
会の記載を超える説は、見当たらないと認識する。

個人的に、漢文は得意では無いので、私には半分
程度しか、この序の意味は判らない。

しかし、将棋の史料が非常に少ない事を、最近は
身に染みて認識してきたので、読む努力をしてみ
た。なお、判らない字でかつ、私のような初心者
向けの案内成書としては、次のものがある。前に
紹介した記憶が有るが、巻末の索引が、大いに使
える本と、常々認識している。

日本史を学ぶための古文書・古記録訓読法
日本史史料研究会・苅米一志著、吉川弘文館
(西暦2015年)

 そして上記の結論で述べた部分は、水無瀬兼成
の将棋纂図部類抄への序の、残りの20%程度の
所に出てくるフレーズである。この部分も私には、
正確には訳せないが、

水無瀬兼成は3升目踊り駒は、摩訶大大将棋で、
始めて現われる、複雑な駒の動かし方ルール

と、言っているようにとれる。つまり、

大将棋や中将棋の類に、狛犬等、摩訶大大将棋の
駒が入った将棋等は無いと、安土桃山時代の
水無瀬兼成は見ていたようだ。
 実際には、神奈川県鎌倉市御成の、
鎌倉市福祉センター遺跡から出土した木札には、
中将棋の特殊バージョンで、狛犬を入れる場合が
あるらしいと、記載している事が、今では判って
いる。が、これは例外的であって、

後期大将棋はもちろんの事、普通唱導集時代の大
将棋にも、3升目踊り駒が無かった事を、水無瀬
兼成は、なんとなく知っていたようである。

 恐らく獅子と狛犬は、対で入った将棋も、作ら
れた事が有っても、中将棋や大将棋の陣形では、
玉守りの段数が浅すぎて、狛犬型駒によるトン死
筋で出すぎて、変種は結果的に淘汰されたのだろ
う。よってオフェンスが強すぎてゲームとしての
調節が難しく、

普通唱導集大将棋に、獅子成りの麒麟がたとえ有っ
たにしても、対で考え付きそうな、狛犬に成る
鳳凰というバージョンは、長くは続かなかった

のであろう。つまり、少なくとも普通唱導集時代、
すなわち西暦1300年頃まで遡ると、大将棋は
単なる中将棋の説明のためのものではなく、

ゲームとして攻撃力と防御力のバランスをしっか
り取った、実際に主流のゲームだった

という事を、安土桃山時代の水無瀬兼成が、将棋
纂図部類抄への序で、少なくとも示唆はしている
のではないか。
 とすれば、将棋纂図部類抄については、その序
文には、駒数多数将棋のルールの歴史に関する情
報が、全く無いとまでは言い切れないのではない
か。以上のように、私には結論された。
 なお、大大将棋に奔鬼があり、水無瀬兼成は、
5升目踊りと表現しているから、他の証拠と共に、
水無瀬兼成が、”大大将棋は摩訶大大将棋より
上位の、水無瀬兼成にとって、『最近の作』もの”
と、自分から自白している証拠の一つとも取れる。
ちなみに他の証拠としては、前に述べたが、
将棋馬日記表紙裏の、将棋種を書く順序が挙げら
れる。(2019/05/26)

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