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東福寺難破船出土駒(新安沖海底遺跡)の玉駒は玉将(長さん)

本ブログでは、現在でこそ混在して使われている玉将・
王将だが、京都の朝廷では王将しか使わなかったとみ
ている。出土駒のパターンが、それを支持するからで
ある。しかしうっかりしていたのだが、京都の寺が
チャーターして、韓国の新安沖で沈没した船から出土
した玉駒が、王将ではなくて玉将なのに、ようやく気
が付いた。この例外を、どう説明するのかを今回は
論題とする。答えを書く。

新安沖海底遺跡の将棋駒は、九州の博多産である。

では、以下に説明を加える。この駒は、船員が船内で、
賭博等をするのに使ったものであろう。チャーター
したのは、たまたま、沈没したときには、再建中であ
り資材を集めていた東福寺であったらしいが、将棋駒
は、波止場で購入したのであろう。博多の港や京都の
北の若狭湾の港に、普段出入りしていたのだろうが、
博多で購入した将棋駒だったとすれば、おかしくない
ように思う。実際、博多61次遺跡から、1990年
頃に、形も書体も似たような、玉将駒が出土している。
時代も、鎌倉時代から南北朝時代の辺だから、沈没船
の出土駒と、同じ頃でちょうど合っている。
 確定はしないが、京都の皇族町で仕入れた将棋駒で
はなくて、九州の港で入手した駒で、船の中で将棋を
指していたのではないだろうかと、私は思う。
 新安沖沈没船出土駒の出た船は、京都の寺院の船ら
しいが、将棋駒としては”遠地型”に入れるべきだと
言う事だろう。(2019/05/27)

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